第十八幕
昨日のハロウィンから、街はすっかりとクリスマスムード一色へと変わった11月1日の夕方……。
こちらもすっかりとハロウィンムードが無くなった喫茶石切堂では、すでに店に居座っていた可憐が、湯気の立ったホットコーヒーを片手に、大きな口を開けてマスター特製のチーズケーキを頬張っていました。
「あま~❤ にが~↓↓ ……夏場のコーヒーかき氷も絶品やけど、やっぱおっちゃんのふわふわチーズケーキとにがにがコーヒーの組み合わせは世界一……いや、宇宙一やなぁ~」
他にお客さんもいないので隣に座っていた姫子は、そんな幸せそうな可憐を、呆れ顔で見ていました。
「ホンマに……可憐ちゃんは呑気やなぁ。結局七海ちゃん、昨日はここに泊まっていったみたいやのに……昨日は理由話してくれへんかったけど、前に離婚しそうって言ってたし、やっぱりご両親のことでなんかあったんかなぁ?」
前回、泣きながら「家出してきた」と、大きなリュックサックとキャリーバッグを持って喫茶石切堂へ現れた七海は、結局そのまま、ハロウィンの夜をこの店で過ごしたようです。
姫子はそんな七海のことを気づかい、昨夜から一晩中モヤモヤしていたというのに、目の前で美味しそうにチーズケーキを頬張る可憐は、そんなことはお構いなしのようでした。
「ま、理由はなんにせよ、七海やってもう高2やねんから、家出したくなる時やってあるわ」
と、大きな口にケーキを迎え入れる可憐の隣で、姫子は首をかしげていました。
「そうなんかなぁ? ……わたしは家出したいなんて、いっぺんも思ったことないけどなぁ」
「姫子はお家大好きっ子やからなぁ~♪」
横目でからかったように笑う可憐に、姫子は顔を赤くして言い返しました。
「もぅ~、からかわんといてよ~……でも、可憐ちゃんもやっぱりあるん? 家出したくなったこと」
「……あるよ」
フォークでチーズケーキを切る手を止めて、一瞬、思いつめたような表情をした可憐は、すぐに自虐的な笑みを浮かべて続けました。
「ていうか、この店に初めて来た時やって、家出みたいなもんやったし」
「……そうなん?」
笑いながら話す可憐のことを、姫子は笑えませんでした。
だから可憐も、ケーキを切る手を再開しながら、今度は真面目に言いました。
「絶対に家族が良いもんやなんて限らへん。……子供にとって、やさしくない家族やってあるんや……うま~❤」
気を取り直したように、再びチーズケーキを頬張る可憐を見て、姫子はそれ以上のことは聞けませんでした。
そして、思いました。
いつか、「可憐が家族のことを話してくれる日が来るのを待とう」、と。
そんなことを考えながら、姫子が可憐の横顔を見ていると、不意に可憐が振り返って言いました。
「ところでさ、姫子」
「へ?」
「この店、ホンマに大丈夫なん?」
「……何が?」
「さっきから全っ然っ、お客さん来うへんけど」
「え……あ……ははは~……」
すっかり日が沈み、いっぱいに照明の灯った店内には、閑古鳥ならぬ、カラスの鳴き声が響き渡っていました。
思えば、姫子がバイトを始めてから早1時間。接客したのは、たかだか2~3組程度でした。
平日の夕方だから客足が少ないのも仕方がない、と姫子は思っていましたが、可憐の純粋な目で改めて問われると、困ったように笑うしかありませんでした。
「なあなあ、ホンマに大丈夫なん? 潰れたりせえへんの?」
「えっ……と~……それは~……」
姫子は、可憐の久々の質問攻めに、すっかりと困り果てていました。
そこへメガネのマスターが、聞き耳を立てて奥からやって来ました。
「大きなお世話や。子供はそんなん気にせんと、ケーキでも食べてればええねん」
「ん~……それもそっかぁ」
可憐は、マスターの一言で何故か納得し、再びケーキを食べ始めました。
なんとか命拾いした姫子は、マスターへお礼の会釈を軽くした後、少し心配になったので尋ねてみました。
