夜景校舎/帰宅
更新遅くて、すいません…今回より第二章となります。相変わらずのショボさですが、気楽に読んでもらえれば幸いです。
「ただいま」
玄関の鍵を開けて中へと入る。いつも通りの、日常の風景。
違うとすればそれは見知らぬ少女が一緒であるという事のみ。ただそれだけの相違点が、そこがいつも通りの日常ではないと……そう告げていた。
時刻は零時過ぎ。誰もいない我が家には、当たり前だが静けさが溢れている。
先程よりも格段に顔色の良くなった少女をソファに座らせると、俺は救急箱を探して棚を漁る。
医者ではないので詳しくは解らないが、恐らくは全身打撲および肋骨骨折の、間違いなく重傷である。
そのままほっとく事なんて出来るわけもなく、とりあえず応急手当を始めた。
救急箱から包帯と湿布薬を取り出し、少女の正面に立った時に、その問題に気付いた。
「あ……えっと……」
服を脱いで、なんて言えるわけもなく。俺は言葉を詰まらせた。
いや、別にやましい気持ちがあるわけではない。これは治療行為だし、なにより少女のためだ。頭では解っているのだが、それとコレとは話が違う。
と、少女はそんな俺の心情を察してくれたのか「自分で出来るから、包帯をくれると助かる」なんて言った。
「っ、あ、はい」
少々ぶっきらぼうに渡して後ろを向く。僅かな衣擦れの音と、妙に大きく聞こえる少女の息遣いが耳についた。
いかん、意識するなーと理性が言っているが、なにぶんお年頃の男の子な訳で……そう考えれば考えるほど、後ろに居る少女の事が気になってしまう。
「あ、っと、お腹……」
「……?」
「お腹……空いてない? 何か作ろうか?」
このままでは精神衛生上よろしくないと思い、気を紛らわせる為に話しかける。
どちらにせよ夕食……いや、この時間なら夜食か……を作らなければならないのだ。それが一人分から二人分に増えるくらい、大した苦労はない。
「作ってくれると言うのなら、頼む。実は昨日から何も食べてなくて」
わかった、と応答して席を立つ。冷蔵庫の中にはわりとまともな食材が揃っていて、わずかに安堵する。
これで何もありません、なんて事になったら大間抜けもいいところだ。
今朝は卵かけご飯だったから、冷蔵庫の中をよく見ていなかったし……少し不安だったのだが、これならそこそこの物は作れる。
いや、まぁ実際のところ料理なんてあんまりしないからおいしく出来るとは限らないが。とにかく食べられれば良いや、なんて、甘い考えで調理を開始する。
とりあえず失敗するのは嫌なので、レトルトのミートソーススパゲティでも作る事にした。
あれだけ材料云々とか言っておきながら結局パスタ茹でただけかよ、なんて心の呟きは徹底的に無視する。
とりあえず鍋でお湯を沸かしてっと。パスタを袋から、二人分より少し多めに取り出す。
良い感じに沸騰したお湯の中にパスタを投入する。と、応急手当が終わったのか少女が台所へと現れた。
「何か手伝うことは……?」
「ないから、座っててくれ。怪我人に手伝わせたら寝覚めが悪い」
まだ立っているのも辛いくせに手伝いを申し出た少女を座らせて、俺は鍋の様子を見る。
あ、いけね。
そういえばミートソースを温めないと……。鍋のなかにレトルトのミートソースを沈める。
……よし。
そろそろ頃合だろう。野生の勘に任せて鍋を火から下ろす。
ざるにパスタをあけて、よく湯切りをし、皿の上に盛り付ける。でもってミートソースのパッケージを開けて……?
パッケージを開けて……開けて……開け……。って、なんだこりゃ?
どこからでも開けられるとか書いておきながら、まったく開く気配がない。
仕方がないので包丁で切断する。おお、さすがに今度はうまくいったぜ。
アレだけ抵抗したパッケージも刃物には勝てないらしく、あっさりとその口を開けた。
「……痛ッ」
と、予想以上の切れ味を持っていた我が家の包丁は、あろうことか俺の指を切りつけやがった。
「くそ、包丁め……いつか復讐してやる」
なんて、自分の不注意を包丁のせいにしている少し痛い俺を心配してくれたのか、さっきまで静かだった少女がこちらに近寄ってきた。
「切ったのか……? 見せてくれ」
「あ、別に……」
大した傷じゃないと言おうとして……思考が止まった。
いや、正確には止められた。
「ちょッ……」
少女は俺の指を見ると、躊躇わずに―――
―――その小さな口に咥えこんだ。
「なっ……??」
あまりの出来事に、絶句する。反射的に引っ込めようとした俺の腕を、少女は掴んで止めた。
指先に絡まったソレは、柔軟に蠢いて傷口をなぞっていく。
僅かに閃く痛みさえ、甘美な感覚に変わる。
こくり、と、細く白い首がわずかに音をたてた。どうやら流れ出る血液を嚥下しているらしい。
頭はもうロクに働かず、靄がかかったみたいに真っ白だった。
理性とか、常識とか……そういったモノを吹っ飛ばして、今にも破裂しそうな状態の俺を気にせず、少女は舌を這わせる。
これは、マズイ。
何がマズイって、もう何からナニまでマズイ。
とにかく、このままではマズイ。
一刻も早く止めさせようと俺は少女の肩に手を乗せて、どきり、と心臓が高鳴るのを感じた。
その肩の小ささに、目の前の存在が『少女』である事を強く思い知らされる。
否、小さいのは肩だけではない。意識すればする程、彼女を構成するパーツの一つ一つが恐ろしい程に華奢で小さい事に気が付く。
押し倒そうと思えば、簡単に実行できる。
「……ん……ぅ」
一心不乱に血液を飲み下していたせいか、僅かに苦しげな吐息を洩らす少女。
あ……もう限界。
肩に乗せた手に力を込めて……。そのまま、少女を、押し倒そうと……。
「ぶはぁ」
ようやく俺の指を解放するが時すでに遅し。
ゴメンよ、名前も知らない女の子。おにーさんは限界です。
俺は少女に覆い被さるようにして……。
顎をスパッと打ち抜かれた。
反転する世界。膝が折れ、遠退きそうになる意識を必死に止める。
「落ち着け、猿じゃあるまい」
やれやれ、といった感じの少女は、努めて冷静に言った。
「ぅ、失神……するかと思った、ぞ」
「それよりも……傷はどうだ?」
どうも腑に落ちないが、とりあえず促されるまま指先を確認する。
え……?
