教えて、魔王様
“僕”満腹。
屋敷の厨房で釣ってきた小魚の塩焼きを3匹食べた僕は蜂蜜を入れた白湯を飲んでご満悦。今世で初めてまともな魚を食べれたんだ、嬉しくもなる。
頬を緩ませていたらそんな幸福感に水を差す声が頭に響いた。
《食い終わったならちょっと体を貸せ》
「あぁ~、蜂蜜美味しいなぁ」
蜂蜜入り白湯を飲んでそんなことを呟く。聞こえない、聞こえない。何も聞こえない。
《俺はお前の片目や指の1本ぐらい切り落としてもいいんだぞ》
「だったら僕は今すぐ包丁で喉をかき切ってもいいんだよ?」
人間らしい食事は出来たからね、って続けたら魔王様が押し黙った。暴力や高圧的な態度で人が屈服すると思ったら大間違いなのですよ。
《……これからすることはお前のためにもなることだ》
「ためになるかどうかなんて僕にしか分からないのに勝手なこと言わないでほしいな」
《お前、俺に対する遠慮がなくなってきてるな》
「具体的に何をするか魔王様が言わないのにも問題があると思う」
《っ……勉強だよ、勉強》
勉強……とな?
体を若干乗っ取られて、連れてこられたのは図書館を思わせるような本棚と本がズラッと並んだ書斎。わぁ、古そうな本がいっぱい。
椅子に無理矢理座らせられたかと思えば、目の前の机の上に3冊の本がドサドサと降ってきた。見れば、本棚から今もひとりでに本が抜き取られては、机の上に積み上げられていく。
これも、魔法?
《文字の読み書きは片腕のおじさんとやらに教えてもらったんだろう?》
「それは、そうだけど……何を勉強させようとしてるの?」
《一般人並みの教養ぐらいは身につけろ》
「……何で?」
確かに、教養は大事だと思う。
だけど魔王様がわざわざ僕を賢くする必要なんてどこにもない。体を乗っ取ってしまえば、後は魔王様の意思でどうとでも動かせるんだから。
そう思って聞いたら、返ってきたのはトゲのある言葉。
《貧民街のガキでも毒草の見分けぐらい出来そうなものだけどな》
あぁ、なるほどね。
思い出されるのは釣りの帰り道。魚のついでに山菜も取ろうとして、手を伸ばした先が毒草だったのがまずかったんだ。
すぐさま体の支配権を奪われて、「それは毒草だ、バカ!」って怒られた。
前世で似たような草は食べられたのに、こっちでは毒草だなんてね。
まぁ、とにもかくにも僕のその行動が魔王様的には許せなかったんだろう。拾い食いをされて死なれたら困るってことか。
仕方なく僕は机の上に積まれた本に手を伸ばす。開いたそれは思った通り植物図鑑だった。
「僕、難しい言葉はまだ読めないよ」
って言ったら、右手を勝手に動かされて本に載っている1つの植物を指差した。あ、これニリンソウみたい。
同時に、魔王様の声が頭に響く。
《ファザドナ。主に谷川沿いの半日陰地に自生して群落をつくる多年草。深く裂けた根生葉を持つ。根に致死性の高い猛毒を持つ》
「…………」
勝手に動かされた右手がページを捲っていく。そしてまた、1つの植物を指で示す。魔王様の声が響く。
《ミミィール。日当たりの良い山野、土手に生える多年性草本。茎と葉裏に白い長毛があり、茎の上部には線上の小さな葉がつく。茎と葉に毒があり、これを食べたものは中毒症状を起こす》
その後も魔王様は植物を1つ1つ指差して図鑑を読み上げていってくれる。
まぁ、全部……有毒、有毒、有毒、なんだけどね。
「ねぇ、魔王様。毒がある植物は分かったから、食べられる植物も教えてほしいな~、なんて」
《毒草以外の草なら何でも食べていいぞ》
「いいわけあるか」
《なら自分で勉強しろ》
ごもっともな返事が返ってきて僕は口を引き結ぶ。そこまで優しくするつもりはないということですね、分かります。
僕は魔王様が読み上げていった毒草だとか、毒花を見ながらふと頭に浮かんだ質問を投げかけてみる。
「裏の温室では何を育ててたの?」
《…………》
毒草の詳細を読み上げていた魔王様の声が途切れる。どうしたんだろう?
