ビアンカ・ウェン
「それで警部、あのお気の毒なマダムのことなんですけど、いったい……」
「警部補の浦野です。
捜査中の事案についてはお答えできません」
僕もキラキラ太郎君に自分の名刺を差し出し、できるだけ素っ気なく答えた。質問するのはこっちだ。それを先にはっきりさせておかなきゃならない。余計な情報を与えるわけにもいかない。
そもそも現段階では、殺人事件と決まってもいないのだ。不幸な事故かもしれない。プランターを自分の頭にぶつけて自殺というのも、技術的には難しそうだが、絶対不可能とも言い切れないし。
「失礼ですが吉良さん、亡くなられたビアンカさんとはどういうご関係ですか?」
「……あ、えー、それは……」
単刀直入に尋ねると彼は、言葉に詰まって頭を掻いた。やっぱり怪しい。
ここは畳み掛けていこう。現場の状況からして、やはり殺人の線は濃厚だ。なんならこいつこそ殺人犯かも知れない。僕は心中、密かに拳を握る。
「あなたは先程、あんなに朝早く、しかも玄関ではなく庭の方から、あの家を訪問して来ましたよね」
「えっと、それはその」
「よほど親しい間柄だったということですか?」
「いやそれは、なんと言ったらいいか。
ビアンカ・ウェンさんに僕、何度かお手紙を差し上げてたんですが」
「手紙を? なぜ、どんな内容の?」
「でも、お会いするのは今日が初めての予定で」
「じゃあ、知り合いというわけじゃないの?
吉良さん、やましいところがないなら正直に話してください。
あなたは会ったこともない彼女とどんな関係にあって、今朝あの場所にいたのは一体、どういう事情なのか」
詰め寄ると、キラキラは困った様子で腕を組む。
そして、しばらく考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「あのね、……聞いてくれたまえ、浦野さん。
まず、さっきの死体は、ビアンカさんじゃない」
「……なに?」
「ちょっと調べてもらったら、すぐわかると思う。琥珀路二十五号に住んでたはずのビアンカ・ウェンと、さっきのマダムの死体はまったくの別人だ」
「なんだって? 何を根拠にきみ、そんなことを?」
「……さっきからあんた、僕のこと、殺人犯人だと疑ってる?」
「今の言葉で、その疑いが濃くなったと思ってるよ!
言いたまえ。別人だというなら、あれは誰なんだ」
「…………」
吉良綺羅太郎はこちらにキッと向き直り、肩を竦めた。
「それは僕も知らない。警察なんだからそっちで調べればいい。僕だっていわば、被害者だ!
僕はね、どうしても今日、ビアンカ・ウェンに会いたかったんだ。調べに調べてやっと彼女の居場所を突き止めて、是非お目にかかりたいと以前から何通も手紙を送ってたが、返事はなかった。だからぶしつけを承知で、絶対に在宅してそうな早朝に訪ねてきたんだ。そしたら門扉に規制線が張られて、警官がウロウロしてるじゃないか。
だから遠回りして、離れのある西庭の方から入ったんだよ。ちゃんと向こうにも出入り口がある、塀を乗り越えて不法に忍び込んだわけじゃない!」
そして突然、堰を切ったように早口で喋り出した。
キラキラ君、実はこう見えて、感情の起伏が激しいタイプなのかもしれない。青白かった頬に血色が上って瞳が潤み、こちらを見据える眼差しに、ぞっとするような色気が滲む。
「正直僕にとっては、あの死体が誰かなんてどうでもいいんだ!
