大好きなゲームの世界にトリップした件について
──ふと、昔好きだったものを思い出すときがある。
その日のアヤもそうだった。
アヤが思い出したのは昔嵌っていたゲーム──RPGのことだ。
ゲームの内容は至って王道なもので、神託で勇者に選ばれた主人公が、祖国を脅かす存在について調査をしていくうちに仲間と出会い、世界の滅亡の危機から救う、という内容である。
アヤはそのゲームが大好きだった。エンディングを見ては最初からやり直し、というのを何周も繰り返した。攻略本も買って、イベントひとつ見逃さないように読み込んだ。手に入れるのが難しいというアイテムだってゲットした。
何度やっても飽きることはなかった。特にアヤが好きだったのは、ゲームの主人公とヒロインだ。身分差がありながらもお互い惹かれあう二人──一時はそれゆえに諦めようともしたけれど、紆余曲折を得て二人が結ばれたときは涙を流したものだ。
よかった、本当によかった、とハンカチを握りしめ、その感動でコントローラーを落としてしまったのも良い思い出である。
そんな昔の思い出に馳せていたせいか、ぼんやりとしてしまって仕事に身が入らなかった。仕事をなんとか終えて帰る間もぼんやりとしてしまい、そのせいで目の前に電柱があることに気づかず、ゴォン! と激しい音を立ててぶつかり、鈍い痛みを感じるとともにブラックアウトしてしまったのだ。
そして気づいたら見知らぬ森の中にいた──。
おまけに見たことのない不気味な獣に襲われそうになっている始末。
(──神様。確かにわたしは今日、ゲームのことで頭がいっぱいで仕事に身が入りませんでした。でも、だからといってこの仕打ちはないんじゃないですか…! わたしがなにしたっていうのおおおお!?)
うわああん、と人目を憚らず泣きたい心境だった。
もっとも、人目もなにも、ここには人の気配すらないわけだが、アヤがそれに気づく余裕はまったくなかった。
なにせ、命の危機なのである。現代日本ではほぼないであろう、動物に襲われて死ぬ、という危機が目の前に迫っていた。
(えっとえっと…こういうときってどうすればいいんだっけ? 死んだふり? …はだめなんだっけ…どうしたらいいかわかんないー!!)
パニックに陥っているうちに、獣はアヤに近づいてきて、今にも襲い掛かる態勢をとっている。
ひっ、とアヤが悲鳴を上げると同時に獣が襲い掛かってきた。
もうだめだ死ぬ──と思い、目を瞑ったとき、ギャン! という獣の鳴き声が聞こえ、アヤは驚いて目を開けた。すると、目の前には剣を持った青年と、杖を持った少女がアヤを庇うように立っていた。
再び襲い掛かってきた獣を青年は軽くいなし、あっという間に獣を倒してしまった。
突然のできごとにアヤが呆然としていると、少女が振り返り、心配そうにアヤを見つめて声をかけた。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
少女はとても薄暗い森の中でもわかるほど、美しかった。美少女は声まで良いんだなあ、とズレた感想を抱きながら、アヤは頷いた。
すると少女はほっとした表情を浮かべる。美少女なのに性格まで良いなんて神様ずるい、と再びズレた感想を抱いたところで、青年の方もやってきた。
「ニルス、この方に怪我はないそうです」
「そう、良かった。俺たち間に合ったみたいだね」
「ええ」
青年もまた、大層な美青年であった。美少女と並んだ姿はとてもお似合いで、この二人の子供は将来有望だな、とまたまたズレた感想を抱いたところで、助けてもらったお礼を言っていないことにアヤは気づき、慌てて頭を下げた。
「あ、あの! 危ないところを助けていただき、ありがとうございました!」
「怪我がなかったようでなによりです。間に合ってよかった…」
「本当にね。ところで君、こんなところで一人でなにしていたの? ここは妖獣が出て危ない場所だって有名なのに」
「……ようじゅう?」
ようじゅうってなんだろう、と不思議そうに首を傾げるアヤに青年と少女は顔を見合わせた。なにかまずいことを言っただろうか、と焦りだしたアヤに、二人は柔らかい笑みを浮かべた。
「とりあえず、ここから出ましょう? またいつ、あの妖獣の仲間がやってくるかわかりませんもの。途中でわたくしたちの仲間と合流して、この森を抜けましょう」
「え…? あの…?」
「詳しいことは森から出たら聞くよ。……あ、そうそう。名乗っていなかったね。俺はニルス。それでこっちにいるのが…」
「リネーアと申します」
「は、はあ…アヤといいます。よろしくお願いします…」
よくわからないながらも頭を下げて自己紹介をする。
そんなアヤに二人は穏やかに笑い、よろしく、と返してくれた。
二人も良い人だ…とアヤはじーんとしたところで、あれ、と気づく。
(ニルスにリネーア…どこかで聞いたことあるような…? それに二人の顔にも見覚えがある…どこでだったかな…?)
