屋根のある家
“僕”到達。
目の前に佇むように建っているのは黒い洋館。……デカくね?
僕は辺りを見回す。
洋館の後ろにガラス張りの建造物が見える。洋館の主棟の隣には広い庭があるみたい。洋館から少し離れたところには大きな小屋がある。あれは家畜小屋か何かかな?
前世の“あたし”がいた時代、それよりも数世紀前に存在したカントリーハウスを思わせる。
「ここが……自称魔王様のお家?」
《まぁそんなところだ》
川からびしょびしょのままで歩いて(自称魔王様に勝手に体を動かされて)早1時間。
森の中に現れた巨大な建造物に僕は圧倒――なんかされてない。何故かって?理由は簡単。空腹、冷え、疲労の3コンボで意識を保っているのがやっとだからだよ。
今の僕は9歳だぞ。しかもネグレクトされてて、平均的な9歳の子供よりも栄養が足りてない。体力だって劣ってる。
つまり、何が言いたいかと言うと――僕はもう既に限界ってこと。
自称魔王様もそのことに気付いているのかもしれない。僕に一切話しかけることなく勝手に体を動かして、玄関から中に入っていく。
内装とか凄いんだろうけど僕は気にしていられない。体の支配権をほとんど魔王様に渡してるからされるがまま状態。
ただ……寒くて、眠い。
《まだ寝るなよ》
意識を手放そうとする度に、魔王様がそうやって声を頭に響かせてくる。
僕が死ぬと動かせる体がなくなるから、だから魔王様は僕の命をこの世に繋ぎ止めようとしてる。善意からの行動では全くない。
でも、それで良い。そっちの方が僕は安心出来る。
遠くて、朧げな意識の中で、僕の体を使っている魔王様が暖炉に火をつけた。
その後に、バスタブに湯を張ってる。
そして更にその後、どこかの部屋で毛布を引っ張り出して、厨房で湯を沸かしてカップに入れてた。
断続的に途切れる意識を何とか保とうとしてたら、いつの間にか作業が終わって僕は暖炉の前で毛布に包まって、お湯の入ったカップを両手に持ってた。
《飲んで温まってろ》
頭に響いた声。途端、体が少し軽くなった。
魔王様が僕の体から出たんだ。……何となく、そんな気がした。
「暖かい」
パチパチと音を立てて燃えるオレンジの炎。
それを眺めながら、僕はカップのお湯をフーフーと息を吹きかけて冷まして飲む。……温かい。
息を吐いて、飲んでを数分繰り返す。カップが空になる頃には、少しだけ体力と気力が戻った。
僕は初めて部屋の中を見渡す。
ここは寝室、なのかな?
大きなベッドとサイドテーブルがあった。僕が座っているえんじ色のカーペットの上にはロッキングチェアが。
ドレッサーとチェストと小さな本棚、大きなクローゼットは壁に貼り付けられるように置かれてる。
天井を見上げてみる。小さい6灯のシャンデリアがあった。
身支度と、寝るためだけの部屋っていう感じ。
「…………」
ベッドもバスタブも、厨房も何もかも人間が使うもの。
ここが本当に自称魔王様の家だ、って言うなら、魔王様は人間?それとも、人型の人外生物?
まぁどっちでもいいか。
カップをカーペットの上に置いて、僕はその場に横になる。
にしてもこの部屋、
「広いなぁ……」
僕が父親と住んでいた家よりこの部屋は広いかもしれない。
まぁ壁に穴が開いてたり、屋根がところどころ崩れて雨漏りしてたりでとても家と呼べるようなものじゃなかったけど。
父親は僕を売った金で何をしてるだろう……。また酒とかギャンブルかな。うん、きっとそうだ。
暖炉で温まりながら、僕はそこでうつらうつらし始める。
《おい、寝るな。風呂に入れ》
いつの間に戻って来たんだろう。また頭に魔王様の声が響く。
うるさないなぁ。
「起きたら……入る」
《今のお前は病原菌の塊だ。寝るならその菌を全部落としてから寝ろ》
まるでお母さんのお小言みたい。
命令されると余計入りたくなくなってくる。ほら、年齢的に今の僕って反抗期だからさ。
だから毛布を頭からすっぽり被って外界をシャットアウト。
《このクソガキ……!》
怒気を含んだ声が響く。
知らない、知らない、無視無視ってそのまま寝ようとしたら、また勝手に体を動かされた。
この寝室はどうやらさっき魔王様が湯を張ってた浴室に繋がってるみたい。僕の体を動かす魔王様は部屋の中のドアを開けて、浴室の前の洗面室で立ち止まった。
《このまま俺に入れられるか、自分で入るかどちらがいい》
「魔王様ってそういう趣味があるの?」
って思ったことをつい口にしたら両手でほっぺを引っ張られた。
入ればいいんでしょ、入ればね。
「でも僕、着替えとかタオルとか持ってないよ」
《そこら辺の棚にタオルとバスローブがある。勝手に漁って勝手に使え》
僕がそれに返事を返すよりも早くに、また魔王様が体から抜けたのかふっ、と軽くなった。
魔王様って男なのかな……?
