開演
炎天から殴りかかるかのように降り注ぐ強い日差しを、かろうじて遮ってくれている我がアマタ荘の一室に、私は腰を下ろしていた。
隔離しきれなかった夏の日差しに加え、使い込んだノートパソコンからも放たれる灼熱の刃に立ち向かうこちらの装備は、極限までに通気性の良さと軽量化を図りパンツ一丁、そして優しさが辛いまでに優しい風を送る扇風機が一体。到底太刀打ち出来たものではない。残された布切れ一枚も脱ぎ捨ててしまいたいものだが、穴ぼこだらけのアマタ荘で全裸になるは些か不安が残る。
ああもしかして、例えば、お隣に越してきた美しい女性が、至るところに点在する穴ぼこに興味を示したならば。そこに目をあててみたならば。何とも見苦しい姿をした私の何とも見苦しい下半身を目にしてしまった女性が、その見苦しさのあまり体調を崩してしまったならば。私は多大なる責任を感じると同時に、生まれてから34年間たびたび記録される私の心の中の日記帳、『伊勢崎拓哉の忘れられない苦い思い出』の一頁を更新する事になるだろう。そんな事態を未然に防ぐ為に、私はどれだけ暑かろうとも最後の布切れは絶対に手放さないと心に決めているのだ。
と言っても、それらは最初から全て私の空想である。私は、お隣に住む御仁の顔を知らない。趣味も、特技も、年齢も、性別すら知らない。分かっている事は、表札に記された「眞壁」と言うお名前だけだ。
私が暮らすアマタ荘201号室の左隣の202号室は、ここ数ヶ月の間空き家であった。去年の秋頃、旧・202号室の住人であった鈴木君と目が合ったと思いきや、彼は突如私をめがけて駆け寄り、私の可愛いげの無い両手をしかとを握り、「伊勢崎さん、僕はビッグドリームを掴みました」と喜びに目を輝かせながら話した。ビッグドリームとは宝くじか何かかしらと思案し、握られた両手をぼんやりと眺めている束の間、彼はお世話になりましたと続け、足早にその場を走り去った。そしてその数日後、彼はこのアマタ荘から発ったのだ。噂によると、田園調布とやら町に一戸建てを購入したらしい。
お隣がいない事への若干の寂しさを抱きながらも季節は巡り、今年の五月、私は京都へ行って宇治抹茶のスイーツを食したい衝動がどうしても抑えきれず、ゴールデンウィークを利用しここ埼玉県新座市から京の都へと足を運んだ。三日間歩きまわり、ありとあらゆる抹茶スイーツを見つけては堪能した私は、充実した気持ちでアマタ荘へと帰路に着いたのだが、その頃には何とまあいつの間にか、お隣に「眞壁」と記された表札が存在していたのだ。
これは挨拶せねばとインターホンを鳴らすが、人が出てくる気配は無い。薄い壁の向こうに人がいるという気配すら無い。翌日も鳴らすが気配は無い。次の日も、また次の日も鳴らすが状況は一向に変わらず、未だに眞壁さんには挨拶すら出来ていない。彼―――いや、彼女だろうか?は、いったいどんな人物なのだろう。何をして暮らしているのだろう。もしかして、越してきてから一度も家に帰っていないのだろうか。廣田さんにその事を話すと、「それ、単に居留守使われてんじゃないの?」と笑われた。
廣田さんは、アマタ荘の住人ではない。アマタ荘から歩いて2分の場所に建てられた一軒家で暮らしている女子大生だ。もっぱらの噂好きで、越してきたのはたった一年ほど前だと言うにも関わらず、彼女が有する噂の情報量には井戸端会議を嗜む主婦も真っ青である。ここいらで囁かれる噂で、彼女が知らないものはおそらく一つも無い。女子大生は仮の姿であり、廣田と言う名も偽名、本職は国家警察がここ新座市に潜む何らかの悪を暴く為に送り込んだスパイだという噂が流れていると言う事も、彼女は勿論知っている。
そんな廣田さんなら、眞壁さんについても何か知っているのではないか。そう思い彼または彼女の人となりについて訊ねてみても、廣田さんはただ意味ありげな笑みを浮かべるだけで、何も話そうとはしなかった。知っていて尚言えないのかもしれないし、知らないのかもしれない。
独り身の男が他人について詮索するなど趣味が悪い、気味が悪いと説教を喰らっても仕方があるまい。だが私はそれほどまでに、未だ顔を知らない隣人が気になって気になってしようがないのだ。
伸びてきた前髪から汗がぽたぽたと垂れてきたのを目で追う。灼熱のノートパソコンに向き合う事を一旦やめ、ぼろぼろの六畳一間に大の字で広がったら、畳から埃が舞って、鼻やら耳やらに入ってきて一つくしゃみをした。ぐっしょりとかいた汗が、薄汚れた畳敷きに染み込み更に汚していく。喉ごし爽やかな炭酸飲料や、ひんやりと冷たい抹茶アイス、そしてまだ見ぬお隣さんへ思いを馳せながら、それら全てに夢で会いましょうと声をかけ瞳を閉じた。
幼き頃から高級品に触れずに生きてきた私には、この家賃四万のアマタ荘は、そこそこ居心地の良い空間なのだった。