魔法
ふと水滴が制服を弾いた。
ぽたぽたと墨を零したようにコンクリートが黒く滲む、降ってきた。
私は目を細めてぼやける空を見る。
灰色の空、
暗い絵の具のグラデーション、
灰色...そういえば昔、美術の色彩の授業で、
「水彩画は赤・青・黄色の絵の具を混ぜる事で灰色になる」と言っていたことを脳裏で思い出す。
どれも明るい色なのに、組み合わせると暗く、どうしようもなく地味になる。なんだか切ない話だね。
私みたいだ。
ふと、私の隣に立っていた街灯の明かりが灯る。もう、こんな時間か。
快晴だって言ったのに...
お天気お姉さんが、綺麗な笑顔で嘘をついた。
バス停では、1本見送ると30分は待たされる。地元民の特権だ。
雨脚が早まる、
季節の温度を変化させるように。
雨音以外聴こえなくなる。ある意味静かだ。
その静寂の中で空が割れる音がした。
徐々に視界がぼやけ、目に見える世界が深い海の底に沈むのではないだろうかとふと不安になる。
木々をすり抜け容赦無く打ち付ける。雨粒は大きく、酷く攻撃的だった。
私は猫のように丸くなり、自分の体を庇おうとする。
制服は鉛のように重く、カッターシャツが肌に染み込む。
体温が奪われ、意識が朦朧とする。
気付けば手の感覚は既にない。このまま力を抜けば、楽になれる気がした。
これでいいんだ、と思った。
雨に身を任せて、
ここではない何処かへ。
私の周りで雨が止んだ。
ふと顔を上げると誰かがいた。
霞んだ目をなんとか押し上げてその人を見る。
骨張った細い腕が、しゃがみ込んでいた私を抱き起こした。
手首には、夜空をそのまま小さな玉に閉じ込めたようなブレスレットが目に入った。
彼は私に魔法の杖を渡したと思うと、身を翻して走り出す。
私は急いで話しかけようと叫んだ。しかし、雨音の静寂にかき消されて彼には届かなかった。
あの日から彼が脳裏から消えない。ずっと彼のことを考えている。光合成をする植物のように、暖かい何かが体を巡った。
しかし、あの時本当に誰かが居たのだろうか?冷え切った体で意識がかすれ、おぼろげに見た幻影なのだろうか?
しかし、まるで深い森の奥の川辺で力強く生きる苔のような、深緑色の杖は、控えめに私の手の中で彼の存在を証明していた。
雨が降れば会えるだろうか、またあの日のように深緑色の杖をかざしてくれるだろうか。
でも、それは、深緑色の杖は、私が持っている。彼にこれを返さねばならない。
授業中も解説が耳に入らず、窓際の席から雲ひとつない青空を見上げた。
窓の取っ手に置かれていたてるてる坊主をなんとなく、逆さまにして吊るした。