むしろ警察で、ビアンカ・ウェンの行方を探してくれ。どうせ殺人の捜査にも関わってくることだろう?」
男にしては華奢な手が、バン! と机を叩いて、そのまま顔を覆う。隠した目元が涙ぐんでいるように、一瞬見えた。
「あんなに苦労して、やっと彼女の居場所を探し当てたのに、また振り出しだ……」
「…………」
こいつが犯人なのかどうかはわからない。
しかし彼が言うことが真実だとしたら、それはそれで、事件である。
あの死体がビアンカ・ウェンではないのならば、本物のビアンカ・ウェンが行方不明ということじゃないか。……あるいは、消えた彼女こそが、殺人犯の可能性だってある。
そしてこの男は、どっちに転んでも、やっぱり重要参考人であることに変わりはなさそうだ。
「わかった、きみの言葉が本当かどうか、確認してこよう。
悪いが、それまではここに居てもらうよ」
*
二時間後。
あれから再び検視報告を精査して資料と調書にひととおり目を通した僕は、もう一度取調室に戻り、吉良綺羅太郎と向かい合っていた。
さっきは激昂してべそをかいてた彼だが、今はもうすっかり落ち着いて澄ましかえって、どこからか取り出したコインを数枚、机上に並べてちゃらちゃらと弄っている。
「で、どうでした? 浦野さん」
「……きみの言ったとおりだった」
僕は腕を組んでため息をつき、目の前の変な名前の青年を、あらためてまじまじと見つめた。
「あのご遺体は、ビアンカ・ウェンではなかった。顔はあのとおりで判別不能だったけど、ビアンカの昔のカルテと照合して、身体特徴が一致しないことが確認できた。
あれがいったいどこの誰で、何故あの屋敷で死んでいたのかは、今調べてる」
「ね! そうだったろ!」
僕の言葉に綺羅太郎は、ニパッと破顔した。こうして無邪気に笑うとますます、こいつを以前どこかで見たことがある感覚が強くなるのだが、どうしても思い出せなくてモヤモヤする。
「……君は、なぜそんなにもビアンカ・ウェンに会いたかったんだい?」
「個人的なことさ」
「色恋か」
「いや、だいぶ年上のマダムだからな……年齢差が三十を越えると、ちょっと僕の守備範囲を外れるな」
綺羅太郎は、また笑った。冗談を交わせるくらいには、打ち解けてきたみたいだった。
そう。こいつがあの顔の潰れた死体を、会ったこともないビアンカ・ウェンではないと看破したのは魔法でもなんでもなくて、単にあの死体の外見が本物のビアンカ・ウェンに比べたらずっと若かったから、というだけの理由だったらしい。
タネが割れれば単純なことだ。それでも、ぶっ倒れるほどのショックを受けててもちゃんと死体の体型や皮膚の状態を観察していたのは、まあたいしたもんだ。
「じゃあ、金のこと? ビジネス?」
「見てのとおり、僕はもうすでに大金持ちなんで、世間一般の人々のように金儲けにいそしむ必要がない」
今度は僕が吹き出してしまった。悪びれもせずに、よくもそんなこと言えるもんだ。
「わからないな……こちらでも一応、調べたんだよ。
ビアンカ・ウェンは、ごく普通の一般市民だね。何かしらの有名人でもないし、小金は持ってるが驚くほどの資産家でもない。犯罪歴もない。あの屋敷に、四十年ほど昔からひとり暮らし」
僕が手帳を繰りながら呟くのに、綺羅太郎はうんうんと頷いた。
「ついでにきみのことも、調べさせてもらった。
きみ、音又財閥の御曹司だったんだな」
「……ああ」
そう、こいつはやはり、並みのお坊ちゃんではなかった。音又財閥といえば日国でトップクラスの由緒ある大財閥、ここ藍潭市の政財界にも、その強大な資本はがっちり食い込んでたはず。
しかも、僕が藍潭市に配属されて後のことだから知らなかったけど、実は国内では、そこそこの有名人だったらしいのだ。
「十年前、東都大学の機械学科に飛び級で入学したうえ、史上最年少の十二才で卒業して、神童と騒がれたそうだね。
その後、世間のあまりの熱狂を避けるため洋行したとのことだけど、今はここ、藍潭市で研究かなにかを?」
「まあね。……僕のことはいいだろ、それよりも」
「ああ、そこだ。そんな外資の御曹司にして稀代の天才少年……いや失礼、もと少年のきみと、郊外の古い屋敷にひっそり暮らす老嬢との接点が、どうしてもわからなくてさ」
「……」
「さあ、勿体ぶらずに教えてくれよ、きみとビアンカ・ウェンの関係を」
吉良綺羅太郎は答えず、再び肩を竦めた。なかなか手強い。こいつは一筋縄では行かなそうだ。
僕は顔を寄せ、声をひそめた。
「じゃあさ、……お互い、情報交換と行こうじゃないか。
警察は、ビアンカ・ウェンの知られざる一面が知りたい。そしてきみは、ビアンカ・ウェンの行方が知りたいんだろ?
今のところの、捜査結果を教えてやる。だからきみも、教えてくれ」
「……内容によるな」
「市民には警察に協力する義務があるし、僕は法令違反ギリギリで、今から独り言を言うんだぜ。
なあ、……琥珀路二十五号のビアンカ・ウェンが、最後に医者にかかったのは十八年前だ。それまでは持病のリウマチで通院し、毎年の定期健診も欠かさなかったのに、だ。
一方であの被害者の女性は、新聞少年の証言によると、少なくとも三年前から、あの屋敷に暮らしてた」
「……なんだって!?」
吉良綺羅太郎が、食いついた。
「つまり、実は何年も前から、赤の他人がビアンカ・ウェンに成りすまして、あの屋敷に暮らしてた可能性が出てきたんだよ」