欠けているもの
“僕”起床。
大きくてふかふかのベッドの上で僕は目を覚ます。あぁ……夢じゃなかった。
寝て起きたら、僕はまだ奴隷としてあの変態のもとにいるんじゃないか、って思ってたんだけど――そうじゃなかったみたい。
「んーっ」
起き上がって、伸びをしたら関節がピキパキと音を立てた。今まで冷たい床とか、地面とか砂利の上で寝てた弊害かな。
赤ん坊の時を除いて、生まれて初めての熟睡が出来てちょっと満足。
昨日、自称魔王様に髪を切って少し話をした(言い負かした)後、僕はクローゼットにあった男物のワイシャツを着て(魔王様が良いって言ったから)、眠りについた。
一般的な9歳の子供よりも小さい僕がそのワイシャツを着ると、やっぱり袖が余って丈もワンピース丈になった。
ベッドから出て、室内用のスリッパに足を通した時、さすがにこれだけじゃ駄目かなと思って、クローゼットの中にあった黒のベルトを引っ張り出して腰に巻いた。というか結んだ、丁度いい穴がなかったから。
「魔王様~?」
洗面室に行って顔を洗った後、とりあえず呼びかけてみた。返事はない。
僕の体の中にいる気配もない。
どこに行ったんだろう?トイレ行きたいのになぁ。
「魔王様ー」
もう1度呼びかけてみる。やっぱり返事はない。
寝室のドアから廊下に顔を出してみる。人の気配がない。ここにいる人間は、やっぱり僕だけ?
《起きたか》
「あ、魔王様。おはよう」
ス、と何かが体の中に入り込んできた感覚の後、魔王様の声が頭に響いたから挨拶をしておく。
魔王様は寝てないのかな?それとも睡眠を必要としない構造になってる、とか?
疑問に思ったけど、今はトイレに行きたいから場所を聞いた。
魔王様は先に1階の厨房に行っておくから、後から来いって言って僕の体の中から抜けていく。
1階の厨房――あぁ、あのカップにお湯を入れてたところか。
そういえばカップ、部屋に置いたままだった。
トイレを済ませた僕は、そのカップを持って言われた通り厨房に行く。
「来たよ、魔王様。カップありがとう」
《さっそくだが悪い知らせだ》
「聞きたくない」
なんて言葉も聞き入れてもらえず、魔王様の言葉が頭に響いてくる。
《この厨房には、昨日言った屋敷を綺麗に保つ魔法の他にもう1つ、食品の品質を保つ魔法がかけられているわけだが――》
「はい、何属性ですか。結局昨日教えてもらっていません」
《黙れ。今お前の質問は受け付けていない》
なんて横暴な……。
《その魔法をもってしても、腐食、腐敗は避けられなかった》
「つまり?」
《食えるものが塩と砂糖と蜂蜜ぐらいしかない》
「え、蜂蜜あるの?十分じゃん」
貧民街で食べてた残飯だとか、奴隷商で無理矢理食べさせられたゲロみたいな味の離乳食もどきに比べれば全然良い。
砂糖もあるなら蜂蜜飴が作れるし、蜂蜜を入れた白湯だって作れる。
僕にとっては良い知らせなんだけど、魔王様にとっては違ったみたい。
《それだけで人間が、ましてや子供が生きられるわけないだろう》
「それはそう」
なるほど、なるほど。
僕が求めた衣食住の、食が欠けていると。
そしてその食が欠けると、僕は生きていけない。僕が生きていけないということは、魔王様は人類滅亡を果たせない。
だから嘆いて落ち込んでる、って感じかな?
