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第一話 「さぁいらっしゃい!私の勇者!」

その世界には魔王が居た。

魔王は突如として姿を現し、強大な力と魔物を揮って世界を征服しようと企んだ。

しかし、その企みは「勇者」と呼ばれる存在と、その仲間達の手によって打ち砕かれる事となった。

魔王は勇者達との戦いに負け、封印されてしまったのだ。

自身の復活を予言しながら、魔王は闇の中へと消えた。

それが、今を遡る事、およそ3000年前の話。

かつて勇者と共に戦い、魔王を封印したエルフの長は、数年後の魔王の復活を予知し、村人達を召集していた。

「魔王の復活はもはや確実。勇者の素質がある者を見つけ、魔王の復活に備えるのじゃ!」

エルフの長は村人に告げ、大陸の各地に彼らを散らせた。

勇者を見つけ、力不足ならば、その勇者を育て上げる。

エルフ族の主導による勇者育成計画は、ここに開始されたのである。



                  勇者育成計画

               ~女エルフシェリルの場合~


                    第一話

             「さぁいらっしゃい!私の勇者!」



シェリルは人間の街に来ていた。

その身には緑のローブをまとい、長い耳が見えないように頭にはフードも被っている。

彼女の正体は人間ではない。

数千年の時を生きるエルフ族の少女なのだ。

その年齢は百と62才。

人間の年齢で換算するなら、16才くらいの外見である。

髪の色は金色で、瞳は美しいコバルトブルー。

フードをかぶっている為に分からないが、髪型は所謂ポニーテールだ。

スタイルは良く、性格も、決して悪いと言う程ではない。

実際、その外見や、悪いと言う程ではない性格に惹かれた男エルフ達に告白を受けた事もあった。

が、シェリルはそのことごとくを「ごめんなさい」と断って来た。

理由はひとつ。

自分の中に「理想の男性」が居たからである。

それは、エルフの長が話す「かつての勇者」その人だった。

仲間達の先頭に立ち、傷つく事を恐れずに「グイグイ」と仲間を引っ張っていく。

どんな逆境にも決して屈さず、希望を捨てず最後まで全力を尽くして戦う人物。

それがシェリルの理想の男性ひとだ。

それ故にシェリルは今回の「勇者育成計画」には、心の底からやる気であった。

勇者を見つけ、それを育て、復活を果たした魔王を倒す。

そして、育てた勇者と添い遂げて幸せ一杯の余生を送る。

それが、女エルフシェリルの場合の「勇者育成計画」だった。

その計画の第一歩である「勇者を発見する為」に、彼女は人間の街に来ている。

街の名前はコーンシェイド。人口はおよそ40万人。

アルウンドと呼ばれている軍事大国の首都である。

通りは混み、行き交う人の肌の色は様々だった。

鍛冶や細工、修理等を得意としているドワーフという種族の男を1人見たが、それ以外はやはり人間達で、エルフは流石に1人も居なかった。

エルフは基本、森から離れず、人間と接する事を嫌う。

今回のような特殊な理由で森から外に出ない限り、人間の街に居るはずは無い。

人間だらけの通りを歩き、シェリルはくたびれた食堂を探す。

なぜ、酒場や宿屋ではなく、くたびれた食堂を探すのか。

それは、エルフの長とかつての勇者が、くたびれた食堂で出会ったからだ。

シェリルはそれを再現しようと、くたびれた食堂を探していたのだ。

街の中を彷徨いながら、シェリルはそれを探して歩いた。

「…良いくたびれ具合だわ!」

数十分後、シェリルはようやく御眼鏡にかなうそれを見つけた。

「ウフフ…本当に良い感じのくたびれ具合…」

そして、いい具合にくたびれている食堂の前で「ニタリ」と笑う。

食堂の名前は「どうでもいい屋」。

くたびれた外観に比例したやる気の感じられない店であった。

「中はどうかしら。期待はずれじゃなければいいけど」

食堂の名前を一切気にせず、シェリルは食堂の中に入る。

「…素晴らしい!完璧ね!」

とは、食堂に入った直後の感想。

木のテーブルはボロボロで、椅子の種類は殆どバラバラ。

壁には大きなひび割れが走り、メニューもはがれかけている。

テーブルの上にはまだ先客の皿やコップが残されており、それを片付けるべき店員の姿は1人も見られなかった。

