十字路に棲む女霊 3
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学校を出て、自転車で渋谷駅へ向かい乗車。乗り換えて地下鉄丸の内線で西新宿。
出来るだけ何も見ないように意識を集中して、なんとかたどり着いた。
『着いた……けど。本当にここか……?』
結局、三十分近くかけて狭間さんの事務所がある、とされる建物に到着したが……。
そこは、少し古い……いや……もはや倒壊寸前のアパートだった。
木造、二階建て。おそらく築……ウン十年。
場所は確かに新宿区。
その西の方に位置する。
『なんか、余計に呪われそうだな……』
建物の様子を見て、思わず怯む。
そりゃ怯むさ。
さっきからカリカリコソコソと、シルバニアな……たぶんネズミファミリーが、やっほいやっほいと奏でる音が聞こえるんだもの。
さっき狭間さんに”イタズラじゃないよな?”と訊かれたが、これは俺の方こそ騙されてやしないか? と疑心暗鬼になる。
『こんな事なら無理矢理にでも、両親について行けばよかった……』
今、俺の両親は三泊四日の旅行の真っ最中。
共働きの両親は”たまには”と旅行を計画した。
別々の会社に勤めているが、有給休暇を同じ日程で調整して会社へ申し出て、今頃はちょっとしたバカンスを楽しんでいる。
帰ってくるのは明後日だ。
まさか留守中に息子が呪い殺されようとしているなどと、夢にも思わないだろう。
『嘆いても仕方ない。もうここまで来たんだ、覚悟決めないとな……』
指定されている号室は二階。
崩れ落ちそうな戸板を開くと、二階へと続く階段があった。
『……お邪魔します』
また、この階段もいい感じに朽ちかけている。
おぉ……。
スゲェ……。
人間の体重を支え難そうな、ミシミシギシギシという低反発の感触と音が、足の裏にしっかりと返ってくる感じだ。
『あはは……帰りてぇ……』
カチ……カチカチ……カチ………カチ……………カチ。
また時計の音がする。
ここまでやっぱり憑いて来てるのか……。
ずっと背筋の体温が、二度、三度、下がる感覚だ。
『いや、これは霊じゃない! 俺の足元から鳴る音だ! 多分、動物の骨かなんかが床下で当たっ……!』
そう自分に言い聞かせようとして止める。
『危ない……危ない……』
動物の骨が床下になんて、余計に怖い妄想が働きそうだった。
とにかく、階段を早足で静かに上がった。
『俺はシノビ……。今日の俺は斥候……』
そして、ようやく到着。
うん。間違いなくここだ。
木のドアに、はめ殺しのすりガラスに黒い字で、”狭間洋介相談事務所”と名があった。
俺はその玄関先である事に気づいた。
なんてこった……。
ドアの横にあるすりガラスの窓が、少しひび割れしてガムテープで補強されている。
位置からするとキッチンだろうか?
視線を割れ目に合わせると、向こう側が見えそうだ。
コレ、すりガラスの意味、無くね?
