第三章 第二話
かつて水谷氏は、多田氏と並び浪岡北畠家の両管領と称されていた。私と共に南朝のために尽くす戦友でもあった。北畠にとっては、源氏の多田と平氏の水谷を従えている我が家は強勢だぞと銘打ちたかったらしい。ちなみに御所号の従兄弟である具好が川原に分家を作った際には、水谷氏の娘は彼に嫁いでいる。
…………
随分と前のことである。南北朝は合一したが、すべての者が納得したわけではなかった。南朝にかつての勢いなく、兵力は圧倒的に劣る。実質的には南朝は北朝に屈したのと等しい。それでもまだ抵抗を続けようと訴えたものも多かった。負けと認めたくないのだろう。我らは戦で大負けしたわけではない。しかしながらこの北奥においても差は歴然としているので、無理な話だ。
そんな折、ある者が告げた。
“川原が反乱を起こす気です”
浪岡御所を乗っ取り、南朝の皇子を招き入れ、再び北の地よりうねりをもたらそうと。これが忠臣北畠のあるべき道。
御所号と周りの家来達は、たいそう末恐ろしく感じただろう。もちろん私はあり得ないと思って必死に制止した。川原にはそのような気はまったくなく、御所号と考えに違いはないことも知っていた。だが御所号は非情にもそんな私に向かって命じたのだ。
“いますぐ、川原を攻めろ”
泣く泣く攻めざるを得なかった。どうしようもなかった。武門の習い、具好の首をとり、姻戚の水谷氏ら川原の者を討った。
不意打ちであるため川原勢は何もすることもできなかった。布団より出る間もなく殺された者。鎧すら身に着けることができずに刺された者。生きることに必死で、私と相対すると近くにあった酒瓶などをことごとく投げてはみたものの、投げるものがなくなると己の羽織で前を妨げる、観念することなく命ついえた者。
無様である。特に敵でないものを殺したのだから。実に浮かばれない。戦ったものの中には互いに知っているものも多く、生き残った者の傷も深い。
故に私は真相を探った。汚名を着たまま死んだ者たちの、せめてもの供養になればと。だが仮に無実だとしたら御所号は間違った判断をしたことになる。体裁が傷つけられ、あるいは逆らったとみなされうる。……しかし亡くなった者たちの気持ちを考えると、体は自然と動いていた。
扉向こうに、一人の青年。
「知っております。他の者から父上のことは存じ上げております。」
息子の一矢が訪ねてきたようだ。土産として、“冷奴”を持ってきた。
顕氏様は一矢の顔を見るなり急に笑みを浮かべた。
「そうだ。歴戦の勇姿もさることながら、何事も恐れずに真実を明るみにした勇気を鑑み、御所を永く支えよとのことで”補佐”の名字を賜った。お主も父上に負けぬよう、精進することだ。」
暗くなったこの場を変えるがごとく、一矢は大きい声で明るく応えた。