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十字路に棲む女霊ーープロローグーー

 

 もう少しだ。もう少しで家に着く。

 時計は十九時を指している。

 この時間なら家族の誰かが家に居るはずだ。

 

 クソ……なんなんだよ。

 噂が立つあの十字路のカーブミラー。

 見るんじゃなかった。

 噂だけだと思っていたら、本当にあのミラーの中にソレは居た。


 それからずっと視界のどこかにいて、執拗に追いかけてくる。

 鏡の後ろ、車の窓、他人の目の中、視界の端にこの女がぼんやりと立って俺を見ている。

 真っ赤な姿をした女の霊。

 赤く染まっているのが、服の色なのか血なのかも分からない。

 確認しようとして、振り返ったりすれば消える。 

 だけど常に俺の周りにいる。

 

 カチ……カチ……カチ……。


 またこの音だ。

 霊が現れてからずっと、この音が頭の中で鳴り響いている。

 最初は耳鳴りか、または関節が軋む音だと思った。


 だけど違う。


 これは時計の針の音だ。

 霊によって殺されたと言われている被害者達は皆、無惨な死に様だったと聞いている。

 だとすれば、時間を刻んでいる理由はおのずと理解できる。

 いや、やめよう。

 考えたくはない。俺は絶対に助かるんだ。


 ようやく自宅マンションにたどり着いた。

 すぐにエレベーターを……いや、駄目だ。

 密室は危ない。

 エントランスを通って階段を上がろう。

 

 こんな事ならあの道を通るんじゃなかった。

 今更ながら悔やむ。

 学校じゃ自作自演とされて、誰もまともに聞こうとしない。

 だけど家族ならーーーーーーーーーーーーーー。


 横幅の狭い、抹茶オレの色をした階段を、一段飛ばしで駆け上がる。

 自宅の部屋は六階。

 

 カチカチカチカチカチカチ……。


 この音をどうにかしてくれ。

 気が狂いそうだ。

 体の汗が階段を上がる俺を緩慢にさせる。


 もっと家族に話しておくべきだった。

 変な心配をされるからと、言えずにいた。

 二年になって進学すると決めたとき、母さんは泣きそうな顔をしてた。

 今の学校じゃ底辺のクズだから、と自分自身でも半ば諦めていた俺に、母さんだけは諦めていなかった。

 口うるさいだけの母親だとずっと思ってた。

 あんな顔するなんて、よほど心配をかけてたんだな、と感じた。


 そんな後で、呪われてるだの祟られただのと、おかしな事を言って心配をさせたくはなかった。

 来年、三年になるともう受験だ。

 絶対に志望大学へ現役で合格する。

 こんな霊に殺されてたまるか。

 

 カチカチ………カチ…………。

 カチ……………………………………。


『あれ……。時計の音が止まった……』


 階段を上がる途中で足を止めた。

 急に静かになると逆に警戒するが……。

 あと一階分を上がりきると自宅だ。

 階上、階下を見回す。マンションの外は人が住む夜の温もりの景色が広がり、いつもの閑静な夜だ。


『やっと諦めてくれたか』


 とりあえず助かった。

 家に入る前に、変な顔や汗を拭っておかないと。

 ハンカチはズボンの後ろポケッ……。

 

「とっと……」


 ポケットに手を伸ばそうとしてよろけた。

 足に何かが絡みついている感触がある。そのせいでバランスを崩したんだ。

 その足元に視線を落とした。

 俺のスニーカーに黒々とした糸の塊が、めったやたらと絡みついている。


「これ……って……」


 糸なんかではなく、その物の正体が判別すると、背がゾッとした。

 それは大量の髪の毛だった。

 今にも切れそうなボロボロの長い髪が、束になって強度増して足に絡みついていた。


 白いスニーカーが真っ黒に染まるほど、いつの間にこんな絡み方を……。

 さらに髪を観察すると、レーズンのような小さな塊が、点々とへばり付いて、髪を束にしているのが分かった。


「これ……血の塊か」


 その固まった血に気を取られていると、マンションの照明が階段の塗料を反射させて何かを映していた。

 顔の輪郭があった。

 その顔の輪郭の中心には二つの穴。

 輪郭は女の姿だった。

 そして二つの穴は、ぽっかりと空いた眼窩だった。

 

「か……階段の中に……」


 そこにいたのはずっと俺を追いかけて来た、女の霊だった。

 あまりの恐怖を感じると、俺の脳は考える事を拒絶するらしい。

 それでも半ば呆然としている自分自身を、奮い立たせるにはさほど時間を要しなかった。

 

 まず足に絡まった髪の毛を蹴って解こうとした。

 たが髪の毛は俺の労力を嘲笑うように、足首から太腿まで絡んでくる。

 やがて奇妙な光景を目にした。

 景色が自分を中心に回り始めたのだ。

 

「おい! ちょっと待ってくれ!」

 

 回っているのは無論、景色の方ではなかった。

 階段の上で真っ逆さまに落下させられた、という事を踊り場の壁に頭をぶつけてようやく理解する。

 ゴッ、と鈍い音が耳に残った。

 頭蓋骨が陥没するような衝撃。

 口の中に血の味が広がった。

 どうやら舌を噛んだらしい。

 そんな血の味に気を取られていると、俺が背を預けている壁から白い手が生えてきた。

 真横から生えてくるそれは、何かを探しているように動いている。

 探しているのは俺の体か?

  

「うぐ……クソ……」


 すぐに逃げようと思ったが、落下のショックで体が思うように動かない。

 

 帰りたい……帰りたい……帰り…………。


 女の声が背中越しに響いてきた。

 こもった声で悲しみ、啜り泣いているように聞こえる。


「帰りたい……」


「………………!」


 女の霊が俺の真ん前に姿を現した。

 壁から這い出て来て、俺の正面に回ってきた。

 座っている俺に顔がにじり寄ってくると、その顔がはっきりと見えてしまった。


 眼窩の無い洞穴みたいな目。そこから涙が溢れ出ている。

 身につけている服は白いブラウザのようだが、それは赤黒く血に染まっていた。

 深くぼっかりと空いた眼球の無い二つの穴が、ジィっと俺を捉えている。

 女の霊が双眸の穴で見つめて言う。


「帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰り……」


 何度も女の霊はそう呟く。


『何処に?家にか?』

 

 そう訊こうとするが声が出ない。

 この女の霊を帰らせて終わるなら、さっさと終わらせたい。

 もう疲れていた。心からそう思った。

 だが、そんな俺の思いとは裏腹に、俺の体は勝手に階下へと向かう階段に迫ろうと動き出した。

 絡みついた女の霊の髪が俺の体を引きずっている。


『ちょっと待……』


 いつの間にか俺の背中へと回った女の霊は、階下の階段へ向かって俺を強く押した。


「お……ご……」


 口がうまく働かず、これが自分の声なのかと思うほど、情けない声が漏れた。

 また階下へ落下させられたのか。

 

 もういい。

 

 俺も早く家に帰りたい……。



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