エピローグ
「きゃぁああッ!」
甲高い女性の悲鳴が響き渡る。薄暗い室内に木霊するソレはまるで刃物みたいな鋭さで、気味の悪い部屋の内装をより一層不気味に彩る。
「おいおい、いくらなんでも驚きすぎだぞ」
「まったくだぜ、むしろお前の悲鳴のが怖いわ」
続く男性の声。どうやら男二人、女の子一人のグループらしい。
―――カップルよりはマシだな……。
寝起き特有のハッキリしない頭で、ひがみめいた事を考える。
ぎゃあぎゃあと騒ぐその集団が出て行ったのを確認して、俺は外に出た。
文化祭二日目……今日は学生以外のお客さんも校内に入れる一般公開日。我らがお化け屋敷もそこそこに繁盛し、クラスメート達は昨日以上に気合を入れて出し物に臨んでいた。
「賑やかなお客さんだったな、さっきの」
教室前方、黒板側の扉……お化け屋敷の入り口にて案内係兼入場券販売をやっている宮山に声をかける。
「みたいだな、こっちまで聞こえてた。……それより、もう良いのかよ?」
備え付けられた椅子から立ち上がり、肩をぐるっと回すと、宮山はそう尋ねてきた。
「ん、オッケーオッケー。それより宮山こそ、その辺見てきたらどうだ? なんか三組がすげぇらしいぞ」
「マジか。よし―――んじゃあ、後は頼むわ」
バトンタッチ。宮山は軽い足取りで廊下の向こうへ消えていった。
先ほどまで宮山が座っていた椅子に腰を下ろす。教室の中に設けられた休憩所―――お化け屋敷の内壁の中―――で横になっていたからか、体の節々が痛い。
俺は体をほぐす様に伸びをして、それから二回、大きく深呼吸をする。
「ふぅ、っと」
椅子とセットで置かれている机。そこに貼り付けられているローテーション表を確認すると、どうやら俺の担当時間は三十分……ちょうど午後一時までだ。
よし、一丁頑張るか。
頭をぶんぶんと振り回し、眠気を吹き飛ばす。そうして俺は、次のお客さんを待つのだった。
……
あの夜―――人喰いとの殺し合いの夜。
光の向こうに掻き消えた筈の俺は、けれど、五体満足のまま眼を覚ました。
混乱するまま瑞希の許へと歩く俺は、瞼の裏に焼きついている遥か昔の映像を思い出していた。
人喰いに刀を突き刺した、太古の宿主。光に包まれ、消え去る二人。
そう、アレは命を捨てる技の筈なんだ。
「瑞希……」
横たわる彼女に呼びかける。勿論、返事なんてありはしない。
俺は早速彼女の傷を癒す為、自らの血を彼女へと与える。
羅刹を具現化し、腕を傷つけようとしたところで……俺はハッと息を呑んだ。
「なんで……」
羅刹が、現れない。
今ではすっかり慣れきった、羅刹を顕現させる為の行為。けれど、何度ソレを試みた所で、羅刹が俺の手に握られる事はなかった。
「くそッ―――」
俺は指の先を噛み切って、流れた血液を傷口に垂らす。刀によって貫かれた瑞希の腹部が、みるみるうちに復元していく。
ほっと胸を撫で下ろす。彼女の顔色も、次第に良くなっていった。
「瑞希……おい、瑞希……」
ぺちぺちと頬を叩く。流石にまだ意識は戻らないか、なんて思った瞬間……俺は彼女が呼吸をしていない事に気がついた。
「嘘、だろ―――?」
傷は治ってるんだぞ、だったらなんで……。
マズイ―――マズイマズイマズイ。
救急車だ! いや、人工呼吸か?
