黄昏世界/前夜
例によって間が開いて申し訳ありません。興味を持ってくれた方、ありがとうございます。
*諸事情により4章(黄昏世界)を大幅に改変いたしました。以前よりお読みしてくれている方は、お手数ですがもう一度目を通して頂けると助かります。
◇ ◇ ◇
「良いか! アイツはあれから四人もの人間を喰っている……見つけても逃げるんだぞ。もう私たちの手に負えるレベルじゃないんだ―――聞いてるのか?」
「あぁ、聞こえてる聞こえてる。解ったよ、見つけたって深追いなんてしない」
「深追いどころではない! すぐに逃げるんだ!」
「解った解った……ったく、心配性だなぁ。そろそろ家だし、大丈夫だよ」
「そうか……くれぐれも気をつけて帰って来るんだぞ」
「あーい。んじゃな」
ぱたん、と携帯電話を閉じる。何でもニュースで人喰いの起こしたらしい事件を見たのだとか。わざわざ電話をかけてきてくれる辺り、アイツの人の良さが窺える。
「見つけたら、逃げろ―――だってけど?」
「逃げても良いぜ? 別に今日はやりあいに来たわけじゃないしな」
黄昏よりも宵の口と言った方がしっくりくるであろう、日の落ちた七時半。駅から家までの最短ルートである神社脇の山道を歩いていた俺は、あろう事か俺自身に道を塞がれた。
その邂逅はあまりにも突然すぎて、俺から全ての思考能力を奪った……が、どうやら人喰いは事を構える気は(少なくとも今は)ないらしく、幸運な事に不意を付いてグサリ、という展開だけは避けられた。
目の前で不敵に嗤う、人を喰らう鬼。無防備なまま俺に近づいてきたソイツが発した言葉は『提案』であった。
「……提案だと?」
「あぁ、そうだ。お前にとっても悪くは、」
と、ヤツの言葉を遮ったのはズボンのポケットに突っ込んでいた携帯電話の着信音。目線でヤツに問いかけると、アイツはふっと笑って「出ろよ」なんて言った。
そうして話しは今に至る。
瑞希からの忠告を受けてなお俺がその場を離れなかったのは、ひとえにヤツの言う提案が気になったからだ。
「で、提案ってのは?」
端的に、必要事項だけを述べる。家の近く、なんて言ってしまったからにはあまり時間をかけると瑞希が心配するだろうから、用件だけを聞いてすぐに立ち去ろうと、そういう訳だ。
「ま、大した話しじゃねぇがな。明日の夜、あるんだろう?」
何の事だ。そう口にしようとした俺はしかし、一瞬でソレに気が付いた。
―――文化祭準備。そのラストスパートである学校への泊り込み。
「まさか……」
「その、まさかだ」
くっく、と下卑た笑いを上げる人喰い。その笑みが、俺に確信させる。
人目に付かぬ夜。外部の者が出入りしづらい場所に……沢山の人間が集まるのだ。誰にも邪魔されず、思う存分己の欲望を満たす事が出来る、この上ない晩餐会。夜の校舎が、地獄絵図へと変貌する。
「話しが早くて助かるぜ。んで、提案ってのはだな」
もったいぶって、一旦言葉を区切る人喰い。俺の貌が、楽しそうに楽しそうに嗤う。
「明日の夜―――俺と殺し合いをする事」
「な、?」
「ま、一種の賭けみたいなモンよ。賭けの対象は兄弟の友達数十人……どっちみち俺たちはケリをつけなきゃならないワケだが、どうせなら派手な方が良いだろ? ソレにホラ、こっちの方がやる気も出るし、殺し合いも盛り上がるって寸法よ」
「く、」
狂っている。人間を賭けの対象にするなんて……出来るはずが無い。
「おいおい、言っちゃなんだけどあくまでソレは建前だぜ? 俺は喰う為に人を殺すのであって、殺しが趣味ってワケじゃあねぇ」
心外だとでも言うように、人喰いは肩を竦める。
「ただ、兄弟が難癖つけてイベントそのものを中止しちまうって事も考えられるからな。その保険としての提案だ」
ごくあっさりと、自らの計画を破綻させる方法を述べた人喰い。だが、此処で気になるのはそっちではなく、『保険』の部分だ。常識的に考えて、その提案が俺の行動を抑制する保険になる筈が無い。否、仮に何かしらを突きつけてきたとしても、クラスメートを賭けるなんて事になる訳が無い。
そんな俺の考えはしかし、次の台詞によってあっさりとぶち壊された。
「もしも勝負に乗るんなら……俺は明日の決着がつくまで、誰一人として喰わないと約束する」
「……人質、ってワケか」
