黄昏世界/激突
「……ん? いつぞやのお嬢ちゃんも一緒か。おいおい兄弟よぉ、いくらなんでも女の子に手助けさせるってのはなぁ……考えモンだぜ?」
じろりと少女を一瞥し、青年の顔をした鬼はそう非難した。瑞希は何か言い返そうと一歩前に歩み出るが、横から割り込んだ青年に邪魔をされて、結局何も言う事は出来なかった。
「コイツは関係ない。これは俺とお前の問題だろ」
緊張を孕んだ声。こう話している間にも、人食いが斬りかかって来るかもしれない。一時も気を緩める事は出来ないのだ。
そんな青年の警戒を察してか、人喰いはやれやれと肩を竦めた。
「そんなに固くなるなよ。別にいきなりグサリ、なんて事はしないさ。こう見えて紳士なんだぜ? 俺は」
言いながら人喰いは、青年の方へ歩み寄っていく。反射的に羅刹を顕現させた亮にはしかし眼もくれず、彼は青年の横を素通りした。
「来いよ。ここじゃあ狭いだろう?」
あまりにも無防備に背中を見せる人喰い。呆気にとられ立ち尽くす青年たちを無視し、その背中はゆったりと歩を進めていった。
亮と瑞希は一度だけ視線を交わし、無言のまま彼の後ろを着いて行く。
駐輪場……校門から見て教室棟の左側。職員棟とは真反対に位置する……を抜けたところで、人喰いはクルリと振り返った。
「此処なら良いだろ。なぁ、兄弟?」
愉しそうにそう言う人喰い。彼の背後に広がるのは、何てことのない運動場だ。
そこそこに整備された四百メートルトラック。古びたバックネットが二つに、サッカーゴールが二組―――といっても、それらを全て同時に使う事は、面積の関係で不可能である―――トラックを挟んで向こうには、申し訳程度に植えられた芝生と、小規模なテニスコートがあるだけの、極々平凡なグラウンド。けれどソレは、運動場として見た場合である。
薄暗い……明かりと言えば、雲間から差し込む月光だけの……グラウンドは、二人の人間が殺しあうフィールドとしては破格の広さだ。また、校門から遠い此処ならば、誰かに目撃されるといった事もないだろう。
青年はやはり無言のまま、人喰いの前に歩み出る。
「あ、そうそう、兄弟よぉ。そういや、なんでさっき斬りかかって来なかったんだ? 始める前に、それだけ聞かせてくれよ」
緊迫感の欠片も無い声で、人喰いは青年へと問いかける。さっき、とは人喰いが二人に背中を向けた時の事であろう。亮はしばし考えた後「さぁな」と答えた。
「お友達を助けるのになりふり構ってられないと思ったんだが……意外と余裕だな」
「別に、余裕なんてねぇよ。ただ、不意打ちが思い浮かばなかったってんなら、そうすべきじゃなかったって事なんじゃないのか?」
青年は自身の感性をそのまま口にした。彼が後ろから斬りかかれなかった……否、斬りかかる事すら思いつかなかったのは、無意識的な警戒からであるという事実を知る者は、誰もいない。
青年の答えを聞いた人喰いはつまらなそうな表情を浮かべると、無言のまま右手を前にかざす。
すっと、空間に染み込むようにして羅刹に良く似た刀が現れる。
「ふぅん? 良く解らんが……まぁ良いや。どうせやるこたァ一緒だし―――な?」
言葉尻は、青年の背後から響いた。
一瞬にして青年の眼前から消え失せた人喰いは、身を屈めた姿勢から横合いに刀を振り抜く。一切の躊躇も無く繰り出されたその斬撃は、無防備な青年の胴体へ襲いかかる。
響く、鉄同士の激突音。体捌きでは躱し切れぬと判断した青年は、具現化した羅刹で鬼の斬撃を防御する。
「お!?」
驚きの声を上げる人喰い。それは不意打ちじみた自身の攻撃を淀みなく防いだ青年に対する賞賛でもある。
「離れてろッ!」
今にも間に入ろうと身構えていた瑞希に対しそう叫び、青年はグラウンドの中央へと、人喰いから距離を置く。鬼を少女から遠ざけ、彼女が巻き込まれるのを防ぎつつ、腕力差による鍔迫り合いでの不利を避ける為である。
人喰いは一瞬だけ少女の方へ視線をやると、即座に青年の後を追った。
「―――っ」
僅かに逡巡した後、瑞希はその両足を運動場の中央へと向ける。ここでもし何もせずに青年を失う事になったら……きっと、後悔するだろう。強い思いは青年の制止を振り切り、彼女に走る力を与えた。たとえ、彼女に出来る事が何もないとしても。じっとしている事だけは、出来なかった。
