僕が猫になる
あぁ、またエリーは別の男に恋をしてる。
僕はそれを見ながらただ傍観することしか出来ない。それが悔しい。
小さい頃からずっと好きなのに、なんでその視線の先にいるのが僕じゃないんだろう。
そんなのわかりきっているけどね。
―――それは、僕の姿が猫だから。
エリーとの出会いは12歳の時だった。少し頭は悪く、いつもぽやっと笑っていた彼女。けして傾国の美少女とかいう訳ではないけれど、いつも優しくにこにこ笑っているのが好印象だった。
次に見かけた時は、そこかのパーティーだった。彼女は自分の兄妹たちと談笑していて、兄が「エリーはばかだなぁ」と楽しげに話しているのを見かけた。他人ながら、愛のあるやりとりに心が温かくなった。
しかし三度目に彼女を見かけたときは様子が違った。いつもの笑顔と違い、顔にはりついたような笑顔だった。どうしたのかと様子を伺うとどうやら隣にいた男が原因らしい。
アウグス・サーヴァンス伯爵子息。彼女の婚約者らしい。彼女は侯爵家なので彼より階級は上なはずだが、態度はまるで逆だった。
「であるから、僕は乗馬の才能を認められて来週から練習をし始めることを認められたんだ。同い年の子たちはまだ危険だからと一人で乗ることも認められていないみたいだけどね」
「乗馬というのは、するのに許可がいるのですか」
「あぁ、君はおバカだからわからないか。馬はかわいく見えるけどとても凶暴なんだよ。一歩間違えると大怪我ではすまないこともあるんだ」
「まぁ、初耳ですわ・・・」
「ほんと君はなにも知らないんだな」
明らかにエリーを小馬鹿にした態度。もし会話しているのが自分だったらエリーのことをそんなに馬鹿だと思わないのに。サーヴァンスに対し、もやもやとした対抗心が広がり、そんな自分を不思議に感じる。初めて感じたその感情の正体がわからず疑問に感じつつも二人の会話に乱入することもなくその場を後にする。
「グレン!グレン!何度言えばわかるんだ。そこはそうじゃないと言っているだろう!」
また怒られた。父は城の近衛騎士団の団長をやっていて、僕に対する教育の熱も並外れている。でも精一杯やっているのに頭ごなしに怒られるともやもやする。
父は魔法が使えないけど、僕は使える。父はそれは喜んでくれて最初は両方を駆使して戦えとよく言ってくれたけど、最近では「魔法に頼り切って剣の腕が疎かになっている。まずは剣を極めてから魔法の修行を初めても悪くないんじゃないか?」と強く言ってくる。
自分の剣の腕が上達していないのは気づいているけど、だからといってそれを魔法のせいにして終わりたくなかった。剣も好きだが魔法も好きなのだ。しかし剣一筋の父にそれを打ち明けることが出来ず、もんもんとしていた。
そんな悩みを持ちつつ、また父の付き添いでパーティーに参加する。しかし乗り気になれず、一人中庭に出る。
「はあああぁぁぁぁぁ」
「どうしたんですの?」
近くに人がいるということにも気づかず、ふと後ろを振り返るとそこにいたのはエリーだった。自分はエリーのことを一方的に見ていたけど、エリーは自分のことを知らないだろうから直接話す機会が来るなんて考えたことがなかったのでとても驚いて反応が遅れてしまった。
「私も悩み事はたくさんありますが、そういうときは人に言うととっても楽になりますの!私、お話聞きますわよ!」
一生懸命に見ず知らずの自分に対して力になろうとしてくれるエリーに胸のもやもやとは違った感情が生まれる。その感情がどのような感情かはわからなかったが、素直に話し出した。
「父は僕に剣の上達を望んでて、そのために魔法を捨てろっていうんだ。でも僕は魔法が好きで・・・僕が弱いのが悪いんだけど、両方をとる道はないか悩んでるんだ」
