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犯罪物語

桜の木チップ

作者: 黒森 冬炎

 男は、燻製料理に嵌った。うっかりその話をしたら、同僚がマウント取ってきた。


「桜使ったら他のには戻れませんよねぇ」


 男が使うのは、初心者向けの安い燻製チップだ。中華鍋に足付きの網を置いて、密閉にはホイルを被せるお手軽燻製である。チップの素材など知らない。


 スモークチーズやスモークドタンが好きなのだ。それを知っている姪っ子が遊びに来た時、都会のアパートでも燻製料理が出来ると教わった。


 山メシ自慢の姪っ子から簡易燻製の作り方を聞かされたのである。酔っ払いトークなので、燻製肉が美味いという言葉が5分ごとに繰り返された。終いには山頂でやると苦情にも繋がる、みんな心が狭い、と管を巻き始めたのでお引き取りいただいた。


 男が作る燻製は、その辺で買えるプロセスチーズや安いパック売りのハムが材料である。味を語るほどの探究心は見られない。水分量の少ない歯ごたえと、独特の煙臭は好きだ。


 だが、それ以外のことを聞かれても答えることなど出来ず。香りも味も、チップの素材で変わるのだと聞いたことはあった。しかし男には、一切区別がつかない。



(旨ければいいだろ)


 男は淡々とレモンサワーのジョッキを傾ける。


「へーえ、桜の木を使うんですかぁ」

「知らなかったぁ」

「詳しいっすね」


 若い女性やパート事務員が同僚を誉めそやす。ささっと距離まで詰めてゆく。なにやらよくわからない専門用語が飛び交い始め、男はそっと席を立つ。


「ここ、置いときますね。お先」

「あ、ども」


 お皿の下に三千円を挟んで帰ったのだ。トラブル防止に写真も撮って。


「そこまでするぅ?」


 同僚たちはチラリと蔑みの視線を向ける。昔、何回も支払わされた苦い経験があるのだ。それ以来、なるべく先には帰らない。だが、同時に帰っても出さなかったと言われることもある。


(来ないのが一番いいが、そのせいで理不尽に仕事を押し付けていい奴認定されたこともあるしなあ)


 この職場で、男の転職は3回目。転職する度に収入も待遇も物理的な職場環境も悪くなる。理不尽から逃げても良いことはひとつもなかった。まさしく、フライパンから火の中へ。



 男は鬱々とした表情で改札を通る。半端な時間である。一人で飲み直す元気もない。電車は空いていた。単調な車輪の音と車窓の向こうに流れ去る街の灯りが、男の心を暗くする。


(どうせ死ぬなら一人は嫌だなあ)


 酔った頭が理屈の通らない結論へと導く。


(あいつの家、桜の木から作ったとかいう高級な燻製用チップがたくさんあるのかなあ)


 マウント同僚をぼんやりと思い出す。


(聞いてみよ)


 脈絡もなく、職場の飲み会用グループトークに質問を送る。そのままトークを送信したことも忘れて、自宅の最寄駅で降りた。



 コンビニで飲み物とツマミを買って安アパートに帰宅した。ポケットからスマホを取り出すと、トークアプリに友達申請が来ている。


(んんー?)


 桜チップ同僚からだ。グループトークの発言には、誰からも返事がないのに。


(ふーん?)


 友達に追加して一言送る。


「何ですか?」


 着替えてテーブルに戻ってくると、返事が来ていた。


「何ですかじゃねぇよ」

「今度ウチ来いよ」

「桜の食わしてやる」


(マウントかよーしつこいなぁ)


 相手も酔っ払いなのだ。深く考える必要はない。だが、一人で飲み直し始めた男は、そこに気づかず無駄な会話を始めた。


「まだ店ですか」


 なんと、素早く返信が来る。


「いや、もうウチ」

「え、会社から近いんですか」


 飲み会は会社の近くだった。男が帰った後、早々にお開きとなったらしい。


「わりと近い」


 また返信が素早い。


(ふーん)


「今どこ?」


(何で?)


