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砂の丘、銀の墓標  作者: 潮見若真
第四章 アスカの村
33/58

33.少女

「――ハル? ――ハル!」


 頭上から声を掛けられて、薄っすらと目を開ける。

 岩の隙間から、焦った声で呼びかけている男。


「あー。ナギさん?」


 ぼんやりと声を上げた。


「無事か? 今そちらに行く」


 そんな声がして、少しの間があって、すぐに背中を支えられて身を起こされるのを感じた。


「おい、大丈夫か?」


 それまでのいい気分をぶち壊すみたいな、切迫した声で問われる。

 せせらぎの美しさにまだ心を捉われていたハルは、あいまいな意識の中で「うん」と頷いていた。

 何しろ早く、ピアノの鍵盤に指を触れたかった。この気持ちを忘れないうちに。


 ふっと抱え上げられて、じんわりとした体の痛みを感じながら、ハルは目を閉じる。


「あー。キレイだね」

 呟く。

「……死ぬかと思ったけど」


「川の淵は崖に面しているからな。村の人間は近づかないんだが」

「そうなんだ、キレイなのに」

「なに?」


 意外な言葉でも聞いたかのように、ナギが疑問の調子で答えた。

 部屋に運ばれて温かい布団に包まれて人心地つく。今さらながら、あの場所の寒さを思い出していた。


「ここは川があるんだね」

 毛布をかき合わせながら、ハルはぼんやりと声を上げていた。


「ああ。前時代の名残だな。斜面が急で危険だから、いずれ改修しようと思っているのだが」


 まだどことなく緊張したような口調で言う男に、ハルはあいまいな瞳を向けていた。


「勿体ないな。いいところなのに」

「きみだって、落ちて危険な目に遭っていたじゃないか。まったく――なかなかの冒険家だな。そもそもあのシンジュクに入ってみようと思うくらいだものな。オキが気に入るだけのことがある」


 また独り言のように言って、ナギはハルを覗き込む。

「それより、ケガはないか? いや、あるな。そうではなく新しいケガだ」


「ないと思うよ。どれが新しいケガでどれが古いケガか分かんないけど」

「今度この村できみに何かあったら、オキだけでなく周囲の村々の連中からも吊るしあげられる」


 またぞろ苦い顔をしたナギに、ハルはゆっくりと視線をやって。


「ナギさん、よくあの場所が分かったね」


 言うと、ナギはベッドに腰かけたハルを見下ろすように立って、腕を組んだ。


「あの、サヤが、報せに来てくれたんだ」


 少し考えて、思い当る。

「あー……あの女の子?」


 この村で最初に目覚めたときに見た。そしてさっき、渓谷に足を取られて落ちたときに。

(逃げ出したわけじゃなくて、ナギさんを呼びに行ってくれたのか)


「ああ。彼女はきみが眠っている間、ずっと気にして看病をしていたよ」

「えっ、そうなの?」

「村に同年代の子供が少ないから、珍しかったのかもしれないが」

「彼女は攫われなかったんだ」


 ナギは「いや……」とわずかに口ごもるように否定して、


「サヤは、『客』なのだ」

「客?」

「ああ。前の冬にやってきてな。砂漠で迷っていたらしい。特にさせることもないので最初は私からきみを見ていてもらうように言ったのだが、よほど心配だったようだ」


「そうなのか。言ってくれれば良かったのにね。おれ、避けられてるんだと思った」


 次に会った時に、お礼を言わなくちゃ。そう思いながら呟くように言うと、


「あの子は話ができないのだ」

 部屋の外を軽く振り返るようにしながら、ナギが言う。


「……話ができない……?」

「そう。どうも言葉が分からないらしい。声は出るようだし、文字はある程度読み書きできて、知っている単語もあるので筆談で最低限の意志の疎通はできるのだが……」


「……そうなんだ」

「ああ。ともかく彼女が、きみが渓谷に落ちたと教えてくれたから」

 