シェリルは喜び、「ここならきっと!」と、興奮すらも覚えていたが、人生に疲れた人は来ても、勇者となりえる人物と出会える場所とは思えなかった。

「あ?客?メンドクセーなぁ…」

と、この食堂の亭主らしきヒゲ親父が言って姿を現した。

年齢は35~6才。世界の全てが敵だと思っているような反社会的な顔つきだった。

「まぁテキトーな所に座れや」

亭主に言われ、シェリルが動いた。

そして左端のテーブルにつき、亭主の続く言葉を待った。

「何頼むんだ?とりあえず水か?」

ぶっきらぼうに亭主は言った。

シェリルの返答を待つ一瞬で、タバコを咥えてマッチを擦る。

「じゃあそれで」

と、シェリルが答える。

「あんだ?無愛想な野郎だなぁ」

それを聞いた亭主は言いつつ、食堂の奥に歩いて行った。

「あいよ。水。で、注文は?」

数秒後に亭主は再び現れ、水が入ったコップを置いて、タバコの煙を「プハァ」と吐いた。

「じゃあ何か軽いものを」

水だけを貰って居座る事は流石に失礼だとシェリルは思った。

具体的に何かを頼む、という所までは至らなかったが、亭主に一応の注文をする。

亭主は「軽いものだぁ~?」と、その注文に疑問していたが、シェリルが一言も喋らないので「気持ちわりぃ客だぜ…」と呟きながらキッチンへと歩いて行った。

「(よし)」

亭主が居なくなった事を確認した後、シェリルはローブの中を漁り、こぶし大の石を取り出す。

それはエルフの長から渡された「勇者の素質を計る石」だった。

普段は灰色のただの石だが、勇者の素質がある者が近付くと10段階の様々な色に輝く。

その色は最低レベルが白で、最高レベルが虹色らしい。

「(さぁいらっしゃい…私の勇者…!)」

テーブルの上に石を置き、肘をついて両手を組んだ。

「(せめてレベル5!緑色来い!)」

と、心の中で強く念じる。

それから一分、二分、三分とが過ぎる。

「来ないじゃない!」

と、キレるシェリルは、運命を信じているにしても、少々短気すぎるような気がした。

それから更に三分程が過ぎ、何かを調理してきた亭主がみたび姿を現してきた。

「ほれ、温めたこんにゃくだ。注文通りの軽いもんだろ?」

それは三角に切られたこんにゃく。

味付けも何も無く、ただ温めただけのものであった。

亭主自身、度が過ぎてると内心でわかっているのだろう、言った後には「フヒャヒャ!」と笑い、シェリルが切れて怒る事をどうやら期待している様子だった。

「どうもありがとう」

が、シェリルの返した反応はそれ。

フォークで「ぶすり」とこんにゃくを刺し、「くちゃくちゃ」とそれを食し始めた。

「な、なんだこいつ、まともじゃねぇ…!」

その様子を見た亭主は咥えたタバコを「ぽろり」と落とし、後ずさった後に逃げていった。

「はーやれやれ。疲れた疲れた…」

と、ここでようやくお客が来店。

年齢は見た目に50前後。

不潔な帽子を頭にかぶるやや太り気味の男性だった。

「おーい!おやっさん!いつもの頼むよ!」

男性客は大声で言い、「ふぅ」と息をつきながら、シェリルの向かいのテーブルに座った。

シェリルが「ちらり」と石を見るが、こぶし大の石に変化は無かった。

「うわ…なんかヤバそうだなここ…」

続き、20才くらいの男性が入店。

店の危うい雰囲気を見て、恐る恐ると言った感でシェリルの右手の席に座った。

シェリルが素早く石を見たが、こぶし大の石に変化は見えず、シェリルは若干がっかりとした。

更に数分後、子供が入店。

年齢はおそらく12、3才。

「あれっ、お客さん待ってるじゃないか。何してんだよおやっさん…」

そう言い残して通り過ぎ、店の奥へと歩いて行った。

「(お子さん?それともお手伝いさんかしら?)」

何気なくそう思い、シェリルは次の客を待った。

「!?」

が、その視界の端に虹色に輝く石が映る。

「れ、レベル10!?ありえないでしょ!!」

石を掴み、振り回し、取り乱してシェリルが叫ぶ。

店内に居た客は「なんだあいつ…」と、皆さん揃って不審顔だ。

「こ、壊れてるのね!?そうなんでしょう!」

それに構わずシェリルが言うが、第三者としては「それはお前だろ」と言いたくなるような状況だった。

「あ、あの、何かあったんですか…?」

20才くらいの男性客が、やむを得ずの体でシェリルに聞いた。

おそらく関係無いとは思うが、一体何が起こったのかを単純に知りたくなったのである。