「あの……ホンマに大丈夫なんですか? 衣装代とか、この間は動画配信用のマイクやって、お金出してもらいましたし……」
「大丈夫大丈夫っ。明のバイト代やって浮いたわけやし。それより、姫子ちゃんもコーヒーでも入れよっか?」
「はあ……じゃあ、いただきます」
いつもの笑顔でコーヒーを淹れ始めたマスターの背中を、姫子はただただ見つめるほかありませんでした。
その夜……。
深夜の静まり返った部屋の一角で、パソコン画面や領収書の束とにらめっこをするマスターの姿がありました。
「姫子ちゃんたちにはああ言ったものの……先月も赤字か~」
ぼやきながら、座椅子に座るマスターはメガネを外し、眉間に指を当てながら、背もたれにもたれるようにして、天井へ顔を上げました。
この部屋はマスターの自室で、喫茶石切堂2階の、作菜らが寝泊まりする部屋の隣にありました。
物が乱雑した作菜らの部屋とは違い、必要最低限の物しか置かれておらず、座椅子に座るマスターの前の小さな机には、ノートパソコンと領収書の束、それに――何やら3人の人影が写った――写真立てが置かれていました。
マスターが、座椅子にもたれて少し休憩をしていると、珍しく、扉をノックする音が聞こえました。
マスターは、「こんな時間に誰や?」と、つぶやいたあとで、扉に向かって声を上げました。
「開いてるよー」
その声を聞くと、部屋の扉がそっと開きました。
マスターがメガネをかけ直して、扉の方に目をやると、そこに立っていたのが意外な人物であったことに、少し驚きの表情を浮かべました。
「七海か……どうしたん? 中入り」
すぐにいつもの笑顔に戻ったマスターがやさしく手招きをすると、部屋の前にいた、大きなぬいぐるみを抱いたパジャマ姿の七海は、小さく「お邪魔します……」と言って、マスターに勧められるまま、来客用(?)の座椅子に、ストンと腰を下ろしました。
「七海が僕の部屋に来るなんて珍しい……ていうか、初めてちゃうか? てっきり作菜やと思ったわ」
「……作菜さんはもう寝てます。お手洗いから帰って来る途中で、電気ついてんのが見えたから、ちょっと、話したいことがあって……」
「話したいこと? 僕に?」
「はい……。……あの、迷惑かけて、ごめんなさい」
「迷惑って……もしかして、家出のこと?」
七海は、コクリとうなずきました。
それを見て、マスターは笑いながら言いました。
「そんなん気にせんでええのに。一人増えたくらいどうってこと無いし、第一、合宿の時と変わらへんしな」
「でも……」
マスターのやさしい言葉を聞いても、ギュッと抱きしめたウミブタを、思いつめたように見つめる七海に、マスターはニコッとしながら続けました。
「それにな七海、僕はな、七海や可憐、姫子ちゃん、作菜に奏に、明もやけど、みんなには感謝こそしても、迷惑やなんて一回も思ったことないねん」
「感謝……? なんで?」
七海は首をかしげて尋ねました。
「それはな……僕の夢が、家族で店をやることやったからや」
そう言って、マスターは机の上に置かれた――3人の人影が写った――写真立てを見ました。
七海もその視線の方を見ると、そこには、まだ若い頃のマスターと、一人の若い女性、それに小学生くらいの女の子が写った写真が飾られていました。
「それって……もしかしてマスターの?」
「ああ。別れた奥さんと娘や。まあ、これは10年以上前の写真やねんけどな。……3年前に離婚するまでの写真が他に無くてな」
「……なんで?」
「まあ、今風に言えば、仕事ファーストやったからかなぁ。こう見えても、昔はサラリーマンやってんけど、家族を養うため、いつか自分の店を持つためって思って、家族ほったらかしで仕事に明け暮れて……みんなで出かけたり、家族写真を撮る余裕なんて全然なかった。……まあ、それでも家族は分かってくれてるって勝手に思ってたんやけど……店するためのお金が溜まった頃には、もう家族の心の方はバラバラやった。家族で店するために必死で頑張ってきたのに、その代償は、家族やったってわけや」