 男は、不審に思いながらもやりとりを続ける。酔っ払いだからである。


「家です」

「家、会社から近いの?」

「まあまあですかね?」

「俺、会社から5駅」


(えっ?)


「下り方面ですか?」

「そ」


 男は顔を顰めてカップ酒を開ける。休日に作った自家製スモークチーズも皿に出す。


「何駅?」

「5駅です」

「お?」

「何ですか?」

「お前、何ですかじゃねぇよ」


 男は酒をグビッと呑んで、コンビニツマミの小さな酢の物パックをつつく。


「なんで敬語なの」

(今度はなんだよ)

「お前同期だしタメじゃん」


 同時期に途中入社した同士を同期と呼んで良いものかは微妙だ。同僚は旅行が趣味で、お金を貯めては会社を辞めて海外の山谷を彷徨うとか。


(自由すぎるだろ)



 男は会話に飽きて、ひたすら呑む。


(そろそろシャワーして寝るか)


 明日は休みだ。もう少し呑んでも良いが、冷蔵庫から買い置きのビールを持ってくるのも面倒だ。男は、酒だけにはある程度金をかける。珍しい銘柄をみつけると買い置きしていた。以前の職場でうっかり漏らしたら、高級洋酒コレクターにマウントを取られた。


(どこにでもマウント野郎はいるよなぁ)


 シャワーから戻ると、トークに桜チップ同僚の発言が追加されていた。


(増えてる?)


「明日ウチこいよー」

「駅一緒なんだろ?」

「駅で待ち合わせな」

「10時でどう」

「飯食おうぜ」


(何だこいつ、怖ぇ)



 翌日は何事もなく、職場でも普通だった。やはり酔っ払いの戯言だったのだろう。そう思って、男はその夜の出来事を記憶の片隅に押しこめた。


 そして、数ヶ月経ったある日のこと。男はとっくに燻製料理など飽きている。


「よー!やっぱり同じ駅かよ」


 マウント同僚が、地元駅の近くで声をかけてきた。途端にあの日交わした酔っ払いトークが蘇る。


「なあ、最近燻製作ってる?」

「もう飽きました」

「そっかぁ、俺も飽きてさ」

「はあ」

「桜チップ大量に余ったんだわ」

「そうですか」

「まだ燻製やってんならやるけど」


 男はふと、姪っ子を思い出した。つい先週も遊びに来て、渓谷で燻製を作った話をしていったばかり。


(あいつ、欲しがるかな?)


 男は成り行きで同僚の家までついて行った。安アパートでもなければ高級マンションでもない。海外旅行に行く時は引き払うそうだ。


「そろそろまた海外行きたくてさ」

(またマウントか?)

「持ち物処分始めたんだよね」

「はあ」

「桜チップ以外にも、欲しいのあったら言ってよ」


 同僚の家にはたくさんの強い酒があり、男はマウントを取られながらもご馳走になった。かなり酒が回ってきた頃、同僚が戸棚から七輪を取り出した。


「一昔前に、家庭用七輪で一酸化炭素中毒騒ぎがあったよなあ」


 そう言って同僚は、手の届く場所にあった焼酎のボトルから直飲みを始めた。


(こいつ、ずっと同じ調子で酔ってる)


 同僚は、すぐに酔うが潰れず、そのまま延々と呑むタイプだったらしい。


「集団自殺でも使われるんだってな」

(そういうのやめろ)


 男は黙って缶酎ハイを開ける。同僚の部屋に来る途中で買ったものだ。同僚の提供してくれた酒や食べ物はあらかたなくなってしまった。残っているのは、2人で買ってきた分の缶酎ハイと同僚が今口のみしているボトル、そしてツマミは冷凍たこ焼きくらいだ。


「眠そうだな」

(こんだけ飲めばな)

「そろそろ帰ります」

「おう、桜チップ持ってけよ」


 同僚はまだ焼酎ボトルを離さず、ふらふらしながら未開封の燻製チップを積み上げる。男はその淡々とした作業を見ているうちに、眠気が耐えられないほどになってきた。


(うーん、ぼやけるな)


 2人は低いテーブルを挟んだソファで呑んでいた。ソファは座り心地が良く、男はだんだん沈み込む。霞んでゆく視界の中で、同僚は銀色のダクトテープを手にして何処かへ向かう。


(何してんだ?)