うーんと記憶を辿り、浮かんだのが、目が覚める前まで考えていたゲームだった。確か、あの主人公の名前と、ヒロインの名前は──。
「ニルスとリネーア…!!」
「うん?」
「はい?」
突然名前を叫んだアヤに、二人は不思議そうに返事をする。
だが、アヤはそれになにかを返す余裕はなかった。
(あのゲームの主人公の名前はニルス。ヒロインのお姫様の名前はリネーア。顔もゲームと一緒で美しい…と、いうことは…もしかしてここは……)
「ゲームの世界ぃいぃぃぃ!!!?」
「え?」
「げーむ…?」
不思議そうな顔をして聞き直した二人に返事をできないまま、アヤは驚きのあまり、再び気を失ったのだった。
そのとき、焦ったようにアヤの名前を呼ぶ、ニルスとリネーアの声が聞こえたような気がした。
*****
アヤが再び目を覚ますと、今度は見慣れない天井が目に入った。
ここはどこだっただろう、と記憶を辿り──気を失う前のことを思い出してガバッと勢いよく起きた。
それと同時に、皮肉げな声がかけられた。
「やっと目が覚めたか」
「……あなたは……」
声をかけられた方を見ると、そこには真っ赤に燃えるような髪が特徴の、これまたとびきりの美青年が立っていた。しかし、その表情は険しく、端的にいえばとても不機嫌そうだった。
睨むように見下ろされたアヤはムッとしつつ、ああやっぱり、と項垂れた。
アヤはこの不機嫌そうな青年にも見覚えがあった。
アヤの記憶が正しければ、彼もゲームの登場人物──名をマテウス、という。
彼はリネーア付きの護衛で、真面目で頑固な騎士。リネーアに絶対の忠誠を誓い、また同時にリネーアを一人の女性として想っている、いわば主人公の好敵手でありゲーム的には当て馬と呼ばれる存在であった。
「随分と遅いお目覚めで。で、貴様は何者だ。なぜ私たちに近づいた」
「な…!」
敵意をまるで隠さないマテウスの態度に、アヤはカチンときた。
そもそも、アヤはこのマテウスというキャラが好きではなかった。なぜなら主人公とヒロインの邪魔ばかりしていたからだ。アヤはマテウスと書いてお邪魔虫、と心の中で読んでいた。きっとそういう人は他にもいたはずだ、とアヤは心から信じている。
そしてなにより、マテウスの言葉には棘が常にあり、リネーアに近づく主人公を常にけん制し、嫌味ばかり言っていた。それもゲーム後半になって二人が和解すれば落ち着くのだが、それまでが本当に嫌な奴だった。
そんなマテウスだが、人気は高いようだった。後半は身を挺して主人公を守り、時には落ち込む主人公を激励したりとした良いお兄さんキャラになり、前半とのギャップにやられた人が後を絶たなかったらしい。
気持ちはわからなくもないが、アヤはどうも彼を好きになれなかったのだ。
そんな相手に、嫌味を言われて喧嘩腰にならないわけがなかった。
「近づくもなにも、あなたたちに出会ったのは偶然です。そもそも、あなた誰? わたしを助けてくれた二人──ニルスさんとリネーアさんはどこ?」
「貴様、姫様を気安く……!」
「二人はどこかって聞いてるんですけど、聞こえてないの? それともその言葉が理解できないくらい頭が弱いの?」
「なんだと…?」
ギロリと睨んでくるマテウスに負けじとアヤも睨み返す。
しばらく睨み合っているとドアが開き、手に荷物を持ったニルスとリネーアが揃って入ってきて、睨み合っているアヤとマテウスを見て驚いた顔をした。
「二人とも、どうしたの…? なにかあった…?」
「…別になにも」
戸惑いながら声をかけてきたニルスにアヤは答え、ツーンと同時に顔を背けたアヤとマテウスにニルスは苦笑した。
「アヤさんの服を買ってきました。その服装ですと目立ってしまいますので…こちらに着替えをしていただけませんか?」
「あ…すみません。わざわざありがとうございます」
アヤはありがたくリネーアから服を受け取った。リネーアが用意してくれたのは、ワンピースだった。それもゲームで何回か見たことがあるようなデザインのもの。シンプルでとても動きやすそうなものだった。
(そっか…この世界だとわたしの服装の方がおかしいんだ)