「マスター……」
悲しげに見つめる七海の視線に気付き、マスターは安心させるように、笑って見せました。
「せやから、みんなにはホンマに感謝してんねん。今こうやって、ホンマの家族みたいに、一緒に店が出来てんねんからな」
マスターの笑顔を見ても、悲しげにウミブタを抱きしめる七海に、マスターはやさしく頭を撫でて、提案しました。
「そうや、コーヒーでも飲もうか?」
少し間を開けて、小さくコクリとうなずいた七海を見て、マスターは微笑みました。
喫茶石切堂1階、台所……。
深夜のプライベートキッチンに、コーヒーのコクのある香りが広がっていました。
ウミブタを抱いたまま台所の椅子に座った七海は、湯気の立ったコーヒーを一口含み、意外な反応を見せました。
「あったかい……あれ? 甘い」
「寝られへんようになったら困るからなぁ。ミルク多めに入れといたわ」
マスターの心遣いに、七海は幸せそうに微笑んで、もう一口飲みました。
「美味しい……。……あの、ところで赤字、大丈夫なんですか? ……さっき見えたから」
七海の向かいでコーヒーを飲んでいたマスターは、コーヒーを吹き出しそうになりました。
「はぁ~……あのな、子供はそんなん気にせんでええねん。子供は、笑っていてくれたら、それが一番ええねん」
「……高校生は、半分はまだ子供やけど、もう半分は、もう大人や。……電車も大人料金やし」
ぼそっと言った七海に、あ然としたマスターは、すぐに笑みを零しました。
「そうか……そうやな。姫子ちゃんたちにも、悪いこと言うてもうたなぁ。……そういえば、いつか結衣もそんなこと……」
「え?」
「あ、いや……それより、今度は七海の話、聞きたいな。なんでまた家出なんか? 姫子ちゃんたちにも理由話してへんみたいやけど……?」
「それは……」
マスターの言葉に、七海は少し気持ちを整理するようにコーヒーをもう一口飲んでから、静かに話し始めました。
「……実は、わたしの両親、離婚することになったんです」
「……そうか」
「……最近は、顔を合わせる度にケンカしてたから、いつかはこうなるかもって思ってたんやけど……」
ウミブタを抱きしめる手に力が入りながら、次第にポロポロと涙をこぼし始めた七海を見て、マスターは七海の頭をやさしく撫でました。
「辛いな……離婚した親としては、ホンマに子供には申し訳ないと思うわ……」
七海は首を横に振りながら、頑張って話し続けました。
「……でも、ホンマに辛かったんは……お母さんかお父さん、どっちに付いて行くか選びなさいって言われたこと……わたし、やっぱりどっちも好きやから……選ばれへん……だって、どっちも大切な、わたしの親やもん」
「どっちも、大切な……」
マスターは、七海の言葉に、何かを思い出したように、ハッとなりました。
「……それで、どうしたらええか分からんくなって……マスター?」
「え? ああ……それで、飛び出してきたわけか……」
七海の声に、我に返ったマスターは、七海にティッシュを渡しながら、答えました。。
七海は、ティッシュを受け取って、涙や鼻水を拭きながら、コクリとうなずきました。
「……七海がここに居るってこと、ご両親は?」
「……連絡しました。……心配かけたくないから」
「家出してきた」と言いながら、親に心配をかけないように自分の居場所は教える……そんな可愛げのある七海に、マスターは呆れたように微笑みました。
「七海はホンマにええ子やな。……わかった。じゃあ、週末にでも、ご両親を店に呼んで、みんなで話し合おう」
マスターの思いがけない提案に、七海は戸惑ったように「でも……」と、言葉を濁しました。
「大丈夫や。僕も一緒に付いてるから。な? ずっとこのままっていうわけにもいかんやろ?」