時間だけがすぎる。平常心を失った俺には、たった一分ちょっとのその間が、まるで永遠みたいに感じられた。
焦るばかりの俺は、結局何一つ行動を起こす事が出来ないでいる。
あぁ、くそ、このままじゃ……。
このままじゃ瑞希が……。
……
「亮!」
「おわ!?」
耳元で声をかけられて、俺はガバっと起き上がる。
わいわいがやがや、もの凄い喧騒だ。考えるまでもなく、自分が文化祭の打ち上げに参加している事を思い出す。
「大丈夫か? なんか疲れてるみたいだけど……」
と、心配そうに小高がそう言う。「ちょっとな」とだけ返して、俺は辺りを見回した。
宴会用の座敷部屋に詰め込まれた四十人ものクラスメート達は、今までの苦労をねぎらうように、晴れ晴れとした表情で笑いあっている。
一番の功労者である委員長は数人の男女に囲まれてやんややんやと騒いでいるし、笹木さんと阿東さんも数人のグループに混じって打ち上げを楽しんでいるようだ。
勿論俺たちだって、こういう場ならしっかり騒ぐ。宮山が唐突に一発芸大会を始めたので、俺も飛び入り参加した。
ああ、良かった。心の底から俺はそう思う。
誰も欠ける事なく、ここでこうしていられる事……俺の日常の風景が、壊れる事なく存続した事。この風景を守る為に俺は戦い、そして勝ったのだ。勝ち取ったのだ。
けれど―――
俺はふいにソレを思い、そうしてから自嘲する様に笑った。あぁ、まったく馬鹿らしい。
この場に彼女がいない。そんな事に、寂しさを感じてしまうなんて。
そもそも彼女はウチの生徒じゃないのだから、むしろコレが自然なのだ。俺の日常に、彼女はいない。
考える。この寂しさの、そのワケを。
「……あ」
なんだ……つまりソレって、凄く簡単な話。
今の俺にとってアイツは……雛森瑞希は、日常の存在なんだ。
一緒に居るのが当たり前な。そんな、存在なんだ。
……
「久しぶりだな。村上、亮と言ったか?」
「な―――っ」
突然の来訪者。焦る俺の前に現れたのは、いつか夜の校舎で戦った弓兵……大路であった。
何故、どうして……色々な言葉が浮かぶが、俺がソレを口にするよりも先に、目の前の男は言葉を発した。
「姫君を病院に連れて行くが……構わんな?」
「え、あ……」
言葉に詰まる。男の行動は、瑞希を助ける最善のモノであろう。だが、その意図が解らない。
「なんで、アンタが……」
そうして俺の口から出たのは、そんな間の抜けた台詞だった。
男は少しだけ口元を歪めると、極々簡単な言葉で自らの目的を述べる。
「任務だ。『人喰い』発生に関する全ての事後処理」
「事後処理……って」
「話は後にしようか。このままでは、助かるモノも助からん」
すっと瑞希を抱きかかえ、大路は校庭の端へと歩いてゆく。目を凝らすと、その先に救急車が駐車しているのが見えた。
バタン、ドアを閉める乾いた音。二人を乗せた救急車が走り出す。
そうしてソレは駐輪場の横を抜けていく。程なくして、サイレンが鳴り出した。
成り行きを呆然と見ているだけだった俺はそこで我に返る。
瑞希が……連れていかれてしまった。勿論、瑞希の容態は急を要するモノであったが……。だからといって、あのまま行かせたのは不味かったんじゃないのだろうか?
いや……。俺は自分の考えを否定する。少なくとも、あの大路という男は信用できる。アイツが病院に連れて行くと言ったんなら、瑞希に危険はない筈。
大丈夫、大丈夫だ。俺は自分を納得させる。
そうして初めて、俺は肩の力を抜いた。
「あ―――着替え取りに帰らねーと」
一番先に思い浮かんだのはソレだった。切り刻まれてボロボロな上、真っ赤に濡れているのだから着替えなければならない。少々面倒だが、そうも言ってられないな。
「……疲れた、な」
静かな校舎を背に、俺は一人呟いた。
……
九月十九日。文化祭から丁度一週間が経過した。
アレからの俺はと言えば、別段何かが変わるワケでもなく……ソレまで通り、馬鹿な友人達とそれなりに楽しい日常を過ごしている。
今月末には修学旅行という事もあり、文化祭が終わったからといって慌しさが途絶える事はなさそうだ。
ソレは今の俺にとってありがたい忙しさだった。或いは俺は、その流れに身を任せて、あの日感じた寂しさを忘れようとしていたのかもしれない。
胸の中にポッカリと開いた、一つの孔。日常からこそげ落ちてしまった、ある少女との記憶。
連絡先くらい聞いておけば良かったなんて、今は後悔するけれど……だからってもうどうにもならない訳で。だから俺は、その得体の知れない欠けた感覚を忘れる為に、忙しい毎日を過ごしていた。
「って事なんで、来週の月曜日までに修学旅行の班別行動計画表を提出して下さい。……って、そこ! 話し聞いてるのッ!?」
だんだんと教卓を手で叩いて、なにやら騒がしい様子の委員長。そういえば今はロングホームルームだっけ? なんて思い出してようやく、その言葉が俺に向けて発せられたモノだと気がついた。
「はぁ、まったく―――それじゃ、もっかい説明するから」