アヤの服装は薄手のブラウスにカーディガンを羽織って薄茶色のパンツ姿という、街でよく見かけるOL風の服装だった。日本ではなんの変哲もない格好だが、こちらでは逆に目立ってしまうということに、言われて気づく。
本当に別の世界に来ちゃったんだな、と遠い目をしたくなる。しかし、それをぐっと堪えて、アヤは三人を見て頭を下げた。
「改めて、危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
「アヤが無事でなによりだったよ」
「ええ、本当に」
「……」
ニルスとリネーアはアヤが無事だったことを喜んでくれたが、マテウスは無言でアヤを睨みつけた。アヤはその視線を華麗にスルーする。
「でも…どうしてあのような場所におられたのですか? あそこは危険な魔物が多く棲息する場所…あなたのような女性一人で行くようなところではないと思いますが…」
不思議そうに小首を傾げて質問をしたリネーアに、アヤは背筋を伸ばし、答える。
「気づいたらあの場所に倒れていたんです。あの…これからわたしが話すことは到底信じられないことだと思いますが…」
アヤはあの場所にいた経緯をニルスたちに話した。
信じてもらえないと思いつつも、今、アヤはニルスたちに頼るしかないのだ。そんな人たちに自分の事情を隠したままでいるのは気まずいし、なによりアヤは隠し事が苦手だ。ともかく、アヤは自分の世界に帰る方法を探さなければならない。その手掛かりを探すためにも、彼らの信頼を得ること──嘘をつかないことが必要だと考えた。
ニルスは良い人だ。ゲームの主人公なのだから当然といえば当然だが、困っている人を放っておけないのがニルスという人物であることを、アヤはゲームを介して知っていた。だから話をすればきっと力になってくれる──そういう打算もあった。
「…異世界からやってきた…ね…にわかには信じられないけど…」
難しい顔をして考え込んだニルスにアヤは焦りだす。
話をすれば力になってくれるとばかり思い込んでいたが、よくよく考えれば見ず知らずの人間の突拍子もないことをすんなり信じてくれるはずがない。いまさらになって、力になってもらえなかったらどうしよう、とアヤは焦りだした。
「──わたくしは信じます」
なにか言わなくては、と必死に頭を動かしていたアヤは、リネーアのその言葉にハッとしてリネーアを見つめる。リネーアはそんなアヤの視線を受け、にこりと微笑む。
「彼女が嘘を言っているようには見えません。それに、彼女の服装もこの世界では見られないものです。彼女は嘘をついていない──わたくしは彼女の言葉を信じます」
「リネーアさん…!」
リネーアの優しい言葉に思わず涙が出そうになる。美人で声も可愛くて性格も良い──そんな完璧な人物がいるものだと、アヤは感動した。
「俺も彼女が嘘をついているとは思っていないよ。ただ…なんていえばいいのかな…突然異世界から来たと言われてもピンとこないというか……そうだな…ただ俺の頭が理解に追いついていないっていうだけ、という感じなんだ」
「ニルスさん…」
「君は嘘をついていない。それは俺も信じている。──突然知らない場所に来て、驚いただろう? 俺たちで力になれることがあれば──」
「──私は信じてない」
ニルスの言葉の途中でマテウスが割って入ってきた。ニルスとリネーアは困った顔をしてマテウスを見つめ、アヤは驚いた顔をしてマテウスを見ると、彼と目が合う。彼のその瞳の鋭さに怯みそうになったが、それをぐっと堪えてマテウスから視線を逸らさないで見つめ返した。
「マテウス…」
「見るからに怪しい人物を助けるだなんて、冗談じゃない。ニルス、忘れてはいないと思うが、おまえは国を救うために旅をしているんだぞ。一刻も早くこの旅を終わらせ、国に平和をもたらさなければならないというのに、こんな怪しい奴を助けている場合じゃないだろう」
「それは…確かにそうかもしれないけど…」
