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アマタ行進曲  作者: こんぶ子
4/11

休日

 人工的な風が手元をかすめる。ぼやけた視界に、眩しく光る丸い物体を確認した。数秒程あれは何だろうと考えたが、すぐさま天井に飾られた電球であると理解した。左方向へ目を動かすと、時計の針が十二時を指しているのが見えた。

 寝起きの体は重い。じんわりと汗をかいているせいもある。鉛の様な上半身をゆっくりと起こすと、ひょろっとした背の高い男の影が目に写った。


「イセ君おはよう。って言ってももう昼だよ」


 銀縁の眼鏡をかけた細身のその男性は、私の善き友人である大川君だ。彼は皺の目立つ文庫本を床に置くと、いつも通りの人の良さそうな顔で笑った。寝起きで未だふわふわした頭で、おはようと返す。私は昨夜、彼の部屋に泊まり、二人で無駄な話に華を咲かせ、おそらく月が沈まんとする頃に眠った。

 畳に敷かれた煎餅布団には枕が二つ置かれており、その上には私の脱ぎ散らしたシャツとズボンがぐしゃぐしゃに転がっている。夏場、私は多くの日にパンツ一丁で布団に入る(大川君は、自分の布団に私がパン一で潜り込む行為を許可してくれている、大変心の広いお方なのだ)。暑くて寝苦しいから意外の理由は無いのだが、男が男の部屋に泊まった翌朝、布団の上にひっつくように並べられた二つの枕と、昼頃に目を覚ましたパンツ一丁の寝起き男は汗をかいており、そうしてそれに優しく微笑みかける好青年も汗ばんでいる……と言うこの光景は、訳を知らない者が目撃したら、有らぬ誤解を招いてしまいそうだ。

 念のために弁解しておくが、私も大川君もそちらの趣味は一切合切無い。六畳一間に布団を二つ並べるスペースが無い故に同じ寝床で一夜を過ごしたが、やましい事は何一つしていない。


「お酒飲んでないのに、僕よりだいぶ寝起きが遅い」

「疲れてたのかな、一週間の疲れがどっときたのかもしれない」

「ああ僕も昨日疲れたから、昼頃に結構寝ちゃったんだ。だから夜の睡眠時間は短めになったのかも」

「じゃあ俺が遅起きなんじゃなく、大川君が早起きだ」

「早起きと言っても僕も十時頃なんだけどね、目覚めたの」


 昼飯食べてきなよ、と差し出されたお皿には大川君特製の冷製パスタが盛り付けられており、大葉の良い香りが鼻をくすぐり食欲を促進させる。


「ありがたく頂くよ。君は本当に良い嫁さんになれそうだ」


 軽く冗談を飛ばすが、あまりはまらなかったらしく、彼は何とも言えない顔で笑った。

 笑顔がデフォルトと言って良い程、常ににこやかな彼の血色はいつも良い。風邪をひいたところも見た事が無いし、昨夜だって相当の量のアルコールを飲み干していた筈なのに、二日酔いと言うものは来ないのだろうか。私はお酒が飲めないのでよく分からないが、少なくとも彼がそれらしき症状を訴えている様子は見た事が無い。







 105号室から一旦201号室へと向かい、身支度を済ませてから最寄りのレンタルDVDショップへと足を運ぶ。大川君は別れ際に、小瓶に入ったバニラビーンズと言う調味料をプレゼントしてくれた。プリン等をつくる際に使用すると美味しくなる、らしい。私はあまり自炊をしないのだが、せっかく友人に頂いた物なのだから、これは大切に使わせてもらおう。

 夏の暑さは体力を蝕む。アマタ荘から徒歩圏内の場所に有るレンタルDVDショップへと向かうだけだと言うのに、既に息は切れ、身体中を汗が流れる。漸く辿り着いた青い看板の建物に一歩踏み込むと、そこは外とは大違いの、クーラーの効いた快適極まりない空間であった。


「伊勢崎さん」


 快適さに浸っていると、真後ろから声をかけられた。突然の事に、つい肩がびくりと跳ねる。その少女のあどけなさを残した、可愛らしい声には聞き覚えがあった。


「廣田さん、こんにちは」

「いまびくってしたでしょ」


 後ろを振り返ると、案の定そこには子リスを連想させるような、小柄で丸顔の少女が立っていた。にししと笑う口元から、少し大きめの前歯が顔を覗かせる。


「突然だったから」

「びっくりしたら面白いなって思って声かけた。ねえ、何か借りに来たの?エロいやつ?一緒に観よう」


 両手を腰の後ろで組み、下から覗き込むように見上げてくる少女の軽口は、冗談なのだろうがそこそこ心臓に悪い。三十も半ばの独身男が、まだ未成年の女子大生と二人でアダルトビデオを観賞する様子なんて、警察が見たら私はそのままお縄にかかってしまうかもしれない。


「違うよ。『世界の車窓から』第四巻を借りに来た」

「何だ、伊勢崎さんって全然AV借りないから話のネタに出来ないなあ。女の人に興味が無いの?」


 廣田さんにアダルトビデオを借りてる姿なんか見られたら、一巻の終わりだろう。

 相変わらず意地の悪い笑顔で見上げる少女の頭を、ピコピコハンマーでぴこんと叩いてしまいたい。全く、この子は本当に噂話と他人をからかう事が大好きなのだな。一対一で接していると、時折こちらが困ってしまう様な発言を故意にする。


「あのねえ、未成年の女の子である君にこんなん言うのも気がひけるけど、俺は普通に女性の裸に興味が有る。ただそういうのを借りる程ではないってだけだよ」

「変なの、普通は皆観るんじゃないのそーゆーの。やっぱり男好き?大川さんが好き?」

「大川君は好きだが恋愛感情は一切無いしそもそも男性に興味が無い。全く、大人をからかうのは止しなさい」

「だって伊勢崎さん面白いから。でっかいしマフィアみたいな顔してるのにヘタレだし」


 私のコンプレックスをわざとつついてくる、非常に意地の悪い発言だ。

 私は子供の頃から背丈が大きく、運動量は人並みだったが、体質からなのかある程度の筋肉もついている。おまけにこの顔立ちと言ったら、目付きも悪く人相も悪い、認めたくないが、正に廣田さんが言った通りのマフィア顔なのである。それ故に学生時代は一部の生徒から恐れられていたが、生まれてこのかた喧嘩と言うものは一度もした事が無かった。痛いのは嫌いだし、相手が痛がるのも嫌だ。それなのにこの容姿のせいで、「伊勢崎拓哉に目をつけられたら半死半生にされる」等の噂や、「埼玉の陰のボス」等と言う欲しくもない称号を押し付けられた。

 今現在でもその噂を覚えている者はおり、結果的に初対面の人間からも避けられてしまう、我ながら不憫な人間へとなってしまったのであった。思えば、以前アマタ荘に暮らす青年に声をかけた際、逃げるようにしてその場を走り去られてしまったのはそのせいか。


「はっきり言うね相変わらず。お陰で今尚独り身だよ」

「一度でも結婚できた大川さんが羨ましい?実際あの人はイケメンって訳じゃないけど小綺麗だし、なんやかんや癒し系の顔してるからモテるだろうねえ。それに元は大手企業で働いてた高収入の有料物件だったらしいし、今はフリーターだけど。まあ伊勢崎さんも頑張りなよ、強面好きとかいるかもよ?」


 ほくそ笑みながら励ましの言葉らしきものをかけてくる少女を、実はほんの少しだけ苦手だったりする。

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