「あ、でもこの屋敷の裏に温室なかった?そっちでは花とかしか育ててなかったの?」
《見たいか?何年も管理されていなかった温室の惨状を》
「そっちには品質管理とか、そういう魔法はかけてなかったの?」
返事は返ってこない。
魔法、かけてなかったんだ……。
かける言葉が見付からないよ、本当に。
《もういい。今はとりあえず蜂蜜舐めてろ》
「はーい」
蜂蜜が保管されている場所を聞こうとしたら、勝手に体を動かされる。
確かに聞いて、僕が行動するより場所を知ってる魔王様が僕の体を動かした方が効率が良い。
台に乗って、上の棚から蜂蜜が入った瓶を下ろして厨房台の上に。小さい小皿とティースプーンを2本、引き出しから取り出して、1本は瓶の蓋を開けた蜂蜜に。
そして昨日みたいにお湯を沸かして、僕が持ってきたカップへ注ぎ入れた。
《ほら》
お湯が入ったカップも厨房台の上に置かれる。それと同時に体の支配権が返ってきた。
心の中で「いただきます」って両手を合わせて、ティースプーンで蜂蜜を掬って小皿と、カップの中に入れる。
それで魔王様が用意してくれたもう1本のティースプーンを使って、小皿の蜂蜜をひと舐め。
「甘い……」
今世で、生まれて初めての甘味に僕は顔を綻ばせる。
自然の甘みは素晴らしいね。
《舐めながらでいいから聞け》
「ほいほい」
《まずは、食生活の改善だ》
「ふむふむ」
《温室の手入れをして、野菜を育てたいところだが今の貧弱なお前じゃ無理だ。何十日もかかる》
「だろうね」
《体力がなきゃ街にも行けない。食い物すら買えない》
「それは大変だ」
適当に相槌をうってたら「真面目に聞け」って怒られた。
僕は蜂蜜を味わうので忙しいのに……。
《温室も無理、買い物も無理となったらどうする。どうやって食材を調達すればいいと思う?》
「うーんと……森で山菜とか食べられるキノコを探す、とか?」
《後、釣りだな。納屋に釣り竿があったはずだ。それを持って川に行くぞ》
――――
――――――
――――――――
と、いうことで、1時間かけてやって来ました、昨日の川。
ちなみに、ワイシャツ1枚っていう格好で森に入るのはさすがに森をなめ過ぎてるから、魔王様が僕の体を使ってクローゼットにあったズボンを裁断しました。
靴は用意出来なかったから、自分の靴だよ。
ちなみに、魚の餌はそこらへんの地面を掘り起こして見付けたミミズだ。
《釣りの経験は?》
「ないけど大丈夫でしょ、多分」
前世の“あたし”は田舎生まれ、田舎育ちだったから川釣り、木登り、簡単な山菜取りは一通りやってた。
キノコは毒のあるものと判別が難しいから手を出さなかったけどね。
釣り針に尖った石で小さく切ったミミズをつけて、いざ川へ。
「小さいのでもいいから釣れてほしいなぁ」
浮きと水面を凝視して僕はただ待つ。
待ってる間、暇だったのかもしれない。魔王様が話しかけてきた。
《そういえば聞いてなかったことがある》
「んー?何?」
《お前、名前は?》
「…………」
吾輩は人間である。名前はまだ無い――っていう言葉が一瞬脳裏を過った。
「父親には、お前とか、チビとかゴミとか、ネズミとかって呼ばれてたよ」
《クソだな》
吐き捨てるようにそう言う魔王様。
魔王様にもそういう感情があるんだね。僕はどこか他人事。
「だから魔王様も今の“お前”呼びでいいよ。他の生き物と同じ。名前なんてつけたら情が湧いちゃうよ」
《……お前はそれでいいのか?》
「別に不便だと思ったことはないからねぇ」
浮きが動き始めた。
お、魚が餌に興味を持ち始めたな。
完全に食いつくまで僕は様子を窺う。――今だ!
「やった!」
リールのない竿を思いっきり引き上げると、小さい魚が1匹食いついていた。
幸先いいぞー!
口にかかった針を取って、僕は持ってきたバケツの中に魚を入れる。
ワカサギサイズの魚だ。素揚げにしたら美味しいかもしれない。……その油がないや。無理だ。
塩焼き一択かぁ……。まぁ、今まで僕が食べてきたどんなものよりもまともな食事にはなるから他の調味料は今はいいか。
また針にミミズをつけて、僕は釣りを続ける。
何回か餌だけを食われて逃げられたけど、その後2、3匹釣れた。やり始めると楽しいね、これ。
「……あ、そういえば僕も魔王様に聞きたいことがあるんだった」
《何だ》
余程暇だったのかもしれない。返事がすぐに返ってきた。
このミミズ(餌)は生きてるミミズですよー、って魚達に分からせるように軽く竿を揺すりながら僕は魔王様に尋ねる。
「魔王様って配下とかいないの?」
《…………》
返事はない。聞いちゃいけない質問だったのかもしれない。
いや、違うよ。ぼっちを確定させたかったわけじゃなくてさ、ほら、RPGだったらいるじゃん?四天王とか、配下とかしもべの魔物とか。
純粋な子供の疑問じゃないですか。
いやまぁ、確かにそんなのがいたら僕の体を使ってないだろ、って分かってはいたんだけどね。もしかしたらってことがあるじゃん。もしかしたら、ここよりも遠いところにいるとか、ね?
数十秒の間が続いて、居た堪れなくなった僕が「やっぱ今の質問なしで」って言おうとした瞬間、やっと返事が返ってきた。
《……全員殺した、って言ったらどうする?》
「やっぱりぼっちだったかぁ」
《おい、こら。勝手に決めつけるな。部下ぐらいいたわ、俺にも》
「過去形ってことは今はいないってことでしょ。ぼっちってことでしょ。いいよ、見栄張んなくて。むしろごめんね、傷付けて」
《お前本当……!本当、憶えていろよ。絶対最後に苦しませて殺してやるからな》
「それまでに僕が死なないで、人類滅亡が夢半ばで終わらないといいね」
アハハ、って軽く笑ったら「こんのっ……!」ってわなわな震えてる感じの声が響いてきた。
魔王様のこと最初こそ魔物とか、人間を簡単に殺せちゃうとんでもない存在だ、って認識してたんだけどさ、今となってはなんか弄りがいのある存在になってきたなぁ。
そんなことを思う、今日この頃でしたとさ。