第4話 穴に落ちてもあきらめない
「うおおおおお!」
全力疾走で森の先を追いかけるが、全く差は縮まない。少女をギリギリ見失わない距離で、なんとかついていくのがやっとだ。
「のははははは! やっぱり口だけのようなの!」
先の方から勝ち誇った声が飛んでくる。
俺の息はとっくに切れてるのに、あの少女は疲れる様子を見せない。見た目と違い、舐めてかかるとまた、さっきのように痛い目にあうかもしれない。
頭の後ろをさすり、行く先を凝視する。すると、少女が立ち止まり、こちらを振り向いた。俺と違い、バテた様子はない。むしろ、会ったときには冷たかった目は今の方が光が灯っている気もする。……だか、それもこれまでだ!
「やっと逃げるのをあきらめたか!」
今度は俺が、勝ち誇ったような声をあげる。
あと5歩あれば捕まえられる距離。走りに力を込め、真っ直ぐに腕を伸ばす。しかし、すぐそこにいた目標は、その瞬間に視界から消えた。
いや、視界から消えたのは俺の方か、という考えが頭をよぎったのは、地面を蹴ったはずの足が空を切った感覚がした後だ。浮いた体が重量に引っ張られ、真下に……底の深い落し穴に、落ちていった。
あのとき……そう、こいつを追いかける前のことだ。俺は、口角をピクつかせたまま少女を見上げていた。腹は減っていたし、好物の卵焼きを食べられていた上に。
「挑発したにも関わらず俺の弁当を美味しく味わいなさるとは、なかなかいい度胸してるじゃないか」
そして、木の上の少女を捕まえようと、木によじ登った。最初の枝を掴み、身軽な動きで上に登っていった。
「ニンゲンのくせに、なかなかやるの」
俺の動きを上から見下ろす少女は、全く逃げる様子を見せない。それどころか、目の端でこちらを見た程度で、弁当のメインであるパンにまで手をつけていた。
その隙に俺は、すぐそこまで近づいていた。手前の枝まで登り、少女の服を掴もうと手を伸ばす。
しかし手は空を掴み、俺は後頭部を蹴られて枝から落ちた。
「うぐあっ!」
細い枝をいくつか折り、いつくか下のの太い枝まで落下した。ヘビーなタッチで胸から受け止められ、衝撃が全身に走る。
「をっ……ぶねぇ……」
震える手で枝にしがみつく。下に見える地面との距離に胸の痛みが遠くなり、全身に嫌な汗をかいた。これ、そのまま叩きつけられたら死んでたかも。
「のははー!」
次の瞬間、上から下に落ちた声に耳を疑った。目の前を緑の髪が通り過ぎ、思わず目を瞑った俺は嫌な音がするのを待った。
「えい」
下を向いていた額に何かが当たり、目を開くと、何事も無かったかのように少女が地面に立っていた。
「これ、酸っぱかったし種が硬かったの」
たぶん、干しすいぼしのことだろう。弁当に入っていたであろう、パンにはよく合わない赤くて小さい実だ。
「お前、今何をしたんだ? それと……俺の弁当は?」
「あれは、なかなか美味であったの。」
少女を見ると、安堵と共に怒りが込み上げてきた。
「よし、そこで少し待ってろ」
「どうしたのだ、おもしろい顔をして…………のっ!?」
惜しい。間一髪でよけられた。
「突然何する!?」
「何って、俺の荷物を返してもらうだけだけど?」
「……今のは、明らかに物を取り返す動きでは無かったの」
ジト目を向けられた。仕方ない、もう一発いくか。
「のおっ!?」
少女はまた、俺の拳を躱した。今度はほとんど遠慮しなかったはずなんだが。
「そうか、ニンゲン。この荷物が欲しいんだったの」
そう言って、手に持っていた空の弁当をリュックに入れる少女。
そして、リュックを背負い、俺に手を振る少女。
そのまま森の奥へ背を向けて走る、俺のリュックを盗んだ少女。
「……。待あぁてこの野郎ーー!」
そうして、俺が鬼で鬼ごっこが始まり、鬼のはずの俺が穴に捕まってしまったわけだ。本当に、なんて日なんだ今日は。
「腹減ったな……」
ここは落し穴の底。腰のあたりまで泥水が溜まっている。上を見ると、穴の口までは相当距離がありそうだ。俺7人分くらい。
冷たい泥水に映る自分の顔を見てため息をつく。
「何が案内人だよ。あんなやつの落とし穴にハマって」
すっかり怒りは冷め、泥水で頭も冷えた。
「でも、ガイドっていうのはこういう危険なことも、ちゃんと調べつくさないといけないんだな」
壁は土でできている。しかし、幅が広すぎて突っ張って登るのは無理そうだ。
荷物はない。助けもない。運もない。あるのは、諦めの悪さと……。
「これしかないな」
懐を探り、唯一の持ち物を取り出す。片手で小指と親指の指を鳴らして、木製のフォークを握る。そして、壁に思い切り突き刺した。
「さすが父さんの付与効果だ。土が卵焼きみたいだ」
足をかけられるくらい削り出し、足場を作っていく。体重を支える左手の指が痛い。つま先も震えて痛い。
「うああああ!」
指が限界を迎え、壁から離れた。
「っぶね……」
ギリギリのところでフォークを突き刺し、宙ぶらりんで耐える。
「やっと半分かよ……」
満身創痍で穴から出ると、陽光は橙色になっていた。立ち上がると全身が重く、腕が上がらない。足を引きずって歩こうとすると。
「見たことない生き物ね」
すぐ耳元で、高い声がした。振り向くが、誰もいない。何もない空間から声が聞こえる。
「たしか、ニンゲンのオトコっていう生き物だったかしら」
別の声だ。
「ニンゲン……あいつと一緒ね」
「あの[職業適性・通訳者]のこと?」
「もともとは木妖精だったらしいけどね。ニンゲン職の[職業適性・通訳人]があたったせいで醜い体になったって聞いたわ」
「やーね、身の毛がよだつわ」
声はそのまま遠ざかり、すぐに聞こえなくなった。
「幻聴まで聞こえてきたな。体も冷えてるし、俺、相当やばいかも」
キャリアは短いが、伊達に[案内人]ではない。追いかけ回った後でも、俺の頭はなんとか来た方向を覚えていた。
「さっさと帰るか……」
また、覚束無い足どりで歩き始めた。