「おまえは人が良すぎるんだ。──姫様もです。一国の姫君ともあろう方が一人で城を飛び出すなど…本来ならばあってはならないことです。私が気づいたから良かったようなものですが……それに加えて、こんな怪しげな奴を信じるなどとおっしゃる。もっと王女としての自覚をお持ちください」
「…でも…」
「『でも』ではありません。──というわけで、そこの女。私たちの助けを期待するな。自力でなんとかするんだな」
アヤを冷たく一瞥するマテウスから目を逸らしたくなったが、目を逸らしたら負けだと言い聞かせ、きっと彼を睨む。
ムッとはしたが、マテウスの言うことはアヤも最もだと思う。国の一大事にアヤ一人のために時間を取るなど、馬鹿らしい。その時間でもしかしたら国が滅んでしまうかもしれない。そこまでは行かずとも、死ななくても良かった人が多く死んでしまうかもしれない──どちらかを選べといわれたら、迷わず多くの人を救える選択をするべきなのだ。
「──マテウス」
お世話になりました、と出ていくべきなのだろうかとアヤが悩んでいると、可憐な声がマテウスの名を呼んだ。
「はっ」
「人の上に立つものは、人を見る目を養わなければならない──そうですね?」
「その通りです」
「わたくしは、自分の人を見る目を信じています。彼女を救うことは国を救うことに繋がる──そう思うのです」
「は…? いや、しかし姫様」
「か弱い少女すら救えないのに、それより多くの人々を救えるとは、わたくしには思えないのです。そもそも、あなたの選択は極論すぎます。一人を取るか国を取るか、確かに選択しなければならない時もあるでしょう。でもそれは決して今ではない──違いますか?」
「それは……」
言葉に詰まってしまったらしいマテウスにリネーアは諭すように声をかける。
「独断で城を出てきてしまったことは反省しています。そして、あなたが気づいて後を追ってくれたことも、その後、父に交渉してこの旅を続けさせてくれたことも、とても感謝しています」
「勿体ないお言葉です。私が姫様のことを気にかけ、姫様のためになるよう動くことは当然のこと。あなたは私が仕えている主なのですから」
「ありがとう、マテウス。わたくしはあなたの主として相応しい人物でありたいといつも思っています。そのために、彼女を見捨てるわけにはいかないのです」
「……」
マテウスの目をまっすぐに見つめてそう言い切ったリネーア姫は、とても格好良かった。こんな人の下で働けるのはとても素晴らしいことだと、アヤはマテウスを少し羨ましく」思った。
リネーアの言葉にマテウスも目を見張り、さっと彼女に跪く。
「姫様がそうおっしゃるのなら、私は従うまで。ですが私はあなたの盾であり剣。あなたに害をなす者を見定め、あなたを守ることが私の役目。そのことはゆめゆめお忘れなきよう」
「わかっています。ありがとう、マテウス」
なんとか話がまとまったようでアヤはホッとした。
(とりあえず、力になってくれるみたい…よかったぁ…)
「…ということで、俺たちでよければ君の力になるよ」
「ありがとうございます! すごく助かります…!」
わあい、と両手を挙げて喜びたいのをぐっと堪え、アヤは頭を下げる。
「──とは言っても、俺たちは危険な旅をしている。君がいた森のように、妖獣──あ、妖獣というのは人を襲う魔物の一種で、獣の姿をしているものを指すんだけど、その妖獣が棲息する場所に行くことも少なくない。そんな旅に君を加えることはできない」
「え…」
話が違う、と呆然としてニルスをアヤが見つめると、彼は苦笑した。
「かといって、ここでさよならと言っても、君は困ってしまうだろう。ここは小さな村だからね、余所から来た人に厳しい。だから、次に俺たちが行く街まで君を案内する。そこで君が暮らせるように手配を整える。──これでどうかな?」
「じゅ、十分です…! わたしがお荷物だってことはわかりますし、街まで送ってもらえれば、そこからはわたし一人でなんとかします」
「知らない場所に君を一人放り出すようなことはできないよ。──というか、うちのお姫様が許さない」
「当然です」
間髪入れずに頷いたリネーアにニルスは困った顔をしたあと、アヤを見て「ほらね」というように笑う。
