第二十幕
12月に入ると、辺りはすっかりクリスマスムードになり、夕焼け色の街にはツリーやケーキ、クリスマスソングなどが溢れていました。そんな街中にポツリと、憂鬱そうな目をした少女が歩いていました。
「クリスマスなんて……大嫌いや」
可憐は小さくつぶやくと、喫茶石切堂へ向けて足早に歩いて行きました。
可憐が石切堂に着くと、最初に目に入ったのは、店の前に置かれたクリスマスツリーと、楽しそうにその飾りつけをする姫子の姿でした。
「ランランラーン♪ ランランラーン♪ ランランランララー♪」
自分の背丈と同じくらいのツリーに飾りつけをしながら、姫子はうれしそうに鼻歌を歌っていました。隣で一緒に飾りつけの手伝いをしていた七海は、そんな姫子を少し呆れ気味に見ていました。
「姫子、ホンマに楽しそうやなぁ。そんなにクリスマスが好きなん?」
「うん! めっちゃ好き! クリスマスが来たらさ、街中がキラキラして、訳もなく幸せな気持ちになるやん? それに……あっ、可憐ちゃん!」
姫子は可憐を見つけると、思い切り手を振りました。
可憐は少し憂鬱気でしたが、ニコッとして姫子に駆け寄りました。
「2人して何やってんの?」
「クリスマスの飾りつけ。期末試験も終わって早くお店に来られるようになったやろ? 今はちょうどお客さんも居らへんし、七海ちゃんと2人でクリスマスツリー出しててん。中の方の飾りつけは作菜さんと奏ちゃんと結衣さんが今やってくれてんねん」
「へ~……」
「姫子ってば、さっきから鼻歌ばっかり歌ってんねんで」
ツリーの向こうからひょこっと顔を覗かせた七海は、イタズラな笑みを浮かべて言いました。
「だってぇ~……あ、そうや、可憐ちゃんも一緒にやらへん?」
姫子は照れ隠しをするように、可憐に飾りつけ用の鈴を差し出しました。
可憐はその鈴を見つめ、少し唇をかんだ後、笑って見せました。
「わたしはええわ……試験勉強で疲れてもうたから」
「そっか……可憐ちゃんの学校は試験長いねんな。ピアノ、大変そうやね」
「うん……。けど、明日で終わりやから」
「そっか。頑張ってな、応援してるわ。……あ、そうや、今日な、めっっっっちゃキレイな人がお店に来てんで」
「またその話? さっきも聞いたわ」
一人黙々とツリーの飾りつけをする七海が口を挟んでも、すっかり飾りつけの手が止まった姫子は、世間話を続けました。
「だって可憐ちゃんにはまだ話してへんもん。それでな、もうホンマにモデルさんとか女優さんみたいでさ……あぁ~、可憐ちゃんにも見てほしかったなぁ」
「ふ~ん……なんか焼もち焼いてまうわぁ。姫子の目、ハートになってるし」
「へ? だってぇ~……」
顔を赤くして頬を手で押さえる姫子を、可憐が呆れたように笑って見ていると、足もとで声が聞こえました。
「あ、クリスマスツリーや」
可憐と姫子が足元を見ると、コートとマフラーに身を包んだ小さな女の子がツリーへ駆けてきました。それは、七夕公演の日にも来ていた少女でした。
「あ、また来てくれたんや~」
「姫子お姉ちゃん、こんにちは」
「こんにちは♪」
しゃがみこんで姫子がニコッと挨拶すると、少女の後ろから若いお母さんもやって来ました。
「今、開いてますか?」
「はい。いらっしゃいませ♪」
姫子はツリーの飾りつけを七海に託すと、そのまま2人のお客さんと一緒に店内へと入っていきました。
可憐は姫子を見送ったあと、ツリーを見つめていました。その目には、先ほどのような笑顔はありません。
七海は、飾りつけをするかたわら、そんな可憐を見て、首をかしげていました。
翌日のお昼過ぎ。今日も短縮授業だった姫子と七海は、早くから石切堂へやって来て、姫子はバイトを、七海はカウンター席で12月公演用のイラストを作成していました。
そのクリスマス公演となる12月公演の演目は『ピノッキオ』。配役は――
ピノッキオ:可憐
ゼペット爺さん他:七海
ジミニー:作菜
天使:姫子
裏方:奏
と決まり、マスターの娘・結衣が店へ帰ってきたことで、姫子は晴れて、役者に復帰することが出来ました。大好きなクリスマスに、また大好きな役者が出来るとあって、姫子はいつも以上にニコニコと……いえ、ニヤニヤと日々を過ごしていました。
