序幕
大阪の都心から少し離れた小さな町。
この町に額田姫子という女の子が暮らしていました。
姫子の家は、姫子が小学生の時にお父さんが亡くなって以来、平凡からも程遠い生活を送っていました。
だから姫子は、高校生になると、お母さんと小学生の弟のためにアルバイトを始めました。毎日朝から新聞配達をし、学校の後は、月曜日から水曜日はスーパーマーケットで、木曜日から土曜日はコンビニで、日曜日も休むことなくお弁当屋さんで精一杯働いていました。
ですから、部活動をする時間もなく、学校では「姫子じゃなくて貧子や」などと、からかわれていました。けれどやさしい姫子は怒ることもなく、「そうそう、わたし貧子で~す」と、みんなを笑わせていました。
姫子はいつだって、自分のことよりも人のことを考える女の子でした。
弟の優也に自分のお菓子をあげるのはもちろん、どんなに疲れていてもお母さんのお手伝いをし、電車でお年寄りを見かければ席をゆずり、落とし物を見つければ交番へ持っていき、泣いている子供がいれば一緒にお母さんを探してあげました。
そんな姫子が高校2年生になったある春の土曜日。
学校の後、アルバイトまで時間があったので、姫子は家の近くにある大好きな桜並木通りを歩いていました。
「今年もキレイな桜が咲いたよ、お父さん」
小さく呟くと、姫子はパシャッと携帯電話で桜の写真を撮りました。
そんな姫子を見て、クスクスと笑いながら通行人たちが歩いて行きます。かすかに、「まだガラケーって」と言う声が聞こえてきました。
姫子は恥ずかしそうに携帯電話をサッと胸元に隠し、「笑われるのは慣れっこやもんね」と、自分に言い聞かせました。すると、
突然、春の風がビュンと吹いたかと思うと、どこからか悲鳴が聞こえてきました。
「きゃあああ!! 誰か取ってー!」
「え?」
姫子が声の方を見ると、桜の花びらに混じって、たくさんの紙が風にひらひらと飛ばされて舞っていました。
「ええ!?」
姫子は慌てて紙を集め始めました。しかし、まわりの人々は見て見ぬふりをして歩いて行きました。
ようやく、最後の1枚を集め終えた姫子に、
「ありがとう~、助かったわぁ」と、制服姿の女の子が駆け寄ってきました。
「これで全部やと思うけど……」と、姫子は集めた紙の束を女の子に渡しました。
「ホンマにありがとう。……それにしても、みんな冷たいなぁ」
女の子は紙束を姫子から受け取ると、まわりを見て口を尖らせました。
「あ……仕方ないよ。みんな忙しいねんから」
「でも、あなたはやさしいね」
通行人たちをかばう姫子に、女の子はニコッとしました。そして姫子の手元に気づき、
「あ、可愛いガラケー」
「え? あっ!」
まだ手に持ったままだった携帯電話を、姫子は慌ててポケットにしまいました。
「そんなに慌てて直さんでもいいのに。あ、わたし可憐。今里可憐っていうねん」
「あ……額田姫子です」
「姫子かぁ、可愛い名前やね。高校生?」
「うん」
「わたしも! もしかして高2?」
「う、うん」
「じゃあ同級生や! 可愛いし、仲良くなれそう!」
マシンガンのような可憐の質問攻めに、姫子は圧倒されました。
「あ、そうや」と、可憐が今度はさっきの紙束から1枚取り出し、
「これは汚れてないと思うから、良かったらもらって」と、姫子に差しだしました。
姫子は紙を受け取って目を通しました。
集めている時は必死でちゃんと見ていませんでしたが、それは、
劇団おとぎの花園4月公演 『シンデレラ』
開演 4月×日(土)15時~ 場所 喫茶石切堂
と、可愛らしいイラスト付きで書かれたチラシでした。
姫子がそのチラシを見ていると、可憐が捕捉をします。
「基本的には子供向けやねんけど、観るのはタダやし、喫茶店の中でやってるから、注文したらコーヒーとかケーキとかも食べながら観れるねん。まあ、おっちゃんのコーヒーはちょっと苦いけど、あ、でもチーズケーキはすっごくおいしいねんで! まあ、30分くらいの短い劇やから、もし時間があったら来てな!」
「あ……うん、考えとく」
「ありがとう! じゃあね!」
ニコッと微笑むと、春の嵐のようにやってきた可憐はそのまま帰って行きました。
そして、可憐を見送った後、姫子はもう一度、もらったチラシを見ました。
「……ていうか、この喫茶店ってとなりの駅やん。あの子、歩いて来たんかな?」
姫子はクスッと笑うと、
「それにしても可愛いなんて初めて言われたかも。喫茶店で演劇かぁ。ちょっと怖いけど、せっかくあんなに話してくれたのに行かんかったら悪いかなぁ。30分くらいって言ってたし、タダで観れるんやったら優也でも誘って観に行ってみようかな? 来週のこの時間やったらバイトにも間に合うし……って、バイト忘れてたー!」
と、叫びながら、チラシを握りしめて、走って行きました。
満開の桜たちは、そんな姫子を見て笑っているかのように春風に揺れていました。
こうして姫子と可憐は運命的な出会いを果たしました。
さて、次は『演劇の見られる喫茶店』、いよいよ開幕です! では。