「うわぁ!?!」

が、シェリルは何も答えず、石を「ずいっ!」と近づけるだけ。

石の輝きが消えた事を見て、「やっぱりあなたじゃないのね…」と言った。

「な、なんだよこの店…やっぱおかしいよ…」

男性客は恐怖で遁走。

注文すらしないままに、くたびれた食堂から去って行った。

「と、いう事は…」

言いながら、シェリルが中年を見る。

それに気づいた中年は「ひっ!?」と怯えて椅子ごと後退し、背中を「どんっ」と壁にぶつけた。

「あの子…という事になるの…?」

そんな男に勇者の素質があるわけがないとシェリルは思い、食堂の奥に向かって行った12、3才の子供に的を絞った。

それを確認しに行こう、と、シェリルが席から立った時、少年はエプロンを腰に巻いて店の奥から姿を現した。

「すみませーん。お待たせしましたー。なんか、おやっさん居ないみたいなんで、今日は僕がお作りしますね」

そして、エプロンからメモを出して、それを右手に注文に向かった。

「あ、じゃあいつものやつで…」

中年が言って、腰を戻した。

「ちらちら」とシェリルの方を伺い、いつでも立ち上がれるような体制ではある。

「はい。いつもありがとうございます」

注文を聞いた少年が、礼儀正しく男にお辞儀する。

いつも、と言っている所を見ると、この男はおそらく常連なのだろう。

「こちらのお客様は何になさいますか?」

それから少年はシェリルの元へ。

石は直後に虹色に輝いた。

「わ、私の勇者が…こんな子供…?」

シェリルはあまりの衝撃に、腰を抜かして崩れるように座った。

「あの…お客様…?」

黒髪の少年は目を丸くして、愕然とするシェリルを見やった。

見ればなかなかの美形だったが、やはりはまだまだ幼かった。

「…君、年はいくつ?」

力無い声でシェリルが聞いた。

「え?13才ですけど…?」

という、予想通りの答えにため息を吐く。

「…それが何か?」

一体どういう事なのか、と、気になった少年がシェリルに聞くが、シェリルは敢えてそれには答えず、

「いいの、ちょっとだけ1人にして…」

と、とりあえず少年を遠ざけた。

少年は不思議そうな顔をしながら、調理の為に奥へと消えた。

1人になったシェリルは考え、そして大いに苦悩するのだ。

それは即ち「レベル10の素質がある子供を選ぶか」、「レベルは下がるかもしれないがもっと大人を選ぶか」である。

勇者との結婚を夢見るシェリルは、できれば後者を選びたかった。

が、「魔王を倒す」という世界平和の観点で見れば、前者を選ぶ事が最善だった。

世界を取るか、自分を取るか、極端な考えだがその狭間でシェリルは苦悩したわけである。

「あーなんて災難!誰か私の代わりに悩んで!」

シェリルがそう叫びながら、テーブルに頭を「ガンガン」と打ちつける。

それを見た中年は息を飲み込み、席から立ち上がって逃げようとした。

「そうだわ…!」

が、突如体を起こし、目を光らせたシェリルを目にして硬直。

ゆっくりと腰を下ろし、シェリルを刺激しないように、何事も無かったように振舞った。

「育てればいいのよ…!自分好みの勇者にすれば、それで全て解決じゃない…!数年後にはあの子も大人!むしろ子供の内だからこそ、理想の勇者に育てあげられる!」

中年が居るという事を忘れ、シェリルは一人でヒートアップしていく。

ついには「フフフ…」と微笑み始め、「そうよ!育てればいいのよー!」と、大声で言って笑い出した。

「い、イカれてやがる…!」

ここでついに限界が来たのか、

「こ、殺される!誰か助けてー!!」

と、叫びながら、中年は外へと逃げていった。

1人、店内に残されたシェリルは「アーハハハ!」と高笑い。

「私好みの勇者に育てるわ!ええ!必ず育ててみせるわ!」

と、欲望に駆られた瞳で誓った。

「お待たせしましー…た、ってあれ?お客さんは…?」

そこへ、中年の料理を持った少年が食堂の奥から現れた。

料理を注文した本人が見えず、困惑している様子である。

「君!ちょっといらっしゃい!ちょっとこっちにいらっしゃい!」

そんな少年を強引に呼び、シェリルがテーブルを「バンバン」叩く。

「あ、は、はぁ…」

「厄介なお客だなぁ…」と、そんな事を思いながら料理を持った少年が行く。

そして、可能な限りの笑顔でシェリルに向かって「なんですか?」と聞いた。