ニ、三十メートル程の距離を走り、青年は振り返る。瞬間、彼の視界に飛び込んでくるのは銀の軌跡であった。
想像よりもずっと速い鬼の追撃。とっさに発動させた異能の眼が、その一切を読み取った。
スローモーションのセカイ。青年の頭頂部目掛けて振り下ろされる、その刀身に刻まれた乱れ波紋すら鮮明に視える。
月光を浴びて禍々しく光る凶刃を半身になって躱し、刀を持つ小手先へと弾丸の様な突きを放つ。
が、青年のソレが目標へと到達するよりも速く、鬼は次なる動作を開始した。
あろう事か人喰いは躱された筈の刀を、勢いそのままに地面へと突きたてたのである。
―――バクリと、地面に黒い虚空が生まれる。
まるで、空間そのものを切り裂いたかの様に大地を深々と貫いたその虚穴は、青年の右足首までを飲み込んだ。
「な、……?」
重心を崩した青年の体が、右方向へと傾いだ。
鬼へと繰り出した突きの格好そのままに、亮は転倒する。
「くっそ―――、」
かろうじて受身はとったものの、青年が晒した隙は限りなく大きい。慌てて体勢を整える頃には、鬼の斬撃が致命的な距離にまで迫っていた。
青年は自身の迂闊さを呪った。解理の眼によって斬撃そのものは見えていても、首筋へと振るわれるその刃を躱す為の動作を起こす事が出来ない。
―――死が、ゆっくりとやってくる。
「亮ぉおお!」
叫びと同時、少女はその体ごと鬼へとぶつかった。
どさり、と盛大な音を立てて地面へと転がる瑞希。―――いつぞやの光景が、青年の脳裏に過ぎ去った。
「ちぃっ、邪魔を!」
ぶれた刃は本来の威力の半分も発揮せず、青年の左鎖骨へと突き刺さる。
「が、あぁあ!」
苦悶の声は一瞬。自らの体にめり込んだ刃を左手に握りこみ、青年は残った右腕で渾身の一撃を見舞う。
不完全な状態での斬撃だ。これで決着とはならないだろう。
―――けどっ!
多少なりとも手傷を負わせる事が出来れば、ソレは青年にとって大きく有利に働く。『不死身』の異能力による異常回復は、長期戦にこそその真価を発揮するのだ。たとえ相手が化物のじみた強さを持っていても、傷を負えばソレは半減する筈。ならば今青年に出来る事は、小さくても確実なダメージを与える事である。
水平に繰り出された羅刹は、狙い過たず人喰いの脇腹へと叩き込まれた。青年のモノと同じ学校指定のワイシャツを切り裂いて、淡く白光する神剣がその内に存在する皮膚へと到達する。
瞬時にその薄い防壁を突き破り、脂肪や筋肉へ食い込むと、刃を伝い赤い液体がボタボタと地面へ零れ落ちる。激痛に歪む、青年と同じ顔。ぶわっと脂汗が滲み、呻きともつかぬ声が喉から搾り出される。
そんな青年の想像は、不自然に響いた音によって掻き消された。
それはともすれば、金属同士をぶつけた様な……そう、まさしく先ほどの打ち合いの際に聞いた高く響く音である。
同時に青年の右腕に伝わる、人の肉を斬ったモノとは到底違う感触。まるで、人喰いのその部分のみが金属製になったかのような……明らかに、人体とは違うモノを打った感触。ビリビリと肘の辺りまで嫌な痺れが駆け上ってくる。
訳も解らず混乱する青年を尻目に、人喰いは自身の刀を亮の肉体から引き抜いた。
「ぎ、っぃ!」
鋭い痛みにより与えられる灼熱感。燃える様な痛みはしかし、一瞬の後には沈静した。みるみるうちに、赤黒く裂けた傷が治癒していく。
刀を正眼に構え、青年は鬼へ向き直る。足元の裂け目は、いつの間にか消え去っていた。
「お、前……。何か、仕込んで、んのか?」
肩で息を付きながら、そう口にする青年。彼としては声にするつもりはなかったのだろうが、気がつけば言葉になっていたようだ。先ほど感じた謎の感触に対しての疑問が飛び出した。
が、目の前の人喰いも同様に……つまり、混乱したような表情を浮かべ、青年に向かって言葉を放つ。
「もしかして……お前、気付いてなかったのか?」
ソレはまったく本心からの台詞であった。その事実に対し、共通の認識があるものだと思い込んでいた人喰いにとって、青年がソレに気付いていなかったという真実は酷く滑稽に見えた。
「おいおい、冗談だろう?」
そうして人喰いは、例によって肩を竦めると、その続きを話し出した。
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