「なるほど・・・剣というのは奥が深い世界ですからね。片手間になってしまうとお父様はご心配なさっているのですね・・・むしろ、一度お父様の言う通りにしてみては?」
「え?」
「どうせ15歳になったら学院に入りますし、そこから魔法の勉強も出来るようになるでしょう。それまでに剣を極め、お父様の許可を得て正々堂々と魔法を学ぶのです」
あたかも簡単なことのように彼女は言う。一般的に考えたら「そんな簡単なことじゃない」と反発したくなる内容かもしれない。実際父に提案されたときも二度と魔法を学べないような気になり、反抗的な気持ちが生まれてしまった。しかし、この子はそんなことこれっぽっちも考えていない。「出来る」と信じている。その気持ちに応えたいという気持ちが生まれ、今まで悩んでいたことが急に晴れていった。
「そうだね、簡単なことだね。剣がうまくなればいいのか。ありがとう」
「とんでもないですわ。私、大したこと言っておりませんもの。ご検討をお祈りします」
そういってにっこり笑う顔を見て、あぁ、好きだと自覚してしまった。
剣を強化し、父に認めてもらい、魔法も習得する。そして自分は魔法騎士として名を上げ、彼女の隣に並ぶのにふさわしい男になろう。
そう決意したのだった。
それから3年。気付けば学園に入学するまで一年を切っていた。グレンはあの日から父親も驚く程剣に打ち込んだ。その腕は国でも随一と名高い近衛騎士団でも上に登れるだろう実力になっていた。なので父の仕事にもたまに付き添い、その若さで既に将来の近衛騎士隊長とまで言われていた。
ある日、父の仕事場に向かうと影でこそこそしている貴族がいるのが目に入った。
「この薬を、カタロース伯爵の元に持って行ってくれ」
「最近多いな。何かあったのか?」
「どうやら大きい客が出来たようだ。売れ行きがぐんとあがって喜んでいたからな」
「まぁ、こちらとしても嬉しいことだな。こういう売上がないと贅沢はなかなかできん」
やりとりから察するに、違法な薬の売買に関与している貴族を見つけてしまったらしい。30代半ばの金髪の男はグレーテ男爵だ・・・男爵だが商才があり中々裕福だと聞いたが悪行で成り上がったタイプだったか。もう一人は顔もわからないのであまり有名な貴族ではないかもしれない。40代の中肉中背の黒髪の男だ。忘れないようにしっかりと顔を見つつ、話の内容を頭に叩き込んでいく。
どうやら黒髪の男は今晩カタロース伯爵の家に薬を持っていくらしい。すぐに父に報告しようかとも思ったが今週末に控えている王子の生誕10周年祭を前に皆とても忙しくしている。むしろこの時期を狙っての犯行かもしれない。
それならきっと油断しているだろうし、自分がその現場を押さえればいいんじゃないか。慢心ではなく自分はとても強くなった。現場を見て、危険だと判断したら応援を呼べばいい。そう判断し、その場を後にした。
その日の夕方、裏からカタロース伯爵の屋敷に入り込み、密談現場を探す。屋敷の中はとても暗く、本当に人がいるのかわからない程だった。しかし確かにここを指定していたので一部屋ずつひっそりと確認していく。なにかがおかしい。二階を一通り確認したのに人が一人もいない。まるで廃墟だが、部屋はとてもきれいだ。
再びなにかがおかしいと、一度屋敷を出ることを考え始めたときに、一人の人とぶつかった。
「あら、珍しい。あなたみたいなかわいい男の子が、なんでここにいるのかしら」
そこにいたのは紫がかった長い黒髪を下ろし、優艶な笑みを浮かべた女性だった。まずい、屋敷の者に気づかれたと思い、逃げようとしたときには身体が動かなくなっていた。
「ふふ、身体、動かないでしょう?ここで何をしているか知らないけど、ここには知られちゃいけないことがいっぱいあるのよう。そうね・・・あなたの銀色の髪も紅い瞳もとても好きな色だから、私の傍に一生いてくれるなら、許してあげるわ」