とりあえず……声をかけるか。いや、まずノックからか。
「今……来たか? 空いてるぜ、入ってくれ」
部屋の主の方から声がかかった。
「はい! 失礼します」
ドアのノブに手をかけて部屋へ。
「え……」
内装は外観とかなりのズレがあった。
フローリングの洋室。
茶色のサイドテーブルを挟んで、二人が向かい合わせになって座る、足付きの黒いソファーが置かれている。
その一脚に座りテーブルの上でノートパソコンを開いた男の人が、対面に座っている。
『この人が狭間さんか……』
メッセージをやりとりしたが……。
ずいぶんとイメージが違っていた。
黒いスキニーパンツに、ゆったりとしたワイシャツ。
三十歳手前ぐらいかな。
まぁ……イケメン……………なのだろう。
イケメンと断言するのに迷うのが、目がちょっとキツく、野生の狼が攻撃を受けたみたいに、ほんのりと……やさぐれて……いや、生命力が溢れる目力の強い眼差しをしているからだ。
「ボロくて狭いだろ……。驚いたか?」
ノートパソコンに視線を落としたまま、狭間さんが言う。
「いえ……。室内と外から見たギャップに驚きました」
耳に入ってきた狭間さんの声……。
誰かに似ている。
誰だっけ……この少しハスキーだけど、しっとりとしている……。
「普段なら俺の方から出向くんだけどよ。ちょっと動けない理由があってな……」
「そうなんですか」
そう言った狭間さんは、手をかぶせているマウスをクリックする。
『そうだ分かった。狭間さんの声って』
「狭間さんって、津田健二郎さんに声が似てますね」
「あん? 誰だそいつは。有名人か?」
「え、はい。有名な声優さんなんです……」
しまった。
津田さん知らないんなら、ちょっと失礼か。
「そっか。いい声だって事だよな? そりゃ褒めてくれてありがとう。靴はそこで脱いで入ってくれるか? スリッパはそこに……」
よかった。気分は害してないようだ。
俺を室内へとそう促してくれた狭間さんは、ノートパソコンをテーブルから下ろして横へ退けた。
そして、空いたテーブルに曲げた両肘をついて、下顎の高さで組んだ両手にコン、と顎を乗せた。
そして俺をジッと見つめ……、な、なんでしょうか?
「なぁ。俺の部屋に来るまでの間で、ここの住人と会ったか?」
そう訊いてきた。
「はい? 住んでる人ですか? いえ……会ってませんけど……」
「お前……。ここへは一人で来たよな?」
「えぇ……。はい……」
「…………………………」
「…………………………………」
「………………………………………」
「……………………………………………」
ちょっと狭い部屋で見つめ合ったまま、俺達はひと言も発する事なく……。
いや。
ちょっと待て。
狭間さんが訊いてる内容って、もしかして…………。
「……そっか、分かった。変な事をきいて悪かった」
突然、腑に落ちた様子で狭間さんは言う……。
けど!
「ちょっ!! ちょっと待ってください! 何ですか!? 狭間さん、何か見たんですか!? 聞こえたんですか!?」
「シッ! 大きな声出さないでくれ。見りゃ分かるだろぉが、ここの壁は薄いんだよ。住んでる奴ら騒音に敏感なんだ」
人差し指を口に当てて狭間さんは叱責。
いや、だって……。
俺は白と黒のツートンカラーのスリッパを借りて、狭間さんの目の前に立った。
恐怖のあまりに体が勝手に、他人の近くで安心を得ようとしたらしい。
「なんですか? 教えてもらっても怖いでしょうけど、分からないのはもっと怖いです!」
今度は出来るだけ、声のトーンを落として言うと。
「まぁ、お前は全くデタラメを言ってないって事が、証明されたってだけだ。気にするな」
なんて嫌な言い方だろう。
気になるわい。
「脅さないで下さい。泣きますよ? それより、その……早く除霊をお願いします。狭間さんプロなんでしょ? 専門家なんですよね」
「……プロじゃねぇよ」
「はい?」
フゥゥ……、って鼻でため息をつきながら、なんか言った狭間さんは、さらに。
「専門家でもねぇ、ド素人だよ。ズブズブのな。ここを開業したのも今年の四月だ」
「………………へ?」
えぇと。
ちょっと情報が処理しきれない。
今年の四月って、今が六月だから……えぇと……その……。
「先々月に開業……? え、でも、今まで何かなさってたんですよね? 幽霊絡みとかのオシゴトを……」
「いや、全くしてねぇ。でも安心しろ、解決してやるから」
眼前のペテン師(暫定)が、自信満々にそうキッパリと言う。
……ちょっと、この人、何言ってんの?
「……俺、このままだと死ぬっていうのら本当ですよね?」
「あぁ、おそらく間違いねぇ……」
「そっすか……」
あぁ。
俺、詰んだ……。
さようなら、俺の晩御飯達、そして、これまでとこれから出会う人達。
さらに、苦しくても楽しい俺の未来よ……。