そうして俺は、その不可思議な光景に唖然とした。
「傷が……ない?」
血が止まってるとか、そんなレベルの話ではない。さっきまであった傷口が、完全に塞がっている。
いや、表現が悪い。どちらかと言えば、そう、根本的に傷がないのだ。
「お前、一体なにを……?」
訳も解らず問い掛けるが、少女は気にも留めず、物思いにふけっていた。
そうして唐突に「なるほど、それなら合点がいく」なんて言い出した。
どうしたもんか……と一人思案し、とりあえずほっとかれてたミートソースをスパゲティの上にかける。
「よく解らんが、ほれ、出来たぞ」
湯気の立ち上るソレをテーブルの上に運ぶ。
「ん、そうか。では食べ終わってから話そう」
そう言って少女は俺の向かいの席へと腰を下ろした。
いただきます。二人の声が、他には誰もいない我が家に響いた。
いつもより静かな夕食を想像していたのだが、その考えは甘かったらしく、今日の食卓は賑やかだった。
「ふむ、これが噂の『あるでんて』か」
もごもごと口を動かしながら、そんな事を言い出す少女。
「あるでんて……って、適当に茹でただけだぞ」
スパゲティを作るのは今日が初めてだし、アルデンテになんか出来る筈はないのだけど……。
「いや、でなければこんなにうまい筈がない」
にっこりと満面の笑みを浮かべる少女は、心底おいしそうに食べている。
「まぁ、おいしいって言ってもらえるのは嬉しいけど……」
そこまで喜ばれると、照れるというか。
「それに……」
一瞬、その笑顔が……曇った。
「すごく……すごく久しぶりだから」
こうして、誰かと食べるのは。
「あ……」
何故か、聞いてはいけないよう事を聞いてしまったような心地悪さに、しばらく言葉を失った。
「や、そんな大した事ではないのだが……気にしないでくれ」
慌ててそう繕った少女。それが無理をしているって、誰の目にも明らかだったけど……。だからって俺には、どうすることもできなかった。
……
食器の片付けを終え、時計をみると時刻はとうに一時過ぎ。本来なら既に布団の中なのだろうが、今日に限ってそうはならなかった。
「で、さっきの話って?」
問掛ける。目の前の少女は小さく頷いて、口を開いた。
「っと、その前に……雛森瑞希」
……は?
「雛……なに?」
「私の名だ。よくよく考えたら自己紹介を忘れていたのを、今思い出した」
少女……雛森瑞希はそう言うと、俺の顔をじっと眺めた。どうやらお前も自己紹介をしろ、という無言の訴えらしい。
「村上亮」
端的に、名前だけを告げる。
「では亮、先に礼を言っておく……ありがとう」
「……?」
「見ず知らずの人間を助け、食事を振る舞ってくれた……。礼を言わない者がいるものか」
あ、そういうことか。丁寧な仕草で頭を下げる少女……いや、雛森。
とは言われても……。
「あの、ほら、成り行きっていうか、別に大した事はしてないし」
自分としては場の流れに身を任せただけなんだが。そんな事を考えていると、雛森は頭を上げてもう一度言った。
「ありがとう……そして、すまない」
「え……っ?」
お礼ならともかく、謝られるような事はされてないし……。
困惑している俺を置いて雛森は話を続けた。
「危うく、亮の命を奪ってしまうところだった……」
その一言が―――忘れようとしていた先程までの事実を―――確かに思い出させた。
「それは雛森のせいじゃ」
人を殺めた現実。曲げられないリアル。
何度も何度も、向かってくる男に振り下ろした。噴き出した血液を、切り落とした四肢を……。
俺は、場に流された……なんて言い訳で、忘れようとした。
あまりに重い……罪を。
「いや、あれは間違いなく私の責任だ」
そう言って俯むいた少女の口から溢れた言の葉は、あまりに現実離れしていて……。
それを受け入れるのに、多少の時間を要した。
お読み下さった方々、ありがとうございますm(__)mご意見・ご感想等ありましたら、是非ともよろしくお願いいたします。