改めてみるとやはり美形で、言葉遣いもしっかりしている。

みっちりぎっちり育て上げれば素晴らしい勇者に育つ事だろう。

「とりあえずそこに座って。お姉さん、これからとーっても大事な事を話すから」

「これならいける!」と、心で思い、シェリルが猫撫で声で言った。

「は、はい」

少年は「き、気持ち悪いなぁ…」と、思いながらも一応答え、テーブルの上に料理を置いて、シェリルと向かい合う形で座った。

「とりあえず初めまして。私の名前はシェリルと言います」

「あ、そ、そうですか…」

「そうですかじゃなくて自分の名前!!」

少年の反応が気に食わなかったのか、シェリルがテーブルを両手で叩く。

少年は「ひっ!?」と驚いた後、

「ぼ、僕の名前はフェインです…」

と、おっかなびっくりで名前を名乗った。

「よろしい」

フードの下でシェリルが微笑む。

フェインの素直さに感心したのか、或いは「素直で扱い易い子!」と感じて喜んだかのどちらかである。

「あ、あの、お姉さんって事は女の人なんですか?」

が、直後の質問で、シェリルの微笑みは即座に消失。

「声聞いてわかんないの!!どう聞いても女の声でしょ!!」

一転して怒り顔になり、フェインを頭ごなしに叱った。

「ヒイッ!?スミマセン!!」

フェインが頭を抱えて謝り、「ぶたないで!」と言わんばかりに、その身を「ずいっ」と後ろに引いた。

「ちょっ、そんなに恐れないでよ…「まだ」叩いたりしてないじゃない…」

振り上げていた右手を下ろし、シェリルがフェインに向かって言った。

フェインが予め防御をしなければ、叩いていた事は間違いなかった。

「スミマセン…なんとなく頭を叩かれるような気がして…」

言いながら、フェインが防御を解いた。

座ったままで椅子を動かし、以前の態勢と距離に戻る。

「(なかなか鋭いじゃない…)」

とは、シェリルの心の中の言葉。

予知能力でもあるのだろうか、と、直後にはそう思ったが、それは考えすぎだと感じ、本題に戻る事にする。

「じゃあ本題に戻るわね。大事な事だから良く聞きなさい」

フェインに向かってまずは一言。

「あ、は、はい」

フェインが返事をした事を見て、シェリルは更に話を続けた。

「さっきも言ったけど私はシェリル。ある素質を持っている人間を探してこの街にきたの」

「ある素質ってなんですか?」

「最後まで聞く!!」

「スミマセンっ!!」

話に割り込んだフェインが謝る。

直後には頭を抱えて後退したが、「た、叩かないって言ってるでしょ…」と、シェリルに言われて元に戻った。

「で、どこまで話したかしら…?」

「ある素質を持っている人間を探してこの街に来たとか…」

「ああそうね、ありがとう」

「いえ…」

素直に礼を言われた事で、フェインのシェリルに対する気持ちがほんの少し変化する。

「わけがわからない危険人物」から、「わけがわからないが悪くは無い人」に。

それは微妙な変化ではあったが、とりあえず話を聞いてもらうには十分と言える変化ではあった。

「で、私は発見したのよ。その、ある素質を持つ人間を」

そんな変化には微塵も気づかず、シェリルがマイペースに話を進める。

「はぁ、そうなんですか。すぐに見つかってよかったですね」

正直、何の話なのか、理解ができないフェインとしては、そんな話は他人事で、「せっかく作ったのに冷えちゃったなぁ」と、横に置いた料理を見ていた。

「それが君なの」

と、シェリルは言ったが、フェインはそれに気付かずに、料理を見たまま「ぼーっ」としていた。

「そ・れ・が・き・み・な・の!」

一語一語力を込めて、シェリルがもう一度フェインに言った。

フェインは視線を戻して「は?」と、再三の発言をシェリルに求めた。

「それが君なの!フェイン君!君は勇者になるべき人なのよ!」

そして大声でシェリルに言われ、フェインは「あんぐり」と口を開くのだ。

勿論フェインは「この僕が!?」と、驚愕していたわけではない。

「この人頭は大丈夫なの?」と、単純にシェリルを心配したのだ。

3000年前ならいざ知らず、この平和なご時世に「勇者」と称する者等は居ない。

無謀な事をする人間をあざ笑う意味で「勇者」と言うが、本当の意味での勇者等は現在の世界には存在しないのだ。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