そんな二人のやりとりにアヤも思わず笑みを零した。
「ありがとうございます。本当に助かります」
「ああ、それ。そんな堅苦しい喋り方しなくていいよ。普通に喋って。“さん”とかもつけなくていいから」
「えっと…それじゃあ、お言葉に甘えて。本当にありがとう、ニルス、リネーア姫」
「わたくしのこともどうかリネーアと」
「え、はい……リネーア」
おずおずとアヤが名前を呼ぶと、リネーアは花が綻んだように笑った。その笑みにアヤは思わずぼうっとしてしまう。
それを疲れからだと思われたらしく、二人からゆっくり休みように言われ、アヤは大人しく頷いた。ちょうど一人でこの状況の整理整頓をしたいと思っていたのだ。
二人はもう少し村の様子を見てくると言って部屋を出たが、マテウスだけは部屋に残った。
「…あなたは行かなくていいんですか」
「貴様の見張りだ。姫様はああ言ったが、貴様が怪しいことに変わりはない。姫様やニルスが貴様を疑わない以上、私が貴様を監視しなくては」
「そうですか、お好きにどうぞ」
アヤはマテウスを無視して寝ることに決め、再びベッドに寝転ぶ。
「貴様に言われなくとも好きにする」と言ったマテウスの言葉を、夢うつつに聞いた。
*****
それからアヤは三人とともに旅をした。
道中では魔物に襲われたり、盗賊に襲われたり、マテウスと喧嘩をしたりと実にいろいろな騒動があったが、概ね順調な旅路だった。
ニルスとリネーアは本当に良い人で、アヤはこの二人が前よりも好きになった。二人で楽しそうに話している様子はお似合いだし、見ていて楽しい。問題はお邪魔虫だが、彼はゲームとは違い、ニルスに突っかかる様子はなく、二人の仲は良好のようだった。
(国のために旅をしているというのと、三人での旅という状況でゲーム序盤かなって思ったけど…違うのかな? もしくはここはゲームに似た世界ってことなのかな…)
考えてみても答えは出ない。
ただアヤにわかるのは、ここは夢とかではなく、現実の世界なのだということ。魔物に襲われたときも、盗賊に襲われたときも、ニルスやマテウスが軽度ではあるものの、怪我をした。それも、戦闘できないアヤを庇って怪我をしてしまったのだ。
ごめんなさい、と謝るアヤにニルスは気にしないようにと言い、マテウスは自分の注意力が足りなかっただけだと言って、決してアヤを責めなかった。仲が良好だとは言い難いマテウスでさえもアヤを責めなかったのだ。
リネーアが治癒の魔法を使えたため、二人とも大したことはなかったのだが、リネーアの魔法がなければ、二人はしばらく戦えなくなっただろう。もしかしたら、日常生活にも差し支えたかもしれない。
そんな出来事があってから、アヤはどこかゲームの世界だと楽観視していた自分の認識を改め、ここは現実の世界で、この三人は生身の人間なのだと思い知った。
それからは少しでも三人の助けになればと、アヤは自分でできることは率先してやるようにしていた。そして少しずつ、三人と仲良くなった。
それももうすぐ、終わる。明日には街に着き、そこで三人はさよならだ。
「明日でお別れですね…アヤと別れるのは、とても寂しいです…」
「リネーア…うん、わたしも。この旅が無事に終わったら、遊びに来てくれる? あ、難しいか…なら、手紙をちょうだい。わたし、遊びに行くから」
「ええ、必ず」
ぎゅっと両手を握って、アヤとリネーアは約束を交わしていると、すっと横からコップを渡され、アヤはきょとんとする。
「…マテウス?」
「餞別だ」
「せんべつ?」
「お茶が?」と首を傾げるアヤに、リネーアがそっと耳打ちをする。
「マテウスが淹れてくれるお茶は、とても美味しいのです。でも彼がお茶を淹れてくれることは滅多にありませんから…」
「なるほど…」
マテウスなりの気持ちなのだとアヤは理解し、喧嘩ばかりだったけれど、マテウスもアヤを仲間として認めてくれたのだと、じーんとしながらお茶を飲む。
そのお茶は今まで飲んだどのお茶よりも美味しくて、不覚にもアヤの涙腺が潤んだ。
「おいしい…」
「……フン」