しかし、結衣が石切堂へ帰って来て、良い事ばかりではありませんでした。
「七海、そのコーヒー、350円な」
「え……?」
まさにホットコーヒーをすすろうとしていた七海の手が、結衣の言葉で止まりました。
「今まではお父ちゃんのサービスやったみたいやけど、今月からはみんなからもお金取るから。あと、トイレの電気点けっ放しにしてたん誰?」
店内の皆が首を横に振っていると、ガラガラガラっと、奏の部屋の扉が開きました。
「……わたしです」
「はぁ~……今度からは使い終わったらすぐに消すように。それからエアコンの設定温度上げ過ぎ。今後は20度以上は上げんといて」
「いや、でも……ほら、お客さんやって寒いやろ?」
作菜が口答えをしましたが、結衣はすぐにそれを言いくるめました。
「せやからあったかい飲みもんが売れるんやろ?」
「結衣、そんなに口うるさく言わんでも――」
「先月やって赤字やったくせによう言うわ。お父ちゃんは昔っから甘いねん。これからは、大学で経営学を学んでるわたしが、店の切り盛りするから」
マスターは驚いたように言い返しました。
「法学部ちゃうかったんか?」
「途中で学部変えてん。……いつかこうやってこの店に戻ってくるかもって思って。そういうことやから」
言うと、結衣は下がって行きました。
「知らんかった。……ゴメンな、みんなにも窮屈な思いさせて」
「いえ……わたしは家もおんなじようなもんですから慣れっ子です。でも……」
姫子は答えると、他のみんなを見ました。
「わたし……協力します。赤字、黒く塗り直さな」
七海が財布から350円を出しながら言うと、作菜と奏もうなずきました。
「そうやな。結衣ネエ、別に間違ったことは言うてへんし。わたしら、これまでおっちゃんに甘え過ぎてたわ」
「うん。わたしも努力する。結衣ネエやって、お店のことを考えて言うてくれてるんやから」
「……ありがとう、みんな」
マスターは申し訳なさそうに笑いました。
11月の終わりに、勤めていたバイトを辞め、母親と2人で暮らしていた家も売り払った結衣は、喫茶石切堂へと帰って来ました。部屋は、作菜との相部屋となり、明がいなくなって寂しくなった作菜にとっては、うれしい話でした。ただ、実家でもある喫茶石切堂への思いが強かった結衣は、皆の想定外に、口うるさかったのでした……。
気を取り直して姫子がテーブル拭きを行っていると、カラン カラン カラン と、店の扉が開く音が響きました。その音に振り返ると、姫子の目は一瞬でハートマークになりました。扉の向こうから入ってきたその人が、あまりにも美しかったからです。その人は、昨日も可憐に話していた、噂の美人客でした。
「い、いらっしゃいませっ。きょ、今日も来てくれはったんですね」
「昨日食べたチーズケーキが美味しかったから。今日もお願いできる? えっと……姫子ちゃん」
美人客は姫子の胸元の名札を見て、ニコッと微笑みました。
「は、はいっ!」
名前を呼ばれたことがうれしかったのか、ニコッと微笑んでもらったことがうれしかったのか、姫子は頬をリンゴのように真っ赤にして帰って来ました。
「マスターしゃん、けーきへっとおれがいしまふぅ~❤」
すっかり骨抜きにされ、ろれつも回らなくなった姫子を見ながら、作菜は呆れ笑いを浮かべていました。
「こんな姫の姿、可憐には見せられへんなぁ……それにしても、あの人、この辺りじゃ見かけへん顔やけど、最近引っ越して来た人なんかなぁ?」
「さあ……?」
相変わらずカウンター席でイラストを描いていた七海は、少し首を傾げたあと、呆れ気味に姫子の目の前で手をパチンと叩きました。
「へ!? な、何っ!?」
ようやく正気に戻って、首をキョロキョロさせる姫子に、七海が言いました。
「姫子、デレデレし過ぎ」
「へ……だってぇ……めっちゃキレイやもん、あの人」
七海に指摘され、顔を赤くした姫子は、マスターからケーキとコーヒーのセットを受け取ると、それを美人客のもとへと持っていきました。