故にフェインはシェリルにそう言い、彼女の正気を問いただすのだ。

「だ、大丈夫って何がよ…!?まさか、私を疑ってるの!?私がマトモじゃないんじゃないかって、私の頭を疑ってるの!?そうなの!?そうなのね!?」

そんな気持ちがあっさり伝わり、シェリルはまたもヒートアップ。

「ふっざっけっなっいっでっよっ!」

と、わめきながら、テーブルを両手で「バンバン」叩いた。

「だ、誰かー!誰か助けてー!!」

フェインが椅子から転げ落ち、右手を伸ばして助けを呼んだ。

この人の頭はマトモではない。このままだときっと何かされる。

フェインは本気でそう思い、床を這いずって出口を目指した。

「見なさい!」

シェリルが言って、フードを脱いだ。

そこにはフェインが見た事も無い、絶世の美女の顔があった。

煌めくような金の髪に、吸い込まれそうになる蒼の瞳。

髪の毛は赤い紐で束ねて背中の方へと流されている。

「あ…あぅ…」

這いつくばったままでフェインは固まり、そして、美しい顔の両側にある「ぴょこん」と伸びた耳に気付く。

それは人間のものではない、御伽噺で聞いていたエルフの証明たる長い耳だった。

シェリルの美しさ、そして正体に驚いたフェインはまさに茫然自失の状態。

這いつくばったままの姿勢で、シェリルの顔を「ボーッ」と見ていた。

「私はエルフ。近い将来、復活するという魔王に備えて、勇者の素質を持つ者を探してこの街にやってきたの」

言って、シェリルが右手を伸ばす。

正体を晒した今ならばフェインもおとなしく聞いてくれると、シェリルはそう思ったのだ。

そして、その思惑通り、フェインは騒がずその手を握った。

それから立って、椅子に座り、シェリルの話をおとなしく待った。

おとなしくなったフェインを前に、シェリルはもう1度イチからを話した。

「君を私好みの勇者に育てて、ゆくゆくは君と結婚をする」という、最終目的だけは決して告げず、他の部分は全て話した。

フェインは「僕が勇者…?」と、突然の展開に困惑していたが、「君がやらなければ世界が滅びるわ」と、シェリルに煽られて覚悟を決めて、

「やれるだけはやってみます…!」

と、拳を握り、シェリルにその身を委ねたのであった。

「私に全て任せなさい」

優しい顔でシェリルが言って、フェインの肩に右手を乗せる。

「よ、よろしくお願いします。僕、一生懸命頑張りますね」

「(ちょろいものね…!)」

健気な顔でフェインが誓い、その様子を見たシェリルが思う。

そして「ペロリ」と舌なめずり。

未来の事を想像したのか、なんだか少しはしたないエルフ族の少女であった。



フェインはその日アルバイトを辞めた。

勇者を目指し、ゆくゆくは魔王を倒す為である。

フェインの雇い主であったやる気の無い亭主は、「ああ…」とだけ答え、「目が覚めたら戻って来いよ」と、フェインの肩を優しく叩いた。

シェリルとフェインはその足で、街の商業街へと向かった。

銀の塊を金貨に換えて、フェインの武具を探す為だった。

しかし、13才の子供が持てる武具の種類は限られており、軽量の皮の胸当てと、ショートソードを持つだけとなった。

フェイン個人としては弓か、或いはボウガンが良かったらしいが、「勇者は剣と決まっているのよ!」という、シェリルの意見が最優先され、強制的に剣になった。

「じゃあ君の家に行きましょう。ご家族に事情を説明しないと」

「は、はい」

シェリルに言われてフェインが頷く。

それから自身の家に案内する為、住宅街に向かって歩いた。

「あ、あの、言い忘れてたんですけど、ウチって凄い貧乏なんです。だから狭い家なんですけど出来れば笑わないで下さいね…」

「笑うわけないじゃない。私はそこまで非常識じゃないわよ」

フェインの言葉にシェリルが答える。

フェインは「そ、そうですよね」と言って安心し、心配していた事が消えた為か、表情が少し明るくなった。

それからおよそ6分後。

2人はフェインの自宅へと着く。

橋の下の布張りの小屋。

それがフェインの自宅であった。

「(えっ!?家!?この子家っていったわよね…!?コレって物置でしょ!!?しかも橋の下!?それって完璧にアレじゃないの!?)」

シェリルは思わず吹き出しかけたが、フェインが見ている事に気付き、顔を逸らして何とか耐えた。

「あ、あの、シェリルさん?」

そして、表情を伺ってきたフェインに対し「あまりに気の毒で…」と言って、「笑い」を「泣き」として誤魔化すのである。

「そんな…たいした事じゃないです…雨露を凌げるだけ幸せですよ」

出来た少年のフェインは言って、「ただいま」と言って小屋に入った。

「母さん、お客さんだよ」

そして家族に来客を告げ、シェリルを中に招くのである。

「おじゃましま…っ!?」

中に入ったシェリルは絶句。

狭さ、汚さは勿論だったが、おそらくはフェインの兄弟なのだろう、幼い子供が何人も「うじゃうじゃ」と居た事に一番驚いた。

その人数は全部で8人。

珍しい来客に皆して、甲高い声で大はしゃぎしていた。

「あ、紹介します。ここに居るのが母のマリーで、そこに居るのが弟のジョニー。隣に居るのが妹のジョハンナでその隣に座ってるのが…」

「ちょ、ちょっと待って、兄弟の紹介は後でいいわ…絶対に覚えられないから」

シェリルの言葉には「そうですか?」と答え、フェインはシェリルを紹介した後、母の隣に「チョコン」と座った。

母親が「初めまして、シェリルさん」と、物腰丁寧にシェリルにお辞儀する。

「どうぞ、狭い所ですがおくつろぎください」

それからシェリルに座るように勧めて、子供達には静かにするように言った。

フェインの母、マリーは見た目30から32才くらいの女性で、美人ではあったが何となく幸薄そうな女性であった。

頬がこけ、目の周辺が少々くぼんでいる辺りから、おそらくはだが何らかの病を患っているように見えた。

「それで、今日はどういったご用件で?」

フェインの母マリーが聞いた。

その表情は穏やかだったが、突然の訪問者に警戒しているようで、笑顔はまだ見せてなかった。

「ええ…実は」

この人には嘘は通じない。と、その様子を見たシェリルは思う。

それ故に自らフードを脱いで、自身の素性を晒した上で本当の事をマリーに話した(結婚云々は流石に黙秘)。

初めてエルフ族を見たフェインの家族は揃って絶句。

「エルフだー!」

「耳ながっ!耳ながあぁぁー!」

「美人!めちゃ美人!ムフゥぅぅン!!」

と、子供達は大騒ぎをし始める。

「静かにしなさい!失礼でしょう!」

マリーはそれをすかさず鎮める。

自分も衝撃を受けてはいたが、そこは一応は大人の対応で、何とか冷静を取り繕ったようだ。

「…お話はわかりました」

そして、それからシェリルに向き直り、訪ねてきた用件をとりあえず理解した。

「でも、息子はお貸しできません。見ての通り我が家は貧しく、フェインの稼ぎが無くなればたちまち皆が飢えてしまいます。勇者の素質がある人間はおそらく他にも居る事でしょう。もし、何十人、何百人と当たって、それでも駄目なら考えます。でも、今日、今すぐにフェインをどこかに連れて行く事には承知できません」