数十人を危険に晒す代わりに、不特定多数の誰かの安全を保障する。逆に言えば、クラスメートの安全を確保する為に、他の誰かを犠牲にしなければならない。……ふざけた二択だ。
命は平等とは言うモノの、結局それは一般論でしかなく……主観的に見れば、友人と名も知らぬ他人の命では、天秤は友人の方へ傾く。『誰だか解らぬ犠牲者』の為に友人を差し出すなんて事、出来るワケがない。
出来るワケ、ないのに。
「―――ッ―――解った」
だからって、見知らぬ誰かなら死んでもいい……なんて事は、やっぱりありえない。
「兄弟ならそう言うと思ったぜ……それじゃあ、また明日」
酷く上機嫌な声でそう言うと、人喰いはこちらに背を向けて去っていった。
「―――くそッ」
どうする事も出来ない俺は、一人家で待っているであろうアイツの顔を思い出し、ひとまず帰路に着いた。
……
「ただいまぁ」
とりあえず瑞希に勘付かれる事は避けたいので、出来る限り平静を装って玄関をくぐる。
いつも通りリビングへ行くと、瑞希が夕食の準備をしていた。匂いから察するに今日はシチューだろう。
「おかえり。やけに遅かったが、何かあったのか?」
「―――え?」
まさか、早速気付かれたか? なんて思ったが、そもそも電話してから三十分も経っていないのだ。単純に瑞希が神経過敏になっているだけだろうと俺は決め付けて、特に何もないぞ? とシラを切った。
「ふぅん? それなら良いんだが……あぁ、そうそう。明日の事だけど」
「ぶっ! な、なになになんだい?」
あまりにタイムリーな発言。思わず噴き出してしまう。
「? いや、学校に忍び込むのに制服が必要だと言っただろう?」
あまりにも露骨な俺の反応を見て、ワケが解らんといった風な表情の瑞希が当然の様にそう言った。
「あ、あー」
そういえば……。コイツ、準備に付いて来る気満々だったっけ。昨晩のやりとりを思い出し、それから俺は小さく溜息を吐いた。
「仕方ねぇ、か」
今更来るな、なんて言ったら怪しむだろうし……。それに―――。
もし、何も言わずに俺がヤツと戦って死んじまったら……きっと瑞希は泣くだろう。自意識過剰かも知れないし、まだ死ぬとも決まってないけれど。
でも、それでも。やっぱりコイツに黙ったままになんて、出来ない。
「あのな、瑞希」
「うん?」
そうして俺は、人喰いに会った事、提案を持ちかけられた事の一切を瑞希に話した。
最初は呆れた様に聞いていた瑞希であったが、話しが終わる頃になると何やら難しい顔へと変化した。
「―――馬鹿」
「う」
俺の話が終わり、最初に飛び出した感想がソレ。あまりにも的確すぎて、反論する事すら出来ない。
「人を喰らうという事は、その人物の命を取り込むという意味にもなる。解るか? 人を喰らって生きるアレが、一日喰わぬと宣言したという事は、だ。私たちを容易に、しかも確実に葬りさる力を取り戻した、という事だ! ふん、四人も喰らったなら当然かもしれんがな……ソレをお前というヤツは、まったく!」
「仕方無いだろ! 確かに友達は大事だけど、だからって他の誰かを犠牲になんて」
「ソレが馬鹿だと言っているんだ! もっと大局的に考えろ。仮にその他人一人を救う為にお前が明日戦ってもしも負けたら! 一晩で何人が犠牲になると思っているんだ」
「ソレは、その……」
もごもごと口篭ってしまう。瑞希の言葉は正論で。正論ゆえに正しくって、反論なんて出来ないけど……。でも、俺は自分が間違っているとも思えない。
ソレをどうにかして伝える方法を考えている俺を尻目に、瑞希は言葉を続けた。
「まぁ、もっとも……三連合の介入を待っていては、それこそ何人が犠牲になるか解ったものでもないし。……それに、その」
ちらり、とそっぽを向いて、なにやらモゴモゴと口を動かしている瑞希さん。ハッキリ言って何も聞こえない。その前にも何か気になる単語を言っていた気がするのだけれど……?
「だから、その……そういうお前が、だな」
「う、ん?」
俺が、何だ? 三連合? もう少しヴォリュームデカめでお願いします。
「あーっ!!」
「っっっ!! なんだ!?」
突然の大声に思わず飛び上がる俺を無視して、ドタドタとキッチンの方へ駆けて行く瑞希。何やらガチャガチャと忙しい様子。
「シチュー……ふきこぼれた」
がっくりと肩を落とす瑞希。俺はキンキンする頭のまま、とりあえず布巾を瑞希へと手渡した。