けど、「魔王様?」って呼んだらすぐに返事が返ってきた。
《魔法薬に使える植物全般》
「魔法薬……!どんな?どんな魔法薬?」
《幻覚を見せる薬とか、小さくなれる薬とか、》
凄い!魔法っぽい!
《植物を成長させる薬とか、逆に退化させる薬とか……そういうしょうもない薬だよ》
「めちゃくちゃ凄いんだけど。でもちょっと意外」
《意外?何がだ?》
「魔王様って魔法が何でも使えると思ってたから。そんな薬も使うんだと思って」
僕がそう言ったら、また沈黙が流れる。てっきり何か言い返してくると思ったんだけどな。さっきからどうしちゃったんだろう、魔王様。
気にはなったけど気にしないように僕はまた植物図鑑に目を通す。
へぇ、この世界には石みたいな花もあるんだ。宝石みたいでちょっと綺麗かも。えーっと、名前は……
「ベベ……?ベベ、ジキ?」
《ベベジュール、洞窟に生えてる一日花だ。これも魔法薬の材料になる》
魔王様、素敵に復活。
こんな宝石みたいな花をどうやって薬にするんだろう。……砕くのかな?
《お前は……》
「?」
《お前は魔法をどう思う?使ってみたいと思うか?》
「うん、使えるなら使いたい!」
《お前が思っている程、魔法は万能じゃないぞ。良いものでもない》
魔王様がそんなことを言うとは思わなくてちょっと面喰っちゃった。
人類を滅亡させるのに魔法は使わないつもりなのかな?よく分かんないや。とりあえず頷いて返事を返そう。
「そりゃそうだろうね。何にだって良し悪しはあると思う。それでも何が出来て、何が出来ないのかは知っておきたい。だから魔王様、僕に魔法の使い方を教えて下さい」
今僕にあるのは、片腕のおじさんに教えてもらった魔法の簡単な知識だけ。
基礎も、自分の属性も、魔力量も何も知らない。だから知りたい。
この屋敷にかけられているような、部屋を綺麗に保つ魔法とか、実用的な魔法ならどんどん使えるようになりたいよね。
「お願いします」と頭を下げて言う僕の頭に、ため息混じりの魔王様の声が響く。
《最初からそのつもりだ。じゃなきゃ、俺の目的が果たせない》
「目的がどうこうは知らないけど……。とりあえず、ありがとう!」
《まぁ、教えるのはお前がもっと健康体になってからだ。飯を食って、よく寝て、教養と体力をつけろ》
「……何日ぐらいかかるかな?」
《今の食生活じゃいつまでも無理だろうな》
本末転倒じゃないか。
でもしょうがない。今の僕は本当に栄養失調でいつ死んでもおかしくない体だ。血色も悪くて、腕も足もガリガリで筋肉もない。
《そのあたりは俺が考えておく。今は勉強に集中しろ》
「あぃ」
僕がすぐに健康体になれる方法なんて、それこそ魔法薬とか回復薬のポーションなんていったチートアイテムしかないんじゃないかな。
っていうか、ゲームとかに出てくるああいうアイテムって副作用とかないの?HP回復、MP回復のために飲む薬……っていうのは分かるんだけど、戦闘中に飲んで胃がたぽたぽにならない?
そもそも、味はどうなんだろう?薬っぽいのかな?
この植物図鑑に載ってる触手みたいな草とか、材料を知ったら飲みたくなくなるような薬もありそうだね。
床につかない足をゆらゆらと揺らして、植物図鑑に飽きた僕は別の本に手を伸ばす。
赤茶色の本。その表紙には【魔物図鑑】って書かれてる。
そういえば、
「ねぇ、魔王様。質問してもいい?」
《何だ》
「この屋敷の辺りには魔物っていないの?」
ここは前世で“あたし”が生きてきた世界と違って魔法もあれば、魔物もいる世界。
人里から離れた場所によく生息してるって、片腕のおじさんからも聞いたし、街にいる時も騎士の人達が魔物の討伐に行ってたりしてたからその存在自体は知ってるんだけど、見たことがあるのは魔王様が寄生してたあのウルフみたいな魔物だけだ。
昨日今日とこの辺りを歩いても見かけたことは1度もない。そこまで数が多くないってこと?
