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砂の丘、銀の墓標  作者: 潮見若真
第一章 覚醒
3/58

3.日常

「シンドウー。おまえ、すっげえじゃん」


 一枚の紙きれをひらひらさせながらこちらに歩み寄ってくるのは、クラスメイトのフジタ。

 昼休みの屋上。


 フェンスを背に地面に座り込んで、カレーパンとパック入りのコーヒー牛乳の昼食をとりながら膝の上に広げた楽譜に目をやっている時――正確に言えば、いつの間にか譜読みの方に夢中になって、パンとコーヒー牛乳は脇に置いたまま忙しく楽譜の上で指を動かしている時。


 目を上げると、目の前に立ったフジタがこちらに突き付けているのは、新聞記事の切り抜きだった。


「あ!」


 パッと手を出して、その紙きれを奪う。

 大人から褒められるのはともかく、同級生にその記事を見られるのは少し気恥ずかしかった。


「おっ、こら、返せよ。サクライが持ってきたのだからよ。貴重なんだぞ、紙の新聞」

「わざわざ持ってくるかなー」

「ったりめーだろ? 同じクラスで机並べてるヤツが、国際コンクールの最年少優勝者だって? そりゃクラス中の話題よ。マジかよー」


 フジタは紙切れを奪い返すと、そのままフェンスに寄りかかって隣に腰を落とした。


「なーんか差が付いちゃったよなー」

「フジタだって、来月のコンクールは優勝狙ってるんだろ?」


 楽譜に目を戻しながら言って、思い返してパンを口に押し込んだ。


「なあ、ピアノ協奏曲だったよな、優勝記念コンサート」

「うん。ラフマニノフの二番」

「うっわ、マジかよ。ええ? すっげえな。やんの? マジに?」


 その反応に、ちょっと笑う。

「やるよー。めっちゃくちゃ楽しみなんだ」


「コンサートの打ち合わせはもう済んだの?」

 にやりと笑ってフジタが聞く。


 優勝者に与えられる、ピアノ協奏曲のコンサートへの出演権。それを手にした瞬間を思い出すだけで、胸が高鳴った。もごもごとパンを呑み込み、


「昨日。オケの人たちと、指揮者と会ってきた。明日っから合同練習なんだ」

「な、コンマス、どんな人?」


 指揮者やオケ全体のことよりも、最初にコンマスのことを聞いてくるのがフジタらしくて、また笑った。


「コンミスだったよ。若くて。芸大を卒業して、それから何年かフランスに留学して帰ってきたばっかりだって。パキパキしてて、なんか威勢のいい人だったなぁ」

「おー、いいなあ、おれも出てえ」

「動機が不純だからダメ」


 フジタは同じクラスのバイオリニスト志望者だった。中学二年の時に一度、何かの小さなきっかけで彼のバイオリンの伴奏を引き受けてから、よく話すようになった。

 差が付いた、などと言ってはいるが、この学校にいるということは誰も、何かしらの特技で国内の同年代者の中では最高レベルの実力を持っているということだ。国費で授業や一流のレッスンを受け、それなりの場所へと送り出される。

 もう漠然とした目標というレベルではなく、その道の第一歩を踏み出し夢をつかみかけているのだった。


「留学かー。やっぱいいのかな。お前も留学すんの?」

 フジタは胡坐をかいて空を見上げた。


「んー、どうかなー。金もかかるしなあ」

「そこだよなあ」


 でも、行きたいなぁ。世界に。

 もっともっと、いろんな曲が弾けるんだろうなぁ。


 視線を上げると、頭上には抜けるような青空が広がっていた。

 空と自分との間になんの遮るものもないように。目の前の、すぐ手の届くところに将来があった。


「あ、それよか。じゃあ今日帰りちょっとばか時間ある? タカハシとエモトとさ、夏休み明けのミニ・コンサートの打ち合わせしね? 何やるか考えないっとなー」

「ああ、そろそろ決めないとな」


 コーヒー牛乳のストローをくわえたところで、屋上の入り口から、

「シンドウー! フジター!」

 高い声がかかる。クラス委員長のサクライが仁王立ちで立っていた。ソプラノ歌手志望らしく、ちょっと叫んだだけでも通るいい声をしていた。


「こんなとこにいた! 探したよ。この後の臨時の健康診断、呼ばれたクラスから行くから、午後の授業は全部自習だって。よろしくね!」


「健康診断?」

 委員長の後姿を見送りながら呟くとつぶやくと、フジタがフェンスから身を起こした。


「ああ。そういや昨日の夜、メール来てただろ? なんか健診があるって」

「来てたっけ?」

「見てねえの?」

「昨日は帰りが遅かったし、メールチェックしてなかったかな」


 考えつつ、首を傾げた。


「なんでこんな時期に?」

「そりゃ、だから臨時の、だろ

「ふうん……」

「面倒だけど、自習はラッキーだな」

「だな」


 それならもう少し、楽譜を見ている時間が増えるな、と思った。

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