しかし、凛とした口調でそう言って、シェリルの頼みを断るのだった。

それを聞いたフェインは「母さん!」と、何かを言いたげな様子だったが、それはマリーに制されて口から発される事は無かった。

「わかりました」

と、シェリルは一言。

意外にも驚いているフェインを尻目に納得をして見せた。

「信じていないわけではないのです。ただ、こちらにも家庭の事情が…」

「ではこうしましょう」

話しかけたマリーを阻止し、それに割り込んでシェリルは続ける。

「ただで貸してくれとは言いません。彼を買います。それでどうですか?」

シェリルを除く全員が、その言葉によって動きを止めた。

「え”…?」

と、発したフェイン自身も、表情自体は固まっていた。

「ここに2000枚の金貨があります。そしてそれと同価値の銀の塊を持ってきます。それで彼を売って下さい」

シェリルが言って、マリーの前に、金貨が2000枚詰まった袋を惜しげも無く「とん」と置く。

人間達の価値感覚で、一戸建ての家が金貨1000枚。

例えばそれを購入しても、シェリルが約束を果たしたのなら金貨は3000枚も余る事になる。

マリーが沈黙し、悩む理由も人間ならばわかるはずだ。

子供達はただ「すげー!」と、「あんだけあったら好きなだけおいしいものが食べられるなぁ…」と、目を輝かせてそれを見ていた。

「ざ…」

1分ほどが経っただろうか、マリーはようやく口を開いた。

「残念ですが、人として、母としてそれはできません…これを持って、どうかお引取り下さい」

そして、金貨が詰まった袋を両手で「ずいっ」と押し返すのである。

マリーは心底それが欲しかった。

これだけの金貨があれば、皆が楽に笑顔で暮らせる。

しかし、息子を誰かに売りとばす事は、彼女にはどうしてもできなかった。

「母さん…」

フェインが言って、涙ぐんだ。

自分をそこまで大事にしてくれる母の気持ちに感動したのだ。

「わかりました」

それを見たシェリルが言って目をつむる。

「では銀の塊をもうひとつつけます」

しかし諦めたわけではないようで、強気の交渉を更に続けられた。

「っ!?…わ、…私だけの判断では…夫と…相談をしてみない事には…」

「母さん!?」

マリーもここでついに妥協し、息子から驚かれる結果となった。

「だ、大丈夫、大丈夫よ。お父さんはきっと断ってくれるから」

マリーが言って、言い訳したが、フェインに芽生えた不信感はそう簡単には拭えなかった。

そして2時間後、夫が帰宅し、

「こんな息子で良ければどうぞ!」

と、僅か数秒で承知した事で、フェインは両親から売り渡されて、購入者であるシェリルの命令に絶対服従となったのである。

「ヒドイや…父さんも母さんも…」

泣きじゃくるフェインに少しだけ、哀れみを感じたシェリルであったが、その流れを作ったのが自分である為、下手な事は言わずにおくのであった。



翌朝、シェリルとフェインの2人は、人間の「冒険者ギルド」に居た。

冒険者ギルドには依頼が集まり、依頼を受けてこなす事で信用と報酬の両方が得られる。

つまり、依頼をこなしていけば、フェインは確実に成長するし、人々からの信用と、お金も次第に増していくのだ。

勇者を育てる場所としては、これほど便利な場所はないだろう。

シェリルはパーティの代表として最年長者の自分を登録し、そして、自分の仲間としてフェインの事も登録した。

「おいネーチャン。162才ってのは16歳の間違いだよな?こっちで勝手に直しておくぜ?」

とは、冒険者ギルドの親父の言葉だ。

エルフだとばれてしまうと面倒な事になりそうなので、シェリルは「ええ、お願いね」と、受け付けの親父に答えておいた。

「あんたらこれから空いてるか?素人さん向けの依頼があるんだが」

親父はシェリルの年齢を訂正し、その後にタバコを咥えながらシェリル達のテーブルに近づいてきた。

「そうね。内容によるかしら」

「まぁ、簡単なもんだ」

シェリルの言葉に親父が答える。

それからテーブルの上に紙を置いて、軽い説明をし始めた。

「この街から北に向かった所に「イズニ」って名前の村があるんだ。その村で牧場を経営しているラッドって人の依頼でな、牧場で飼育している牛が最近良く襲われるんだと。これをなんとかするっていうのがあんた達の仕事だな。報酬は金貨5枚。解決するまでの食事と寝床は依頼主持ちにしてくれるそうだ」