内心で僕が首を傾げていたら、何でもないように言う魔王様の声が頭に響いた。
《この辺りは魔物除けが施されているからな。実際に目にすることはないだろう》
「そんなこと出来るの?街とか村とかでもそのまものよけってされてるの?」
《それほど簡単なものじゃないんだ。されているわけないだろう。この屋敷一帯が特別なだけだ》
魔王様の声はどこか誇らしげ。
でも、人類を滅ぼさんとする魔王が住んでいる屋敷の周りに魔物が出ないってどうなんだろう。いや、僕としてはありがたい話なんだけどね……。
「っていうか、そもそもここは何処なの?」
《今更な質問だな》
しょうがないじゃないか。昨日は死にかけでそれどころじゃなかったし、今日だって生きるための食糧調達に必死だったんだから。
口を尖らせて僕は窓の外に視線を向ける。
木と山しか見えない正にここは森の中の洋館って感じ。魔物はおろか、人にすら会わない。……もしかして、
「ここって、人除けも……されてたりする?」
《そりゃ魔王が住む屋敷だからな》
また誇らしげな声が響く。
「つまりぼっちを極めていると」
《その口、縫い付けられたいか?》
途端、魔王様の声が低くなって僕は咄嗟に両手を口に当てた。
次からは心の中で思うだけにしよう。
窓の外に向けていた視線を目の前の本に戻して、さぁ、勉強勉強とばかりに手に取った。
《さすがのお前でも自分が住んでいた街や、その街がある国の名前ぐらい知っているだろう?》
それはまぁ、文字の勉強をするために捨てられた新聞とかを読んでいたからね。
僕が住んでいたのは、
「シュタイラ帝国のグラウールっていう街。だけど僕は地図を見たことがないから……その国とか、街がどこにあるのかまでは知らない」
《なるほどな。貧民街で暮らしていたガキならそんなものか》
そりゃあね。
だって街や国の名前を知ってたってお腹は膨れないし、生活が良くなるわけでもない。
貧民街で生まれた人達は僕みたいに人身売買をされたり、何かしらのきっかけで大金を手に入れたりでもしなきゃあの場所で死ぬ。
そんな人間にこの街は地図でこの場所にあるんだよ、なんて教えたって「だから何?」って言葉が返ってくるだけだ。「それで自分の何が変わるの?」ってね。
《グラウールで人身売買ねぇ。帝都のお膝元の治安も悪くなったもんだ》
「?」
《で、売られたお前はトルドナで変態貴族に買われたわけか》
「とる……?」
耳慣れない単語――ううん、街か何かの名前に首を傾げていたら、1枚の紙が飛んできて目の前でピタッ、と止まった。
その紙には地図が描かれていて、さっきみたいに魔王様に動かされた僕の右手がトルドナって書かれた部分を指差す。
えーっと、グラウールは北東に位置してて、このトルドナは国境いってことは……僕、結構な大移動をさせられてたんだね。
「僕が魔王様と遭ったのもこのトルドナってところなの?」
《ああ。知る人ぞ知る貴族御用達の地下闘技場だ》
「じゃあここはそのトルドナの近く?」
《いいや、どこでもない。地図にない場所だ》
「…………」
何その厨二病的な胡散臭い答え。
本来なら「地図にないってどういうこと?」って聞き返す場面なんだろうけど、もう面倒臭いや。
だって、僕に出て行かれたら困る魔王様が懇切丁寧に教えてくれるはずないもんね。まぁ、出て行くつもりは今のところないんだけど……
だから僕は適当に「そっかー」って流して、手に取っていた魔物図鑑を開けた。
《何だその反応は。得体の知れない場所で生活していて不安にならないのか》
「いつ死んでもおかしくない貧民街に比べたらここは天国だよ」
そう、天国。
だから地図にものってないし、その場所がどこにあるのか知らなくて当然――なんて我ながら上手い返しじゃないか?
勿論、自分が天国に行ける存在だとは微塵も思ってないけどね。