「それは・・・できません」
「あら、振られちゃったのね・・・悲しい。そしたらあなたが誰とも一緒になれないような仕返しをさせてもらうわね。そう・・・えいっ。ふふ、あーかわいい。精々頑張って生きてね。ばいばい」
この女が何を言っているのかよくわからないが、何故か抱えられて窓から外に出してくれた。二階から投げられて驚いたがうまく着地することが出来たので身体のどこも痛くなかった。そこから急いで父の元に向かう。今日あったことをすべて話さなければ。自分の思慮が浅はかすぎて嫌になりそうだが、自分はまだ子供なのだ。おとなしく大人に任せ、自分の失敗を学び、次に生かそう。なるべく悪いことを考えないように、一生懸命走った。
しかし途中で回りを見て違和感を覚える。周りの建物は、こんなに高かったか?まだ人に会っていないがなにもかもが大きい。もしかして自分は知らない街に来てしまったのかと疑い始めるが、その大きい建物はどれも見覚えがある造りばかりで何か変だ。そして人に遭遇したときにその違和感の正体を知った。
周りが大きいのではなく、自分が小さいのだと―――
どうにか自分の高さでも見れる鏡を探したが中々見つからず、街の外れの湖をのぞき込んだとき、自分が何になったのかわかった。猫だ。母譲りの銀色の毛と父譲りの紅い目はそのまま引き継がれていた・・・しかしそれで自分の知人がわかってくれるはずもなく、父に会っても何も伝えることが出来ず、むしろつまみだされてしまった。よく考えれば父は猫アレルギーだ。父に助けを求めるのは絶望的だった。
これからどうしていいかもわからず、すっかり夜もくれていた。適当に歩いていたのでここがどこかもわからないが、毛皮があるため寒くはない。とりあえず落ち着ける場所を探して今日は休もうとあたりを見渡すと、前方で争っているような声が聞こえる。どうやら二人組の男に女の子が襲われているらしい。
『俺の前でそんなことするなんて、いい度胸だ!』
自分が猫になっていることも忘れて走り出し、男たちにとびかかる。身体は違うが、武術の身のこなしはヘタな大人よりもある。それにプラスされ猫としての運動神経と爪と牙を駆使し男たちに攻撃を次々と繰り広げる。決定的な攻撃力がある訳ではないが、素早すぎて男たちはこの猫を捕らえることが出来ない。
『くそ!この身体でどうやって戦えばいいんだ・・・そうだ、魔法なら!』
剣に特化した鍛錬ばかりしてきたが幼少期に覚えた基本的な魔法なら使える。ひるんでいる男たちに、風の魔法を使う。久しぶりに使ったのもあり、その二人を吹き飛ばすつもりで発動した風は鋭く二人を切りつけた。まるでかまいたちのように。
「ば、ばけもんだー!!!」
「にげろ!!!」
どうやらただの人攫いだったらしく、得体の知れない動物に驚き逃げていった。この姿でも悪者を撃退できたことに安堵しつつ襲われていた女性を見ると、その人はよく知っている人物だった。
『エリー・・・』
「あなた・・・猫ちゃんですわよね・・・?助けてくださったの・・・?」
エリー瞳には恐怖と戸惑いの感情が見えた。どうにか落ち着かせてあげたくて、問いに対してこくんと頭を下げるとエリーは目を見開いた。
「あなた、私の言葉がわかるのですね!!!なんてお利巧さんなのかしら!!!あ、その前に、助けてくれたお礼がしたいわ!!私のお家に招待させてください!!!」
その後エリーはグレンと共に家に行き、エリーの家族にゲレンが助けてくれたあらましを説明した。エリーの家族はみんなとても温かく、猫とは思えない接待を受けた。更に首輪がないことに気づいた兄がこの家で飼うことを提案し、グレンがうなずくことでこの家の仲間入りを果たした。