 ナギはそう言って、小さくため息をついた。

「きみはこの村にとって――いや、この世界にとって大事な人間なのだ。あまり無茶なことはしないでくれよ」


「分かったよ、ごめん」


 そう言うと、ナギは軽く息を落として、


「夕食を運ばせよう。温まったらベッドに入る前に砂を落とせよ。それから、きみに頼まれていたものが準備できたので、あとで持ってくる」


 そう言って立ち去ろうとするナギを、


「ナギさん」ハルは呼び止めた。


「この村には、ピアノはないの?」


「ピアノ?」

 入口のほうへと足を向けていたナギが、顔だけ振り返る。

「それはどのようなものだ?」


「あーっと。楽器だよ。黒くてテーブルみたいに大きくて……音を出すとこは白と黒の棒が歯みたいに並んでるんだ」


 ナギは体をこちらに向け、少しの間考えるようにしていたが、

「すまんが、思い当るものはない」


「そうか……」

 これだけ大きな村ならあるんじゃないかと思ったのだが。それともヤマトのように、どこか深くに埋もれてしまっていて気づく者もいないのか。


 よほど落胆しているように見えたらしい。ナギは、

「通商のある村に声を掛けて、探してみようか?」


「いや、いいんだ。それは」

 両手を上げて、止める。


「まあ、持ち帰りたいものがあれば言ってくれ。できるだけ用意しよう。ヤマトに帰る時に持たせるが、荷物になるようなら後で運んでもいい。今後、ヤマトとの通商を優遇するように取り計らおう」


(商売の話じゃないんだけど……)


 勘違いしているナギ。最初の出会いから考えると、気味が悪いくらいの親切っぷりに、ハルは内心で苦笑する。

 本当に、この計画に期待しているんだろうな。「希望の種」というのを持ってきたハルへのあの仕打ちを、心底から申し訳なかったと思っているのだろう。


 そうしてふと思いついて、


「ナギさん、子供はいるの?」


 聞くと、ナギは「いや」とゆっくり首を横に振った。


「私は独り身なのだ。村のみなを我が子と思っているし、攫われた子らはみな私の子供も同然だ。だが――」


 ナギはまた腕を組んで、戸口の柱に背を持たせた。


「あの時――」


 あの時、というのがそこに落ちてでもいるかのように、ナギは眉を寄せて床を睨んでいた。


「われわれの抵抗は、一切通用しなかった。アスカはそれなりの軍備を持っていると自負していたにも関わらずだ。そして、潜在的なシンジュクへの恐怖もあった。……抗ったところで敵うはずはないと、頭の隅で思っていたのだ」


 俯き気味に、ナギは視線だけハルへと向ける。


「オキの言った通りだ。最後には、私は子供たちを差し出すことにした。抵抗を続けてもっと大きな犠牲を出すことを、私は避けなければならなかった。村全体を守るために、子供たちを手放した――」


 ナギはそこで息をつくと、しばらくためらうようにして、それからまた口を開いた。


「どの村も、似たようなものだろうが、抵抗して死傷者を出した村も少なくはない。早めに降伏することで、アスカは子供を攫われる以外の被害を出さなかったが、それを誇れるはずもない。むしろ恥ずべき判断だったと。……後悔している。犠牲を払ってでも守るべきだったか。もっと何かできたのではないか、ほかの手はなかったのかと、あれからずっと考えている」




 ナギが部屋を出て行って少しの間があって、サヤという少女が部屋に食事を運んできた。野菜と肉を煮込んだシチューと、ヤマトでは食べたことがないほど柔らかそうなパン。


「あのさ、ありがとう」


 食事の支度をする少女に、ハルは声を掛ける。

 少女は動きを止めて、ちらりと目を上げた。茶色がかった瞳が、上目遣いにハルを見る。


(やっぱり、キレイな子だな……)


 この砂漠の村では少ない、同年代の少女。ルウはハルよりもいくつか年下だろうが、彼女は同じくらいに見える。


「えっと、眠ってる間、看病してくれてたって聞いて」


 サヤは無表情に、支度を続けだした。

 本当に、言葉が通じないのか。ナギは、彼女は声は出せると言っていた。口がきけないのではなく、言葉が分からないのか。


 それは、もしかして――。


 ハルは、ルウが最初にやったのを真似て手ぶりを交え、

「あの……おれは、チハル。きみは?」


 すると少女は、また目を上げた。


「……チハル?」


 初めて言葉を発した少女。その反応に、ドキリと胸が鳴った。

 気持ちを鎮めようと長い息をひとつついて。砂漠の村で久しぶりに発する、「昔」の言葉で、話しかける。


「……きみは……もしかして、スリーパーなのか?」

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