「お、お待たせしました」
「ありがとう」
相変わらずその笑顔に打たれると、手元が狂ってしまいそうになるのをグッとこらえて、姫子は美人客の前にケーキセットを並べました。
「いただきます」と、丁寧に手を合わせて、コーヒーカップに口を付けるそのしぐさを見ただけで、姫子は見惚れてしまいそうになっていました。
その美人客が、清楚で清潔で上品で、どこか高貴な雰囲気さえも漂わせる、まさに『大和撫子』といった女性だったからです。
姫子がまた少し頬を赤らめて見つめていると、美人客は椅子に掛けていた上着をもう一度着直しながら言いました。
「ちょっと寒いね」
「あ……設定温度、下げちゃったんで」
「そうなんや。電気代、バカに出来へんもんね」
「あっ、すぐにひざ掛け持って来ますっ」
「あ、ええよええよ。それより……このお店って、劇やってるんやんね? 実はこの間、動画見せてもらって、それで来たんやけど」
姫子は、驚きと喜びがごっちゃになったような顔をしました。
「そ、そうやったんですね。ありがとうございます!」
「今度はいつ公演があるんかな?」
「に、2週間後の土曜日です。来週やったら、チラシとかお渡し出来ると思うんですけど……」
姫子は七海の方をチラッと見ながら言いました。
「そうなんや。楽しみしてるわ。……可憐」
「へ?」
「あ、いえ……この間、主演やった子って、また出演するんかな?」
「ベルの役やってた子ですか? 今回も主役ですよ。可憐ちゃんって言うんです」
「へ~……そうなんや」
美人客は、どこか嬉しそうに微笑みました。
姫子は、その様子に首を傾げたあと、ハッとなって、尋ねました。
「もしかして……」
「な、何……?」
「もしかして……可憐ちゃんのファンなんですか?」
「え……? あ、ま、まあ、そんなとこかなぁ~」
「あはは」と笑ったあとに、美人客は「はぁ~」っと、ため息をつきましたが、姫子はそれに気づかずに、うれしそうに言いました。
「そうやったんですね。そうですよねぇ~。舞台の上の可憐ちゃんって、ホンッマにステキですもんねぇ~。あ、でも、ホンマはすごく明るくて楽しくて、ちょっとおっちょこちょいなとこもあって……あ、それと、めっちゃ食いしん坊なんですよ♪」
「明るくて楽しい? 食いしん坊? あの子が……? 良かったらもっと聞かせてくれるかな? 姫子ちゃん」
少し前のめりになった美人客に、姫子も喜んで「はい!」と答えていると、またも店の扉がカラン カラン カラン と音を立てました。
姫子は振り向くと、ニコッとして駆け寄りました。やって来たのが、噂の可憐だったからです。
「可憐ちゃん、今日は早かってんね?」
「今日は試験だけやったから……やっと終わったよ~、姫子~」
可憐が抱きつくと、姫子はよしよしと頭を撫でてあげました。
「ホンマにお疲れさま。そうや、ちょうど良かった。可憐ちゃんに紹介したい人がおるねん」
「わたしに?」
姫子の胸から離れて可憐が首をかしげると、姫子は美人客に向き直って、うれしそうに声をかけました。
「この子がさっき言ってた可憐ちゃんです。あ……そういえば、まだお名前――」
「なんでここに居るん……?」
「へ?」
姫子が顔を向けると、隣で可憐が固まっていました。その目は驚きに満ちています。
美人客はそっと振り向きながら、苦笑いをしました。
「今日、早い日やったんや……秘密にしようと思ってたんやけど、見つかっちゃったな」
「あの、その、どういう……」
状況が呑み込めずキョロキョロする姫子をよそに、可憐からはすっかり明るさが無くなり、その声には賑やかさではなく、怒りがありました。
「何わけ分からんこと言うてんねん? なんでお姉ちゃんがここに居るんかって聞いてんねん!」
「お姉さん……? この人が可憐ちゃんの……?」
姫子はどちらを見るでもなく、あ然と状況を見つめていました。それは、店に居た誰もが同じでした。
自分の言葉に何も言い返さない姉に、可憐はなおも怒りをぶつけました。
「こんなとこまでわたしを追っかけて来て……わたしを笑いに来たんか?」
「……」
