15.懇願
「最後にひとつだけ――」
トキタは地面に膝をつき、両手をつき、
「頼む」
上半身を地に伏した。
「時間をくれ。協力してくれとは言わない。私が最後に、それをやるだけの。それが終われば――」
ハルは目を細め、懇願を続けるトキタの頭に照準を定める。そうして吐き捨てるように、
「結局、命乞いかよ」
「違う! そうじゃない!」
安全装置を外す小さな音が、静かな室内にやけに固く響く。
「頼む。この通りだ。そうでないと、私は……私がこの二十年、どうにか生きてきた意味がなくなってしまう」
「意味なんて」
引き金に掛けた指に、わずかに力を籠める。
「なかったんだよ。もともと。これまでやってきたことにも、これから生きてくことにも」
「違うんだ」
伏せたままのトキタが、どんな顔をしているか分からない。けれどその声が、震えていた。
「あるんだ。私にも、きみにも」
「ないよ。もう、なくなった」
どうして、おれはまだ引き金を引かないんだろう。
こいつを殺して、この無意味で余分だった人生をさっさと終わりにして、みんなと一緒に眠りたいのに。
なあ、みんな。早く来いって、呼んでたよな。
「子供たちを、村に返す……せめて、」
やめろよ。
ぎゅっと目をつぶる。
「それだけでも」
やめろ。
引き金を――。
大きく息を吸って吐きだし、それからハルは宙を仰いだ。
引け。
たったその一瞬で、終わる。
(撃てよ……)
見上げた先に、薄暗いLED照明をつけた低い天井があった。白い光が、視界に滲んだ。
この低いフロアの、上だか下だか……そこに、あと二千もの人間が……。知らないうちに眠り、眠っている間に死んで弔われることもしなかった、哀れな魂の抜け殻が、ある。
そいつらの怒りを、今、ここで。おれが。
もう一度大きく息を吸って、トキタに視線を戻す。
銃口の向かう先にいるのは、床にひれ伏す小さく無力そうな老人だった。
「あんたは……」
苦しい言葉を吐きだして、奥歯を噛みしめた。
「おれに、自分を憎めって言った」
「ああ」
「なんで、……その、あんたが……」
トキタが頭を上げる。
そのまなざしは、やはり無力で、哀れで。
その額を捉え。ハルは銃を持つ右手に左手を添える。かすかに手が震えていた。
「なんで……」
二千もの。叶えられなかった夢が、報われない想いが、この空間に充満している。それがきっと、この息苦しさの……。
悔しいだろ。
なのに。なんで?
子供たちを、村に返す? 都市を破壊する?
『この都市は、人を狂わせる』
(本当だよ)
狂った人間の作った、狂った都市。
人に狂気を植え付けずにはおかない。
「じゃあなんで、あんたは……悪人のまま憎まれて、殺されてくれないんだよ」
「チハル……」
「それじゃあ、おれが……おれのこの半年のほうに……意味がないじゃん……」
銃を下ろすのと同時に、フッと力が抜けてその場に膝をついた。
「……くそッ」
目を閉じると、涙がぽろぽろとこぼれた。
「おれがっ……この半年、どんな思いで毎日……」
涙が床に落ちて、小さな水たまりを作る。
「あいつらが、『なんでおまえだけ』って……。だからっ、おれは、あんたを殺して、おれもそっち行くからって、毎日あいつらに」
「チハル」
トキタが一歩にじり寄ってきて、肩に手を掛けようとする。
「触んな!」
その手を払いのけて、
「あと……」
こぼれる涙を拭いもせずに、トキタへと目を向けた。
「どれだけ待ったら、開放される?」
トキタは、もう「すまない」と言わなかった。
何も言えない、ようだった。
分かっていた。彼らが死んだのは、トキタのせいではないのだ。トキタはおそらくこの馬鹿げた計画を決定した者ではなく、二〇六〇年代の馬鹿な大人たち、大勢の中の一人に過ぎないのであって。
けれど、「彼ら」の身に起きたことを怒れるのはもう自分しかいなくて、その怒りを向ける相手はトキタしかいなかったから。
この老人が、諸悪の根源であるべきで。
その罪を糾弾されるべきで。