ぷいっと顔を背けたマテウスにリネーアは小さく笑みを零す。それがマテウスの照れ隠しなのだと、幼い頃からマテウスとの付き合いのある彼女は知っていたのだ。
一方、そんなことは知らないアヤは、マテウスのそんな態度にムッとした。少し見直したが、この仕草で評価を元に戻す。やっぱり嫌な奴だ、とアヤがマテウスを睨んでいると、くすくすと笑いながらニルスが会話に入ってきた。
「マテウスのお茶は、愛情がいっぱい入っているから美味しいんだよ。マテウスがお茶を淹れる相手は限られているからね」
「ニルス…! 余計なことを言うな!」
ぱっと少し顔を赤くしてニルスに怒鳴ったマテウスを見て、アヤはきょとんとする。
そんなアヤを見てマテウスは更に顔を赤らめ、言い訳をするようにまくしたてる。
「その…おまえには助けられることも多かったからな、その礼というか…………その、なんだ…最初の頃に疑ってしまったから、その詫びもあるというか………ええい! とにかくおまえには世話になった! その礼だなにか文句あるか!!」
最後は完全に逆ギレだったマテウスにアヤは目を丸くし、段々とマテウスの台詞の意味を理解するとにっこりと笑った。
「お茶、すごく美味しかった。ありがとう、マテウス」
「……! ふ、ふん…俺が淹れたんだ、美味いのは当たり前だ」
気まずさから顔を背け、動揺から一人称が“俺”になっていたが、普段ならそれに突っ込むアヤも、今日はスルーしてただただ、にこりと微笑んだ。
その日はアヤとマテウスが喧嘩をすることなく、比較的和やかに過ごした。
その翌日、一行は街に到着した。
そしてアヤの住む場所等の手配を整え、アヤは三人と別れた。
最後は涙ぐんでしまったけれど、また会うことを約束して、アヤは三人の旅が無事に終わることを祈りつつ、新しい生活を頑張ろうと意気込んだ。
そう、意気込んだのだが──。
「へへへ…運が悪かったなぁ、お嬢ちゃん」
三人を見送って部屋に戻ろうとした瞬間、襲われてしまった。
その人物たちに、アヤは見覚えがあった。
アヤを襲った人物は全部で三人。その三人は、旅の途中でニルスたちを襲い、撃退された盗賊団の一員だった。そのうちの一人が見張り役として残っていた。
「悪く思うなよ、これもあんたの運命っていう奴だ。あいつらに復讐するための人質になってもらうぜ」
反論したいが、猿ぐつわを噛まされているため、反論できない。
手足もしっかりと拘束され、完全なる人質仕様である。
(勘弁してよ~! わたし、足手まといになりたくない…!!)
なんとか手足の拘束を解こうともがくが、しっかりと縄で結ばれているようで、びくともしない。
三人には本当にお世話になったのだ。見るからに怪しいアヤをここまで連れてきてくれた。優しく気遣ってくれた、本当に優しい人たちなのだ。そんな人たちの足を引っ張るような真似をするのはごめんだった。
その思いとは裏腹に、現にこうしてアヤは足手まといになってしまっている。きっと三人のうちの誰かが三人のもとへアヤが捕まっていることを告げに言っているだろう。それを聞いた三人はきっとアヤを助けようとするに違いない。
「あいつらが来る前に……あんたをちょいと味見しようか」
げへへ、と下品な笑みを浮かべてアヤの全身を舐めるように見つめる男の視線のあまりの気持ち悪さに、アヤは鳥肌が立つのを感じた。
一歩ずつ近づいてくる男から逃げようとするが、手足を拘束されているため、上手く逃げられない。アヤがもがいている間にも男は近づき、アヤのすぐ傍までやってきて、アヤの顎をつかむ。
「よく見れば可愛い顔してるじゃねえか。肌もハリがある…へへっ。悪くねえな」
「~~~~~っ!!」
「ハハ、この状況で睨むか。そういう負けん気の強いところも嫌いじゃねえ」
ニヤリと笑みを浮かべたあと、男の顔がアヤに近づいてくる。
顔を逸らしたら負けだと言い聞かせても、嫌悪感はどうしても拭えず、自然と目に涙がたまった。
男の顔が目と鼻の先になったとき、男の背後で何かが壊れて外れたような、ものすごい音がした。
何事かと男が背後を振り向いたと同時に、男の体が横に吹き飛んだ。
(え…? いったい、なにが…?)