七海は、マスターの言葉に、納得したようにうなずきました。
微笑んで、今度は七海の頭をやさしくポンポンと叩いたマスターは、「ところで」と、話を変えました。
「なんでこのこと、姫子ちゃんたちに言わへんかったんや?」
その質問に、七海はうつむいて、小さく答えました。
「……なんか、申し訳なくて……」
「申し訳ない?」
「だって……姫子はお父さんがおらへんのに頑張ってるし……可憐やってお家、大変そうやし……作菜さんや奏も、親を事故で亡くしてるし……そう考えたら……親が離婚しそうっていうんは姫子に前に話したことあるけど……でも……こんなことでみんなに相談すんの、なんか悪くて……」
「……そうかなあ?」
「え?」
七海は目を丸くして、マスターを見ました。
「七海がみんなに気を遣うやさしい子やっていうんは分かるけど……でも、あの子たちは待ってると思うで。七海が相談してくれることを。だって……『仲間』やろ?」
「『仲間』……」
七海はつぶやきながら、ウミブタをギュッと抱きしめました。
明くる日。
数分後に稽古開始を控えた喫茶石切堂の1階で、車イスに座った少女が一人、照明器具や音響器具の設置作業を行っていました。
作業の途中、少女は、立たないと手が届かない高所に照明を設置するために、不自由な両足を震わせながら、なんとか立ち上がろうとし、小学生には少し重たい照明のライトを持って、頭上へと手を伸ばしました。
「ん……あと、少し……ああっ!!」
バランスを崩した少女は、そのまま前方へと倒れそうになりました。その時……!
「……っと。大丈夫か? 奏」
奏は、その暖かな手に抱きしめられ、倒れるのを免れました。
「ちょっと貸してみ。……ここでええんか?」
妹の無事を確認してニコッと微笑んだ作菜は、奏を車イスに座らせると、その手から照明ライトを受け取り、奏に場所を確認しながら、それをささっと設置しました。
「ありがとう……」
「今日は、姫は可憐と七海と一緒に衣装の布買いに行ってんねんから、わたしが来るまで待ってればええのに」
「……一人でも出来るもん」
奏はムスッとほっぺを膨らませて答えました。
「……まーだこの前の、接客が上手く出来へんかった事、気にしてんのか?」
図星だった奏は、唇を噛みしめて、うつむきながら言いました。
「……だって、わたし――」
「奏は役立たずなんかじゃない」
「え……?」
まるで心の中を読んだような姉の言葉に、奏はびっくりしました。
そんな目を丸くした妹の前にしゃがみこんで、作菜は諭すように話しました。
「ええか、奏。わたしはな、奏がやりたいことも、やろうとすることも、なんでも応援する。けどな、今出来へんことを無理にやる必要はないねん。いつか出来るようになるかも知れへんし、たとえずっと出来へんままでも、わたしや他のみんながついてる。奏が出来へんことは、わたしたちで補う。せやから、奏は、奏にしか出来へんことを見つければええねん」
「わたしにしか、出来へんこと……」
「そうや。動画配信の時みたいに、こっちが助けられる時やってあるんや。そうやって支え合って、補い合うんが、『仲間』ってもんやろ?」
「それが、『仲間』……」
うつむいた視線を少し上げた奏の目に映ったのは、微笑みながらうなずく、やさしい姉の顔でした。
奏は、少しの間、作菜の目を見つめると、小さくうなずきました。
それを見て、作菜は奏の頭を、やさしくポンポンと叩きました。
そんな2人の耳に、カラン カランっという喫茶石切堂の扉が開く音が聞こえました。
そのベルの音を聞くと、相変わらずビクッと身体を震わせてしまう奏の前で立ち上がった作菜は、玄関扉の方へと声を出しました。
「あんたら、ずいぶん早かったな――」
と、言いかけた時、入って来たのが姫子たちではなく、別の、それも見覚えのある顔だったことに、作菜は驚きました。
「……結衣ネエ!?」