なんて疑問を抱きつつ、タオルとかバスローブを探す。
「やっぱり大人用だ」
今の僕が着たら絶対に袖も余るし、裾も引き摺るな。でもまぁしょうがないか。
ボロ切れ同然の服を脱ぎ捨てて、いざ浴室へ。
「わぁ……!」
バスタブに張られてるお湯と、そこから立ち上ってる湯気にちょっと感動。
お風呂なんて生まれて初めて入る。奴隷商に売られた時も殺菌のためにお湯をぶっかけられただけだったからなぁ。(そうしないと衛生的に問題があって人に売れないからだよ)
石鹸も勝手に使っていいのかな。
「いいよね」
痣だらけの体を石鹸を使って洗っていく。
菌よ、落ちろ。
前世の“あたし”が長風呂好きの日本人だったからかもしれない。今世の“僕”も1時間ぐらい満喫しちゃった。
――――
――――――
――――――――
「良いお湯でした」
ダボダボのバスローブ姿で寝室に戻った僕は、満足感と幸福感でご満悦。
塗れた髪をタオルで拭きながら、暖かい暖炉の前へ。
《乾かさなくていい。そこの鏡台の椅子に座れ》
「はい?」
何で?と思ったけど、言われた通りにすることにした。だって反抗しても、また体を勝手に使われるだけだろうし。
この椅子、僕にはまだちょっと高いや。
前髪の隙間から見えた鏡には、前髪で顔が隠れたやせ細ったみすぼらしい子供が映ってる。うん、つまり僕だ。
《まずはこの鬱陶しい前髪からだな》
「え……?」
どういうこと?って尋ねる前に、また体が勝手に動かされる。
引き出しから出した鋏で躊躇なく髪を切られるもんだからビックリした。
ちょっ、ウソウソウソ!?
待って!とばかりに僕は鋏を持つ右手に力を入れた。
《何だ》
「何だ、はこっちが聞きたいよ!髪を切るなら髪を切るで一声かけてくれてもいいでしょ」
《言っただろう?鬱陶しい前髪からだ、って》
「切るとは一言も言ってないじゃんか!」
《黙れ。変な髪型にするぞ》
「何、さっきの仕返し!?そういう趣味があるの、って聞いたこと怒ってるの?」
《片目ぐらいなら潰してもいいな》
「ごめんて!謝るから許して!」
右の眼球に近付いて来た鋏の切っ先。
本気で潰そうとしてくる魔王様に謝りながら、僕は右手を必死に遠ざける。
《黙って待っていろ。すぐに切り終わる》
「はい……」
そのまま慣れた手つきで髪を切っていく魔王様。
僕は僕で体の支配権を全部明け渡して、変な髪型にされないか鏡に映る自分をじっと見つめていた。
前髪が切られて視界が広がる。鏡の中の濃紺の瞳と目が合った。
へぇ。僕、こんな瞳の色をしてたんだ。
家に鏡はなかったし、窓とかも汚れててこうやってまじまじと自分の顔を見たことがなかったんだよね。
なんかこの顔、どことなく既視感があるような……とも思ったけど、自分の顔なんだから当然か、って勝手に疑問を抱いて、勝手に納得。
鋏の音と髪が切れていく音を聞きながらボーッとしてたら、タオルで髪をわしゃわしゃされた。
大体切れたから、後は乾かして整える作業に移りたいんだろう。
うん、やりたいことは分かる。だけど力加減荒いな!地味に痛いじゃないか。
数分後――
髪をショートに切り揃えられた“僕”が鏡の中にいた。
視界、良好。
バスローブにかかった僕の花紺青色の髪を自称魔王様がタオルでパタパタはたいていく。
僕がその作業を意識の端で眺めていたら、床に落ちた髪がひとりでに動いて暖炉の中に入っていくのが見えた。……なにこの超常現象。
「魔王様、僕の髪に意思が宿った」
《は?》
「今、勝手に動いて暖炉の中に……」
って言ったら、「あぁ」って納得したような魔王様の声が響いてきた。
珍しいことではないの?この世界ではよくあることなの?
頭の中を疑問でいっぱいにしていたら、魔王様から答えが返ってきた。
《屋敷を綺麗に保つ魔法がかけられているからな》
「魔法……!」
この世界には前世の“あたし”が住んでいた世界とは違って魔法というものが存在する。
貧民街にいた僕でもその存在は知っていたし、何度か目にしたこともある。
だけど、
「魔法ってそれぞれ属性があるんでしょ?それは何属性の魔法?」
火、水、風、地の四大属性と、そこから派生した雷や氷、樹、音とか。魔法にはそれぞれ属性があるって聞いたことがある。
だけど人間全員が全員、その全ての属性を使えるわけじゃない。使える属性はその中の内の1つだけで、その属性が分かるのは魔法を初めて使った時らしい。
もっとも、人によって魔力の保有量が違うから魔力をちょっとしか持っていない人間は魔法を使えない。だから、魔力を有してる魔石とかいう石を使って魔法を使う人もいるとか、何とか。
魔法は誰かに教わったり、本とかを読んで独学で勉強して磨いていくらしい。基本は初歩の初歩魔法を親に教えてもらって初めて属性と魔力量が分かる、って感じ。
だから、親にも周りの人間にも恵まれない人間は自分が何属性を使えるのか、魔力量がどれくらいなのかを知らない。最悪、魔法っていう存在を知らない人間だっている。
ちなみに僕は魔法の存在は知れど、自分が何属性持ちなのか、魔力量がどれくらいあるかは知らない。
僕の質問に、数秒遅れで魔王様が返事を返してくる。
《……魔法は知っていたのか。誰から聞いた?親か?》
「え?あ、ううん。片腕のおじさん」
《はぁ?》
何だそれ、って感じの魔王様の声が響く。
だから僕は懇切丁寧に自分の両親がろくでもないことと、その片腕のおじさんについて説明する。
そう、あの片腕のおじさんと出逢ったのは7歳の時――