「ってぇ……なにしやが……!?」
「──この下種が」
とても低い、地の底から響くような声がした。
その声の主にアヤは目を丸くする。
「女を人質に取り、手まで出そうとするとは…この屑が!」
「ひ、ひぃ…た、たす…たすけ……!」
「貴様に助けなどあるわけがないだろう」
鈍い音とともに男の呻き声が聞こえ、静かになった。
アヤに背を向けていた、燃えるように赤い髪が特徴の青年──マテウスが振り向き、アヤに近づいてくる。その表情はとても険しく、アヤの縄を解く間も、一言も喋らなかった。
マテウスがすごく怒っていると感じたアヤは、猿ぐつわを取られると「ごめんなさい」と謝った。それにマテウスはさらに渋面を作る。
「なぜ謝る」
「だ、だってわたし、三人に迷惑ばかりかけちゃって…本当にごめんなさい…」
悔しさのあまりに涙が零れた。情けない顔を見られたくなくて、アヤは両手で顔を覆った。
「おまえは本当に馬鹿だな」
「ど、どうせわたしは馬鹿でどうしようもないやつですよ…!」
「ああ、まったくだ。本当にどうしようもない──私たちがおまえを助けに行くことが迷惑だなんてな。おまえは私たちをなんだと思っている」
「え…?」
「おまえは一時的にでも私たちの仲間だった。仲間を助けるのが迷惑などと…笑わせる。迷惑なんて思うわけがない。助けるのは“当たり前”だ」
「マテウス…」
マテウスはそっとアヤの両手を掴んで顔から離し、真っ直ぐにアヤを見つめた。
「助けに来た。もう大丈夫だ。──何も怖くない」
「……っ!」
いつもは絶対に聞けないような、優しいマテウスの口調に、アヤはまた涙を零す。
そんなアヤをマテウスはそっと抱き寄せ、優しく背を叩いた。
「──あのさ、いい感じのところ悪いんだけど」
唐突に響いた申し訳なさそうな声に、アヤとマテウスは同時にハッとして距離を置く。
なんだか気まずく、お互い不自然に顔を逸らす。
(な、なんだか顔が熱い…やだもう、わたしなんでマテウスに…)
先ほどのことを考えると火が吹きそうになるので、考えるのはやめた。
「なんだ、ニルス」
「そんなに怒らないでよ、マテウス。悪かったと思っているけど、早くここ出ないと。リネーアの正体がバレる」
「ああ…そうだな」
マテウスは納得したように頷くと、徐にアヤを抱きかかえた。
え、と戸惑っている間にもマテウスとニルスはどんどんと歩いていく。
「あ、あの…! わたし歩けるから…!」
「足を怪我しているくせになにを言っている。大人しく抱えられていろ」
「な…!」
「ごめん、アヤ。でも今は急いでいるから、大人しくマテウスに抱えられて」
「う……はい」
申し訳なさそうに言うニルスには強く言えず、アヤはしぶしぶと頷く。
確かにアヤは連れ去れるときに暴れたせいで足を挫いていた。だからマテウスに抱えられるのは正直助かる。助かるのだが──。
(だからってお姫様だっこは恥ずかしいって…!)
羞恥に悶えるアヤを知ってか知らずか、マテウスは涼しい顔で歩く。
その横で、少しニマニマとした笑みを浮かべているニルスに気づかないふりをしたまま。
結局その後、アヤはその街に留まることなく、次の街までまた三人と一緒に旅をすることになった。なんでも、リネーアの身分が街の人たちバレてしまい、そんなリネーアと一緒に旅をしていたアヤがまた質の悪い人たちに絡まれる可能性が高く、街にいるのは危険だと判断したらしい。
ちなみに、アヤを攫ったあの盗賊たちは全員騎士団に捕まって、牢屋行きになったとのことである。
そしてまた街で別れようとすると、アヤは何かしらの事件に巻き込まれ、結局三人の旅についていくことになる、というのを幾度か繰り返したあと、アヤは決意する。
──もう三人の旅についていこう、と。
旅をしている間は事件などには巻き込まれなかった。だから、旅をしている間は事件に巻き込まれずに済むだろう、とアヤは思っていた。
それは他の三人も同意見だったようで、アヤの旅の同行を許可してくれた。旅の道中でアヤの異世界トリップの特典なのか、スマホが使い魔物の写真を撮るとその魔物の弱点などがわかるようになるアプリが入っていて、それが大変便利だったから、というのも許可をしてくれた一因であるようだ。ちなみに、スマホはアヤしか使えないようになっている。
もちろん、戦闘の時は役立たずだ。ただ、戦闘の時に指示をする──つまるところ、ゲームでいうプレイヤーの役割をアヤは果たせるのだ。そのおかげなのか、戦闘中にアヤが攻撃を受けたり、狙われたことは一度もない。