「お姉ちゃんと違って、勉強もピアノも、茶道もスポーツも、なんも出来へんわたしを笑いに来たんかっ!」
「……」
「……出て行って。わたしの居場所から、今すぐ出て行って!」
「可憐ちゃん、ちょっと落ち着いて――」
「ええねん。ありがとう、姫子ちゃん」
姫子が「えっ?」と振り返ると、可憐のお姉さんは席を立ち上がり、テーブルにお金を置いて、「ごちそうさまでした」と、見つめる店員たちに丁寧に頭を下げ、そのまま出て行きました。
可憐のお姉さんが出て行った店内には、カラン カラン カラン という扉のベルの音だけが、空しく響き渡っていました。
心配そうに扉の向こうを見つめる姫子の目の前を可憐は横切って、反対方向へと歩いて行きました。姫子はすぐに、可憐を引き留めるように声をかけました。
「可憐ちゃん! ……なんで、あんなひどいこと? あの人、可憐ちゃんのお姉さん、なんやろ?」
「……ひどいのはお姉ちゃんの方や。わたしから親を奪って……今度は、やっと出来たわたしの居場所まで奪いに来るなんて」
「奪うとか……物騒過ぎるやろ?」
「もっとちゃんと話して」
作菜と七海が口を挟みました。
まだ頭の中が整理できていないのか、イライラが収まらないのか、可憐は黙ったままうつむいてしまいました。
そんな時、テーブルの上にトンッと、あったかいコーヒーを置く、マスターの手がありました。
「まあ、これでも飲んで落ち着き」
可憐は少し考えたあと、コーヒーの置かれたテーブル席に座りました。
マスターはそんな可憐を、いつものやさしい笑みで見つめました。
……しかし、その光景をじろ~っと、見つめる目がありました。
「お父ちゃ~ん?」
「ゆ、結衣……こ、これは……僕が払います」
「はぁ~……しゃあなしやでー」
目を光らせながらも、結衣は本気では怒れずに肩を落としました。
気を取り直して……姫子は、可憐の隣に座りました。何も言わずに、そっと。可憐は、コーヒーを一口飲むと、静かに話し始めました。
「……あの人の名前は麗花。今里麗花。わたしのたった一人のお姉ちゃん。わたしが小さい頃は、めっちゃやさしくて、大好きやった……。政治家一家に生まれて、家だけは立派やったけど親がいっつも家に居らんかったわたしにとっては、唯一、ずっと一緒に居てくれた人やった。……けど、ある日を境に、お姉ちゃんは勉強や習い事に集中して、全然、わたしの相手をしてくれへんくなった。親もどんどん、なんも出来へんわたしよりも、お姉ちゃんばっかりを可愛がるようになって……わたしやって頑張ってお姉ちゃんに追いつこうとしたけど、結局あかんくて……わたしは、あの家で一人ぼっちになった……。あの時お姉ちゃんが勉強とか習い事とかを一人でやらんかったら……。わたしは、お姉ちゃんに何もかも奪われたんや」
「可憐ちゃん……」
「……わたし、クリスマスなんて大っ嫌い……街中みんな幸せそうやのに、わたしにはずっと一人ぼっちの思い出しかないから……」
ポタポタと、手に持っていたコーヒーカップに涙を落とす可憐の姿を見て、姫子は一人、クリスマスにウキウキしていた自分が、情なくなっていました。
カウンター席で話を聞いていた七海が静かに言いました。
「だから昨日もあんな顔……。そういえば……去年もこの時期、可憐はちょっと変やったかも……」
「単に期末試験のことでイラついてるだけやと思ってたけど……そういうことやったんか」
作菜もため息交じりに言いました。
重たい空気が、夕日の差し込む店内に流れていました。
やがて、その場に居づらくなったのか、可憐はコーヒーを飲み干して、「着替えてくる」と、2階へと上がって行きました。
店内には、外から差し込んだクリスマスツリーの点滅する光だけが、空しくピカピカとはしゃいでいました。
さてさて、楽しい楽しいクリスマスがやって来るかと思いきや、一転、また問題が起こってしまいましたねぇ。
それにしても、可憐に恨まれていることを知りながら、何故、可憐のお姉さん・麗花は石切堂へとやって来たのでしょうか?
果たして、彼女の真意とは……?
それはまた、次の幕でお話しするといたしましょう。では。




