エピローグ
この小説、浪岡哀劇をお読みいただきありがとうございます。
光をあてられない部分の歴史を掘り起こすのも一苦労・・・といいたいところですが、この小説はあくまで創作です。地名や名字等はその時代に存在したものを使っておりますが、子供が父を殺すなどという不幸な事実はありませんのでご安心ください。
浪岡とは青森県青森市にある地名で、古くからある程度の拠点として栄えたといわれております。古代においてはいわゆる蝦夷の住むところ・・・奥州藤原の時代を経て、鎌倉御家人の知行としてあてがわれました。津軽地方のあたりは北条得宗家の直轄領として、特に浪岡は御家人の小山結城氏の端くれが北条氏の御内人として治めたらしいです。北条が崩壊した後に北畠氏が入ります。
鎌倉時代を契機として、青森県に多く存在する名字が現れました。その多くは御家人のものです。例えば”葛西””工藤””太田””成田””木村”がそれに当たります。”南部”もこの時代に入ったとの言い伝えがあります。室町時代になると、南北朝の動乱に合わせ”菊池”などの名字も定着しました。戸数は少ないですが”多田””石塔”もこの時期に入ったものと思われます。作中では”補佐”の名字は大殿より与えられたことになっていますが、この変わった名字は葛西氏の支族として以前より存在していたみたいです。
時代背景は南北朝・・・それも合一後だいたい1400年ぐらいを想定してこの小説は書きました。誰も選ばなそうな微妙な頃合いだなと我ながら思いますが、ネックとなったのは浪岡北畠氏はそのころどういう立ち位置だったかということです。興りにも多くの説あり、南部氏が安東氏を次第に圧倒していく中でいかにして動いていたか。否応なく勢力拡大の波にのみこまれたことでしょうが、ある程度の力を持っていた時代もあったに違いありません。
さてテーマとしては、”罪”について考えてみました。いまだ議論の尽きない話ではありますが、それぞれの方々が正解とは何かを考えてみるのも一興かなと思います。
それでは、この小説を終わりにさせていただきます。ありがとうございました。
2018/3/23追記 かんから
お読みくださってありがとうございます。
おそらくこちらへいらっしゃる方の多くは”津軽藩起始”を読み終えた方々が多いのかな?と考えています。微妙に話の軸というものは津軽藩シリーズ?とは若干異なりますが、起始では同じ浪岡を扱っているだけあって、使っている名字や地名が共通しています。雰囲気として、エピソード0と捉えてくださると幸いです。
いやーしかし、2年もたつと、文章の質も違ってきますし、”うわー下手だ”と感じちゃうもので。ある程度は手直しをいたしましたが、さていかがでしょう?今後ともご愛顧をお願い申し上げます。