それに、旅をしていろんなところを見て回れば、元の世界に帰る手がかりも掴めるかもしれない。そう考えたのだ。
こうして、アヤもパーティーメンバーに加わった。
アヤができることは少ない。だけどその少ないことを一生懸命やって、少しでもみんなの助けになるように頑張ろう、と決めた。
それに、ニルスとリネーアの恋模様を間近で見れるチャンスなのだ。旅の最中にも二人を観察していたが、二人とも良い感じだ。きっとお互い憎からず思っているに違いない、とアヤは内心でニマニマしていた。
二人の背中を押すくらいなら、アヤにもきっとできる。二人をそっと陰から応援しよう、とアヤは密かに誓っていた。
そんなアヤの気がかりといえば、マテウスのことである。
ゲームのマテウスはリネーアに惚れていた。けれど、この世界のマテウスはそんな様子は一切見られない。リネーアのことはあくまでも仕えるべき主、というだけのようなのだ。
いろいろ悩んだ結果、アヤはさりげなくマテウスにリネーアのことを聞いてみることにした。
「ねえ、マテウス」
「なんだ」
「マテウスってさ、恋人とかいるの?」
「……いない」
「じゃあ好きな人は? あ、もしかして…リネーア姫のことが好きだったり? リネーアの美人だもんねえ。そんな人のそばにいたらそりゃ好きになっちゃうよね」
「…姫様を一人の女性として見たことは一度もない。姫様は私の大切な主だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「へえ」
拍子抜けした返事をアヤがすると、マテウスは不服そうに眉間に皺を寄せた。
「…なんだ、その間抜けな返事は」
「いやだって、真面目に答えてくれるから。わたしてっきり『そのようなこと、なぜおまえに言わなければならない?』って鼻で笑われると思っていたんだけど」
「おまえは私をなんだと思っている」
「嫌味ばかりの嫌な奴」
「…………」
間髪入れないアヤの答えに、マテウスは不機嫌そうにため息を吐いた。
そんなマテウスにアヤはにこっと笑いかける。
「嫌な奴だけど、意外と優しくて、照れ屋で、紅茶を淹れるのがとっても上手な、大切な仲間。そう思っているよ」
「……フン」
アヤの答えに照れたのか、マテウスは顔を背ける。
それがマテウス流の照れ隠しなのだと、アヤは最近ようやくわかってきたところだ。
「そっかそっか。マテウスはリネーアのことは主とだけしか思っていない、と。良かった!」
「…なぜおまえが喜ぶんだ?」
少し期待した面持ちで問いかけるマテウスに、アヤは少し不思議に思いつつ、答える。
「わたしね、ニルスとリネーアがとてもお似合いだと思うの! そりゃあ、いろいろ障害はあるのかもしれないけど…二人には上手くいってほしいなって思うんだ」
「…そうか。そうだな…私も、そう思う。私個人としては、だが」
少し残念そうに答えたマテウスに疑問を持ちつつも、同意してもらえたことが嬉しくて、アヤは「やっぱりそう思うよね!」と笑顔を浮かべた。
それをマテウスは一瞬まぶしそうな顔をして見つめたが、すぐに表情を取り繕う。アヤはそれに気づかないまま、マテウスに問いかける。
「じゃあ、マテウスって今、恋人も好きな人もいないの?」
「……いる」
「え?」
「好きな…いや……気になる人なら、いるぞ」
「え? だ、誰!? わたしも知っている人?」
「さあな」
「えー教えてよ!」
「知らん」
ずるい、と喚くアヤをマテウスはうるさそうにあしらう。
仲が良さそうな二人から少し距離を置いて歩いていたニルスとリネーアは、そんな二人のやり取りを見て顔を見合わせ、笑い合う。
「仲が良いね、あの二人」
「ええ、最初はどうなるかと思いましたが…仲良くなって良かったですわ」
「そうだね。俺はなんとなく、大丈夫かなって気はしてたけど」
「まあ、そうなのですか?」
「まあね。…あの二人、上手くいくといいね」
「ええ。マテウスの方は自覚があるようですが、アヤの方が…」
「そうみたいだね。さて、マテウスがどう攻めていくか…見物だね」
「まあ。意地が悪いですよ、ニルス」
──でも、わたくしも同意です。
と、いたずらっ子のように笑ったリネーアに、ニルスは笑う。
お互いがお互いの恋模様を気にしているとは露知らず、四人の旅路は続いていくのであった。
~Fin~