仕事の内容を言った後に、親父は2人に「どうする?」と聞く。

「そうね。じゃあ受ける事にするわ」

最初に受ける依頼としてはまぁまぁだと思ったシェリルは承諾。

「じゃあその紙は持って行ってくれよ。解決したらサインを貰って、もう1度ここに持ってきてくれ」

親父は2人にそう言って、カウンターへと戻って行った。

「だ、大丈夫ですかね…?」

心配そうな顔と声で、フェインがシェリルに向かって聞いた。

「それは君の頑張り次第ね」

シェリルが答え、席から立った。

「さっ、行くわよ」

そしてフェインを立ち上がらせて、冒険者ギルドを出るのであった。



コーンシェイドから北に約1日。

山深くなったその地域に目的地の「イズニの村」はあった。

人口は100人に満たない程度。

首都やその近郊に、果物や野菜を出荷する事で生活が成り立っている村であった。

第一村人は入口近くの畑の中で発見された。

その村人に場所を聞いて、シェリル達はそれから10分程で依頼主の牧場にたどりつけた。

「やあ、これはどうもどうも!」

笑顔の眩しい依頼主が、右手を伸ばしてシェリル達を迎える。

それは人間達の常識である「握手を求める行動」だったが、それが分からないシェリルにスルーされ、依頼主は「あ、ああ…」と、笑顔を消した。

「ま、まぁとりあえず中へどうぞ」

気を取り直した依頼主が言って、2人を中へと招き入れる。

年齢はおそらく27、8才。

人当たりの良い男だったが、一人暮らしのようではあった。

男は二人を案内した後、二人の為に食事を用意した。

それから改めて自己紹介し、仕事の内容を話し出した。

「それで依頼の内容なんですが…」

持ってきた食事を勧めながら、男、ラッドが状況の説明をする。

彼の牛が襲われ始めたのは、今からおよそ2週間前。

そして、それから2、3日間隔で定期的に襲われるようになった。

牧場の周りに罠を張ったが、それにかかった形跡はあれど、その本体の行方は不明で、僅かな血が罠の側に残っていただけだったという。

依頼主であるラッド個人は、熊か狼だとは思うが、1度も姿を見ていないので断言する事は出来ないと話した。

「なるほどね」

シェリル達は状況を理解し、夕方辺りから牧場に潜んでみる事をラッドに告げた。

その数時間後、シェリル達は約束通りに牧場に向かい、「こんもり」と高くなっていた小さな丘を見張りの場とした。

丘に座って見張る事、それから約30分。

太陽が半分顔を隠し、少しずつだが確実に周囲は暗闇に包まれて行った。

「あの、シェリルさん…?」

「うん?」

右手に座るシェリルに向けて、フェインが不意に口を開いた。

体勢は共に体操座り。

フェインの右手にはショートソードが。

体には皮の胸当てが、しっかりと装備されている。

一方のシェリルの方はというと、フードこそ取って顔を出していたが、体にはローブをまとったまま。

腰には一本のレイピアがあるが、防具の類はつけていなかった。

攻撃をかわし、素早い動きで敵を翻弄するのがエルフ。

それ故に彼ら、彼女らは重い武具を好まない。

そもそも鉄が嫌いだというエルフも中には居るくらいなのだ。

フェインはほんの少しだけ「そんな装備でいいのか」と、シェリルの事を心配していた。

しかし、彼女に話しかけた理由は別に存在していた。

「もし、僕が役立たずで、勇者の見込み無しだとしたらやっぱり捨てられちゃうんですか?」

それは「駄目だった」と仮定した場合の、自分の最終的な行く末だった。

すでに家族には捨てられており、その上でシェリルに捨てられたら、自分が居られる場所は無い。

そんな事を考えて、怖くなってしまった為にフェインはシェリルに話しかけたのだ。

フェインが期待している答えは勿論「捨てたりなんかしないわ」という、それを否定する言葉であった。

「まぁ、捨てるわね」

「!?」

が、シェリルから返ってきたのは、身も蓋も無いそんな言葉。

思わず剣を落としてしまい、滲んでくる涙で瞳を濡らした。

「でもそれは多分無いわ。素質は十分あるんだし、頑張ればきっと勇者になれるわよ。それに1年や2年くらいなら私も気長に待ってあげるから」

「しぇ、シェリルさん…!」

が、続けられた言葉でなんとか復活し、涙を拭ったフェインはシェリルを少しだけ好きになったのだった。

そこから二人は雑談を続けた。

お互いの生まれを話したり、育った場所の事等を聞き、数十分を話に費やした。

その話の中でシェリルは何気なく「勇者と結婚したい」という胸に秘めた野望を話す。

「え…そ、それって僕とですか…?」

それを聞いたフェインが言って、その両頬を真っ赤に染める。

「だ、誰が君なんかと!わ、私が結婚したいのは伝説の中の勇者のような人よ!君のようなヒヨッコでナヨナヨでヨワッチィ子供なんかと誰が結婚するもんですか!」

シェリルが否定し、丘の上からフェインを「どん」と突き落としたが、その両頬にはうっすらとだが恥じらいの証が浮き上がっていた。

その直後、牛の「ブモォォ!?」という、悲痛にもとれる鳴き声が聞こえた。

「向こうからだわ!」

飛び降りるようにして丘から降りて、シェリルがそちらに向かって走る。

「ま、待ってくださいよ!」

起き上がり、剣を持ってから、フェインもその後ろに続く。

辺りは殆ど真っ暗だったが、シェリルの美しい髪が輝き、周囲を少しだけ明るくしていた。

そのお陰でフェインははぐれず、彼女の後ろについて行けた。

約10秒後にシェリルが止まり、フェインも彼女の後ろで止まった。

周囲を明るくする髪が現場の状況を明らかにする。

そこには1匹の狼がおり、「グルルルルル」と、こちらを威嚇していた。

狼の横には倒れた牛がおり、そして狼の口の周りには「べったり」と血がついていた。