きょとんとする奏の前で、驚きの声を上げた作菜は、思わず玄関の方へ駆け出しました。
『結衣ネエ』、そう呼ばれた女性は、駆け寄って来る作菜に、ニコ~ッと微笑んで言いました。
「久しぶりやな、作菜」
「ホンマに……結衣ネエなん?」
作菜はまだ信じられないようで、『結衣ネエ』のことをまじまじと舐め回すように見ていました。
「ちょっと、なんやねん? ジロジロ見て。3年ぶりやからって、もう親戚の顔忘れたんか?」
「そういうわけじゃないけど……ずっと店にも顔出してへんかったし……あまりにもレア過ぎて」
作菜の視線を逃れた『結衣ネエ』は、店の中へとずんずんと入って来て、店内を見渡しました。
「それにしても……この店も変わらへんなぁ。あの頃のまんまや……あっ! 奏? 大きくなって!」
舞台の方に車イスの奏を見つけた『結衣ネエ』は、ニコニコしながら、駆け寄って行きました。
「……ど、どうも」
満面の笑みの『結衣ネエ』とは対照的に、奏は緊張したような面持ちでした。
『結衣ネエ』は、そんなことは気にせず、奏の前にしゃがみ込んで、奏の不自由な脚をさすりました。
「事故に遭ってんてなぁ。可哀想に」
完全に『結衣ネエ』の勢いに押されていた奏は、操り人形のように、体中を触りまくる『結衣ネエ』の為すがままになっていました。
そんな奏の頼みの綱であった作菜が、背後から『結衣ネエ』に声をかけました。
「奥に居るから、おっちゃんのこと呼んでくるわ」
その言葉に『結衣ネエ』は、一瞬、固まったように止まりましたが、すぐにニコ~っとして、返事をしました。
「うん……よろしく」
作菜は、『結衣ネエ』の様子が少しおかしいことに首をかしげましたが、かまわず奥の台所まで、片付け中のマスターを呼びに行きました。
『結衣ネエ』の目の前に座っていた奏も、彼女の異変には気づいていましたが、それ以上に、頼みの綱である姉がいなくなったことに、ぼう然としていました。
そんな奏の気も知らず、立ち上がって、今度は舞台の上を見て回る『結衣ネエ』は、先ほどまでの笑顔に戻って、奏に話しかけました。
「店の中で演劇やってんねんなぁ? この前の動画観たで。ずいぶんと楽しそうやんか」
「あ……ど、どうも」
『結衣ネエ』が配信動画を観ていてくれていたことは素直に嬉しかったのですが、奏は、やはり緊張したまま固まっていました。その理由は……?
「……あれ? もしかして、うちのこと覚えてへん?」
「……なんとなくしか……」
ようやく奏の――『人見知り』という――違和感に気づいた『結衣ネエ』は、返事を聞いてガクッとしました。
「なんや~……なんか大人しいなって思っててん。あ……昔から大人しい方やったっけ? 奏がまだ小さい時は、たまに一緒に遊んでんで? 覚えてへん? ……まあ、最後に会ったんは、奏がまだ小1か小2の時やったから、無理もないかぁ」
「ごめん、なさい……でも、動画、観てくれてありがとう」
「……どういたしまして♪」
少々がっくりしていた『結衣ネエ』も、奏の素直なお礼を聞けば、ニコ~っと笑って返事をするしかありませんでした。
そこへ、作菜に呼ばれたマスターが、珍しく駆けてきました。
……その顔は、まるで血相を変えているようでした。
「結衣……」
メガネの奥の瞳孔を大きく広げたマスターのその声を聞いたとたん、先ほどまでニコ~っと笑っていた結衣の顔からは、笑顔が消えました。
そして、スッとマスターに向き直り、静かに言いました。
「お久しぶりです。……お父さん」
それは、11月2日、金曜日の夕方のことでした……。
さてさて、七海の両親との話し合いを前日に控えた喫茶石切堂に、これはまた思いがけない珍客がやって来ました。
マスターの娘・結衣の目的は一体なんなのでしょうか?
そして、七海の両親は本当に離婚してしまうのでしょうか?
それはまた、次の幕でお話しするといたしましょう。では。