やれやれと言った様子の委員長は、律儀にそんな事を言い出す。同時に、クラスの空気が少しだけ鋭くなった。そこかしこから「同じ話は勘弁してくれよ」とか「あーぁ、村上くん……やっちゃったね」なんてちょっと刺々しい言葉が飛んできたり。
「ままま、委員長、コイツには俺が後でしっかり話して聞かせるからさ。ちゃっちゃと続き行こうぜ」
そんなアウェイな俺を助けたのは、心の友兼悪友の小高。俺は奴に心の中で頭を下げると、委員長へと愛想笑いをする。
委員長は小さく鼻を鳴らし、「それなら良いけど」と続きを話し出す。
「サンキュ、小高」
二つ隣に座る小高へ、聞こえるか聞こえないかギリギリの音量で感謝を告げる。
「気にすんなよ。ソレに―――この後の事を考えたら、委員長の話しは手短に済ませて欲しいじゃん?」
と、小高も俺に負けず劣らずの小声で返事をしてきた。
「この後……? 何かあるのか?」
「え? お前聞いてないのか!?」
パクパクと口を動かす小高。最早声になっていないその台詞を読唇術で解読すると、この後なにやら気になるイベントが控えているとの事。
「おいおい、こんなビックイベントめったにねーってのに……」
「……で、初日の行動はこんな感じなんで、係りの人はメモっておいて下さい。以上!」
小高が気になるそのイベントとやらの全貌を話そうとした丁度その時、いつもより短い委員長の話しが終わった。
まるでタイミングを計った様に、ガラガラと教室の扉を開ける音が響く。
一斉に、クラス中の視線がそちらに注がれた。
「お、話し終わったの?」
のしのしと現れた担任の久保田が、委員長へ向けて飄々と問いかける。
首を縦に振る委員長。ソレを見た久保田はうんうんと満足げに頷いてから「ジャストなタイミングだなぁ」と呟いた。
そしておもむろに―――
「おーい、入っておいで」
―――廊下へそう呼びかける。
「……っ」
絶句。小高が俺に伝えようとしていたイベントとやらは、俺にとって三つの点で驚くべきモノであった。
なんて言うと、まるで落ち着いているみたいだけれど、まったくもってそんな事はなくって……。
ハッキリ言ってしまえば、俺は気を失ってしまいそうになっていた。今の俺はその驚きを、あえて三つと区切る事でかろうじて意識を保っている状態である。
その三つとは、すなわち、
「急な話しだがな、今日からこのクラスで一緒に勉強する事になった転校生だ」
一つ、修学旅行一週間前なんて時期に、転校生がやって来た事。
「んじゃ、自己紹介ね」
「は、はいっ……え~」
二つ、その転校生が、見知った顔の少女であった事。
「―――雛森瑞希、です! えっと……変な時期からですけど、その……よろしくお願いしますっ」
三つ、ソイツの口調が、なんだかいつものソレと違った事だ!
「って、えぇえ! お前―――っ」
思わず声を上げてしまう。てか、上げざるを得ないだろう!
完全にパニックに陥った俺を尻目に、教室にはなんだか妙などよめきが溢れていた。そこかしこから「ラブコメは勘弁してくれよ」とか「あーぁ、村上くん……やっちゃったね」なんて言葉が……って、やっちゃってねーし!!!!
「んー? なんだなんだ?」
イマイチ状況が掴めていない久保田は、我関せずといった様子で転校生……雛森瑞希に座席の位置を告げた。
喧騒をものともせず、颯爽と自分の席へ向かう彼女。流れる様な動作で椅子を引き出すと、音も立てずに着席した。
そうして……彼女はゆったりと、こちらへ振り向いて―――
―――お日様みたいな笑顔を浮かべた。
「なんだなんだ……おい、亮、どういうこった?」
「おい村上! 表に出ろ!」
「えー、ありえないでしょ……」
「ちょっと、まだ授業中なんですけど!」
九月十八日。文化祭から丁度一週間が経過した。
アレからの俺はと言えば、別段何かが変わるワケでもなく……ソレまで通り、馬鹿な友人達とそれなりに楽しい日常を過ごしている。
今月末には修学旅行という事もあり、文化祭が終わったからといって慌しさが途絶える事はなさそうだ。
あぁ、だけれども……。
俺の前に現れた新しい日常は、ソレまでの毎日を少しずつ……けれど確実に、より慌しいモノへと彩るだろう。
いつも通りに加わった、新しいいつも通り。ソレはあるいは、非日常と呼ぶべきモノなのかもしれない。でもきっと、いつかソレを日常と呼べる日が来るだろう。
雛森瑞希が俺の日常になった様に、いつの日か彼女との学校生活も俺の日常になるのだ。
ソレまでは……その風景が日常に変わるまでは……普段より賑やかな非日常を過ごすのも悪くはない。
やかましい教室の中、そんな事を考えた俺は、微笑む彼女へ笑顔を返した。
彼女を、瑞希を。新しいいつも通りを迎え入れる様に。
興味をもってくれた方、ありがとうございます。この物語もようやくエピローグをむかえる事が出来ました。少しでも楽しんでいただけたら……そう思って書いてきましたが、はてさてどうでしょうか? 月1更新(酷い時はそれ以上)のグダグダペースでしたが、付き合っていただけた全ての人々に感謝を述べて、〆とさせて頂きます。あ、すいません、もうちょい伸びます。えー、ご意見・ご感想ありましたら是非是非お願いいたします。文句でも何でも構いませんのでー。それではっ