「や、やっぱり狼だったんですね!?」

震えながら剣を構え、フェインがシェリルに向かって言った。

「動かないで!こいつはただの狼じゃない!私の予想が正しければこいつはダイアーウルフという魔物よ!」

フェインの前に立ちはだかって、レイピアを抜いてシェリルが言った。

「ウォォォォォン!」

狼、改め、ダイアーウルフが夜空に向かって大きく吠える。

直後に3匹の狼が現れ、シェリル達を三方向から囲んだ。

ダイアーウルフは正確には獣ではなく魔物である。

残像が残るほどの素早い動きで敵の攻撃を回避して、岩をも噛み砕く強烈な顎で対象の命を奪い去るのだ。

その危険度は狼の100倍以上とも言われており、駆け出しの冒険者が戦って勝てる相手ではないというのが、ダイアーウルフと戦って、生き延びた者の共通意見だ。

一説にはその実力はオーガ(食人鬼)以上とも言われているが、なぜかオーガよりかなり格下のゴブリンに飼われている事もある。

その辺りの理由は謎だが、とにもかくにもダイアーウルフは、フェインのような新人が戦ってはならない相手なのだ。

幸い、新たに現れた狼は普通の狼だったらしく、ダイアーウルフさえ押さえておけばフェインはなんとか無事だと思われた。

「君は防御に専念しなさい!恐れては駄目よ!目を逸らさないで!奴らは君が弱いとみたら一斉に攻撃をしかけてくるわよ!」

故にシェリルはそうアドバイス。

弱みを見せずに防御をしろとフェインに指示をしたのであった。

「わ、わかりました!」

シェリルに向かってフェインが答える。

そして、自身にできる限りのすごんだ顔で狼達を睨み付けた。

一方のシェリルとダイアーウルフは、すでに戦闘に突入しており、ダイアーウルフの攻撃によりシェリルのローブは破られていた。

「くっ、やっぱり間違いないかっ!」

自身の考えの正しさを見て、シェリルは使い物にならなくなったローブを脱いで、それを敵へと投げつけた。

そして白のミニスカートに青色の胸鎧というその姿をついに明らかとした。

フェインがもう少し大人だったら、その脚や姿などに一瞬以上見惚れただろう。

闇夜に映えるシェリルの姿はそれ程美しかったのだ。

だが、フェインの精神は幸いな事にまだまだ子供で、一瞬、そちらを見ただけですぐに視線を元に戻した。

狼達は「グルルル」と唸り、少しずつ距離を詰めてきていた。

「ガウッ!!」

やがて1匹がついに暴発し、フェインに向かって飛び掛った。

フェインは「ヒイッ!!?」と叫びながら、目を瞑ったままで剣を振った。

当然、そんな攻撃が敵に当たるはずはなく、フェインの剣は宙を切った。

「もしかしてこいつザコか?」と、思った狼は即座に追撃。

「グワアオッ!」

姿勢を低く飛び掛り、フェインの右脚に襲い掛かった。

「う、うわぁ!」

右足を上に持ち上げて、フェインはそれをぎりぎりで回避。

しかし、フェインはその行動で体のバランスを崩してしまい、背中から倒れるようにしてその場に転んでしまうのである。

これはチャンスと思った狼は3匹がかりで一斉に攻撃。

転倒した獲物の体を引き裂こうとして一気に群がった。

「た、助けて!シェリルさーん!」

もう駄目だ、と思ったフェインが頭を抱えてシェリルの名を呼ぶ。

「キャン!!?」

直後に狼達は吹き飛び、離れた場所で態勢を直した。

フェインに助けを求められたシェリルが、魔法で狼達を吹き飛ばしたのだ。

「きゃあっ!!」

が、その刹那の隙を突かれ、シェリルは左太ももを負傷。

フェインに構わず群がって来た3匹の狼にも回りを囲まれる。

シェリルがピンチに陥ったのは、明らかにフェインのせいであった。

「シェ、シェリルさんが…僕のせいで…」

それが分かったフェインの心臓が「どくんどくん」と鼓動する。

自分は無力で何も出来ない。

しかし、仲間がピンチに居るのにこのまま見ているわけにはいかない。

「うわぁああああ!!」

そう思ったフェインはとりあえず走った。

何かが出来るわけではないが、何もせず、じっと見ている事はフェインには我慢が出来なかった。

剣を振り上げ、奇声を発し、ただただ一直線に走る。

それだけでも敵の視線を少しは自分に引けるはずだ。

「ガウッ…」

そんなフェインの願いが通じたか、ダイアーウルフが一歩下がった。

ヤケになった人間が何をするかわからないと言う事を、おそらく彼は知っていたのだ。

しかしそれが分からない3匹の狼は攻撃に向かった。

「キャンッ!」

そして、1匹はシェリルに返り討ちに遭い、もう1匹は突撃してきたフェインに蹴られて吹き飛んだ。

最後の1匹は無事だったが、仲間の現状に気付いて恐怖し、体勢を低くしたままでシェリル達から距離を取った。

彼ら、彼女らのリーダー格であるダイアーウルフも戦意を喪失。

生き残った2匹と共に闇の中へと逃げていった。

「ありがとう…助けられたわね」

息を吐いてシェリルが言った。

振り向いたフェインは半泣きで、鼻水を垂らして「うえうえ」と嗚咽していた。

そしてその場で膝をついて、「僕には…僕には勇者なんてとても無理です!」と大きな声で喚くのである。

「そ、そんな事言わないで、君は良く頑張ったわよ…」

シェリルが近寄り、頭を撫でる。

フェインはそれで静かになったが、「(これじゃあまるでお母さんじゃない…)」と、憮然とした顔になるシェリルであった。


お付き合いありがとうございました!

他作品に「私を魔医者と呼ぶなッ!」というものと、「天使と悪魔の調査員」というものがござますので、もしよろしければお願いいたします。

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