 桜チップの袋を纏めてぐるぐる巻くなら、ここでやれば良い。袋は置き去りである。だが、男は同僚の行先へ顔を向ける気力はない。


(眠いなあ)


 帰らなくては、と思いながらも立ち上がるのが億劫だ。


(5分だけ目を閉じるかぁ)


 ぐらぐらと頭を揺らして、男は睡魔に負け始める。途切れ途切れの聴覚が、テープをびーっと繰り出す音を拾う。


「むにゃにゃ」

「だはっ、何言ってんだかわかんねぇよ!」

「テープ?」

「いいから寝とけ」

「や、おりぇ、かえんぬぁいと」

「いいから」


 同僚が今度は着火用の細長い道具を持ち出した。一瞬覚醒した男は、じっと同僚の手元を見る。同僚は、いくつか七輪を並べた。そこへ次々に桜の木で作られた燻製チップを注ぎ込む。その後で、炭を埋め込む。


「んー?」

「何だよ」

「や、こっちが、ききたいっ、何ですか」

「だはは」


 同僚は炭に火をつけながら笑う。男はとうとう目を閉じた。




「ごほっ」


 あまりの煙さに男は目覚める。


「な、何だっ?」

「ごほごほ」


 目の前には同僚が鍵フックに鶏肉を引っ掛けたものを両手に持って立っていた。咳き込みながら。


「えっ」

「旨いの食わしてやるからなー」

「あんた、いい加減にしろ!」


 一気に覚醒した男は、目の前で完全に酔っ払っている男から生肉を取り上げる。


「窓開けるぞ」


 袖で口を塞ぎながら窓に行くと、銀色のテープで目張りがされていた。残り物を使ったらしく、途中で足りなくなっている。鍵は潰されておらず、窓はテープが貼られていない部分が普通に開く。


「よく火災報知器が鳴らなかったな」


 男はすっかり乱暴な口調になった。


「???」


 同僚はぺたんと床に座っている。濁った目で周りを探り、少しだけ残っていた焼酎ボトルに手を伸ばす。


「お前も呑むか?」

「いや、あんた、水にしろ」

「ん?うん」


 同僚が台所に行った。水道を出して眺めている。ざあざあと音を立てて、水は排水溝に消えてゆく。


「しょうがないなあ」


 男はテーブルからプラスチック製のコップを取り上げた。そのまま台所へゆき、水を汲んで同僚に渡す。


「ほら、水飲んどけ」

「あー、うん」


 同僚はシンクの縁に片手をついて、水を一気に飲み干した。


「おっ、うまい!」


 また何かのスイッチが入ったらしく、同僚は何杯も水を飲む。男は換気扇を回す。


(窓開けると本当は効果ないらしいけど)


 室内が煙すぎて、そんなことは言ってられない。窓際の煙は少なくとも窓を開ければ出てゆくだろう。


「ほら、一旦外出るぞ」


 廊下に煙が漏れたら騒ぎになりそうだ。ドアはきちんとしめて人間だけ部屋から脱出した。


「何やってんですか」


 男は落ち着いてきた。


「いや、桜チップの燻製食わしてやるって言ってんだろ?」

「勘弁してくださいよー!」


 酔っ払い同僚は、部屋を目張りして自室全体を使った燻製を作ろうとしたらしい。



お読みくださりありがとうございます

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読み進むにつれ、ハラハラ。 え? これホラーだった? いや推理だよね。でもなんか怖いー。 主人公さん、無事でよかったです。 [一言] 「殺人かと思ったら同僚に悪気はなかった、というオチ」っ…
[一言] 酔っ払いのトンデモ行動だったのか、それとも確信犯だったのか… 同僚さんの本心が気になります!
[良い点] 同僚さんの不穏な発言と危なっかしい行動に、冷や冷やさせられますね。 この同僚さんは、潜在意識下に抑えてある破滅願望が酔うと顕在化するタイプなのでしょうか。 「酔っ払った状態で火を扱うのは危…
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