出会い
じわじわと意識が覚醒していく。
少女は薄く目を開けた。寝起きの瞳はぼやけてはっきりと像を結ばないが、黒い影のようなものが視界の中央に見えて、押しのけるように手をのばす。
力のほとんど入っていないその手は、何だか柔らかいものに触れた。
「あ、れ…?」
何だろう、と少女は手を動かす。
しっとりとしていて、弾力があって、少し温かい。
それがどうやら人の肌らしいと気がついて、少女は目を大きく見開いた。
眼前には、男の顔があった。
年は20代の前半頃だろうか。この国にはさして珍しくない黒髪に青の瞳。けれどもその瞳に温度は無く、整った顔立ちも相まって、冷たい印象を与えている。
男は氷の無表情で少女を見下ろしていた。
「起きたか」
少女に掛けられる声には何の感情も見られない。
少女は今ひとつ状況を掴めていなかったが、取りあえず頷いて身を起こす。
「いきなりだが聞きたいことがある。正直に答えてくれ。お前は」
「少し、待ってください」
少女は困ったように首を傾げる。浮かべられた表情はほんの幼い子供のように稚く、男は喉元から出ようとしていた言葉を飲み込む。どことなく、ひるんだような表情だった。
少女は男の様子を気にすることなく続けた。
「まず状況を確認したいのですが」
「……状況」
「ええ。何しろ起きたばかりなので。何が何だか」
少女は辺りを見回す。見上げるほどの大木と朝露に光る苔の大地。それだけの情報で場所の特定はたやすい。
木の陰に獣の瞳を見たような気がして、少女は男の顔に視線を戻す。
「まず、今は萌木の月の何日ですか」
「13日だ」
少女がダンジョンへ立ち入ったのは12日なので、あの魔物との遭遇からまだ一日もたっていない計算になる。
一度意識を失っているからか随分と昔のことのようだ。
「俺がお前を見つけたのが昨夜。軽い怪我をしていたようだったから腰の水薬を使わせてもらった」
言われてみれば確かに体には痛みや傷は無い。礼を述べれば、男は冷たい表情を崩すことなく頷いた。
なんとも感情の読めない男だ、と少女は思う。
表情にも視線にも口調にも仕草にも彼の心の内は表れない。
「ここは、天狼の森の浅層ですね」
わずかに、男の眉が動いた。何を当たり前のことを、と言いたいらしい。
「通常このダンジョンの浅層にスネアウルフは出ないはずです」
無言の肯定。
それを確かめてから、少女は本題に入ることにした。すなわち、あの異様な体躯のスネアウルフについての話題に。
男はやはり驚いた様子を見せなかった。それどころか、少女の話がおおかた終わったと見て取ると、俺はそれについて調べにここまで来たのだと述べさえした。
「では、あのスネアウルフを見たのですか」
「いや。どうやら奴は相当鼻が利く。俺を警戒して姿を現さない。昨日一日探し回ったが、見つかるのは冒険者の死体ばかりだ。」
少女の脳裏にエディン・サンティの首がよぎる。どうやら犠牲者はエディンとその仲間たちだけではないらしい。低ランクの冒険者が集まるこの森に幾つ首が転がっているのか、考えるだけで気が滅入りそうだ。
冒険者ギルドは何をしているのかと口に出しかけて、思いとどまる。
なるほど、この男こそがギルドの寄越した調査員なのか。
「とにかく、そのスネアウルフについて今少し詳しく聞きたい。異常なのは体躯だけか。それとも特殊能力を有しているのか」
少女は首を傾げる。魔物の中には雷を落としたり、火を吐いたりといった規格外の力を有するものがいることは知っていた。しかし、昨夜のスネアウルフは魔物という括りの内でも、どちらかと言えば普通の動物に近い動きだったように思う。勿論その毛皮の堅さや爪の鋭さは、普通の動物には有り得ないが。
ただ気になるのが、エディン・サンティが火属性の防御系統の魔法【フレイムシールド】を使うことができたという点。もし彼が呪文を詠唱する暇もなく首を飛ばされたのならまだ良い。けれどももしフレイムシールドを展開する猶予があったとすれば。
あの魔物の攻撃に、魔法防御は意味を為さないということにならないだろうか。
「その推測が正しいとすると厄介だな。応援を呼ぶべきかもしれない」
男は無表情で淡々とそう口にした。口にはしたが、それが難しいだろうことは男自身分かっていた。
今コルディエで動ける人間で、自分より強い者はいない。そして弱い者を連れて来れば、死者を増やすだけの結果に終わるだろう。
思案する男の前で、少女が不思議な色合いの瞳をゆっくりと眇めた。
「それは、どうでしょう」
何がだ、と問いかける男に、応援を呼ぶことです、と少女は答える。
「スネアウルフはAランクの魔物。その強化種であれば、Sランクにまで届くかもしれません。Sランクの魔物に対抗できるのは同じくSランクの冒険者、もしくはよく訓練されたAランク冒険者のパーティー。コルディエは冒険者の集まる街ですが、高ランクの冒険者は少ないはずです。おそらく、応急処置的に、実力の足りない冒険者が送られる。最悪、Bランクの冒険者が」
男はわずかに目を見開いた。それは、少女の考察があまりに的を射ていたから。
男は頷く。
「ああ、そうだ。そうなるだろう」
男の肯定を聞いて、少女は内心でやはり、と独りごちた。
この男はギルドの内情をよく知っている。返答に淀みがない。それに、スネアウルフの話を聞いても、恐怖や気負いを感じていないようだ。
「あなたは、Sランクの方なんですね」
問うというよりは、確認する口調だった。
男も特に隠すつもりは無いようで、言葉少なに肯定の意を示した。
少女は一瞬だけ、言葉を探すように口を結んだ。それと反比例するように、霧のように茫洋とした彼女の瞳がきらりと光る。
それなら、と少女は言った。
「私を囮にして、二人であれを狩りませんか」