この男が、自分よりもはるかに長い時間、この同じ苦しみと痛みに耐えて、同じ罪悪感を抱えて生きてきた存在であるなど、認めるわけにはいかないのだ。
――いかなかったのだ。
目覚めて砂漠に放り出されてから半年間。心を支えていたものが、ぽきりと音を立てて折れるのを感じた。
かなり長いこと、座り込んで泣いていたような気がする。唇を引き結び、じっと、床の一点を見つめていた。
床の水たまりが大きくなっていくことにいい加減でうんざりしてきて、ハルは腕で顔を拭って立ち上がった。
「チハル?」
目の前に膝をついたまま、トキタが顔だけ上げる。
「もう、行く」
「どこへ?」
「さあ」
「やっぱり」
トキタに背を向けて、
「あんたは許せない。殺したい。けど、少し待つことにする」
トキタが立ち上がる気配がしたが、振り返ることはできなかった。
「協力はしない。けど邪魔もしないから、さっさと片付けてくれよ」
「ありがとう」
(くそッ……)
もやもやとしたものを抱えながら、馬を駆っていた。
トキタを殺せなかった。
(なんで……)
唇を噛む。手綱を持つ手に、思わず力が入っていた。
どこに向かうともなく、砂漠の中を走り回って。
これからどうしようか。
あいつがやることを済ませてもう死んでもいいと言うまで、待つのか?
それまでここで独り、生きていられるのか?
(それとも)
全部放り出して、すぐにどこか遠いところに行って一人で死のうか。
もうトキタのことなんか、どうだっていいような気もしていた。
彼らのためにあいつを殺すこともできないなら――いや、トキタを殺したところでだれの弔いにもならないなら。さっさと自分一人で死んだ方が。
(それでみんな、許してくれるか?)
(そっち行くからさ)
(おれ一人だけ、生き延びて幸せになったりしないよ)
二度と姿を見せなければ、ハルは死んだと思ってトキタはその罪の重さがほんの少しだけでも増したと感じてくれるだろうか。そんなものが、トキタへのささやかな復讐になるか?
走り回って、再びヤマトの村が見えてくるころには砂の地平線に日が落ちていた。
とりあえず、馬と銃は村に返しておこう……。
手綱を引いて馬を村の入り口へと進めようとした時、
「ハールー!」
村の入り口から一頭の馬が勢いよく飛び出してきた。
その背に乗る小さな影。
「……ルウ」
ぼんやりと見ているうちに駆け寄ってきた馬の上で、赤毛の少女は泣き出しそうな顔をしていた。
「ど、どうしたんだ?」
「ハル! 良かった!」
「……は?」
「もう帰ってこないつもりかと思った」
「え……と」
年下の少女に心中を見透かされていた気まずさに、ハルは言葉を探す。
「ハル、泣いてたの?」
「いやっ、泣いてないよ」
「なんか嫌なことでもあったのか?」
「……そうじゃないよ」
「とっくに日が暮れちゃったのに、帰る気配もないし。探しに行こうと思ってたとこだったんだ! 良かったぁ! ほんと、良かった! ねえ、帰るよね!」
涙を浮かべて大声を上げるルウに少々気圧されて、
「う、うん」
馬を並べる。
「良かったー!」
駆けだそうとして、ルウはハルの背負っているものに目を留める。
「それ、何?」
大きなリュックを背負っていた。都市を出るときに、トキタに渡されたものだ。ハルを置いてくれている村への返礼品だから、持って行って村の人たちにあげろ、と……。要らないと強硬に突っぱねたが、押し付けられた。
なんでおれが村に置いてもらっている礼をあいつなんかにしてもらわなければならないのかと思えば腹が立って、どこかに捨てようと思っていたのに、むしゃくしゃと考えることが多くてついうっかりしていたのだ。
「……なんでもないよ。行こう」
いろんな感情にひとまず蓋をして、ルウに小さく微笑みかける。
馬を進めると、
「うんっ」
元気に返事をしてルウはついて来た。
今回で、序盤の山を過ぎた感じです。
更新がちょっとゆっくりになるかもしないし、ならないかもしれません……。




