黄昏世界/思いと覚悟と
◇ ◇ ◇
「じゃあな亮」
「またなー」
「おう、んじゃな」
翌日。いつも通り文化祭の準備を終えた俺は悪友二人と別れた後、急ぎ足で家へと戻った。勿論、人喰いを探す夜回りの為である。
靴を脱ぐのももどかしく、玄関先に鞄を放り投げて、家の中に居るであろう二人に声をかける。
「おかえり、亮くん。では、早速行こうか」
「あれ、瑞希は……?」
予想に反し、玄関先まで出てきたのは来栖さん一人きり。疑問に思い、瑞希の不在を尋ねてみると来栖さんは首を横に振って言った。
「刀のないアイツを連れて行った所で足手纏いになるからね。大人しく留守番させる事にしたんだ」
皮製の高級そうなブーツを履きながら、平然といった感じでそう述べる来栖さん。
「留守番って、一人きりでですか?」
他に誰がいる訳でもないのだからその質問はいささかマヌケではあったが、瑞希の安全の事を考えると言わずにはおれなかった。可能性の話をすれば、人食いが家へ奇襲してくる事だってあるかもしれない。
「一通りの対策はしてあるし……問題はないよ。ま、人喰いの性格を考えればそもそも此処へやってくる事自体ないと思うけど」
アイツは君が思っているよりもずっと冷静で用心深い。そう続けて、来栖さんは玄関の扉をくぐった。
イマイチ釈然としなかったが、かといって俺にはどうする事も出来ないので、黙って来栖さんの後に着いて行く。
そうして二時間ばかり、人が隠れられそうな場所を手当たり次第に見て回った。結果は惨敗。まぁ、そんなに簡単に見つかるとも思ってないけど。
「ん……」
と、目の前を歩いていた来栖さんが突然立ち止まった。何か見つけたのだろうか? キョロキョロと辺りを見回すも、特に変わったモノはない。
「あの、」
「そろそろ良いか」
「?」
どうしたんです? そう声をかけようとした俺はしかし、来栖さんの言葉に出鼻を挫かれ、結果として何も発することが出来なかった。
来栖さんはそんな俺などお構い無しに、無言のまま歩を再開する。
十分後。俺たちが辿り着いたのは住宅地の中心部に存在する自然公園であった。
東屋風の休憩所に始まり、大人でも十分に走り回れる原っぱ、ブランコ、シーソー、ジャングルジムと一通りの遊具が設置された中々に立派な公園だ。
天気の良い日にはそこそこに人の集まる自然公園であるが、日の落ちた今では言うまでもなく無人である。人気はないが、見晴らしが良すぎる為身を隠すのには適しているとは言えない。正直、此処に人食いが居るとは思えないのだが……。
「えーっと……とりあえず俺は右周りに公園を一周しますんで」
万が一という事もありえる。せっかく来たのに何もせずに帰る、なんてのも馬鹿らしいので、俺はそう口にした。
が、来栖さんは俺の言葉など聞こえなかったかの様に俺の方へ近づいて……あろうことか、その右足を俺の腹へと叩き込んだ。
「ぁ―――?」
鈍い音。止まる呼吸と、ぶれる視界。どさり、と背中を地面に打ち付けてようやく、自分が蹴り飛ばされたのだと気が付いた。
「な、なにすんだ、いきなり」
真っ白な頭のまま叫ぶ。胃の内容物をブチ撒けそうな衝動を必死に抑え、フラつく足でようやく立ち上がると、呆れ顔の来栖さんと目が合った。
「おいおい、コレくらいは避けてもらわないと」
わざとらしく溜息をつき、首をすくめる。攻撃された理由も、呆れられる理由も解らない俺は、悔しい事に来栖さんの二の句を待つしかない。
重苦しい沈黙……もっとも、そう感じているのは俺だけかもしれないが……は、たっぷり一分ほど続いた。アレだけ五月蝿かった蝉の声ももはや過去の事。静寂は耳鳴りさえ伴って深く闇夜に沈み込む。
そうして腹部の鈍痛もようやく治まった頃……来栖さんは口を開いた。
「俺は、俺はね……アイツを十七年間見ている。十七年間だ。アイツがまだピーピー泣いてた頃から……まぁそれは今も大して変わりゃしないが……ずっと一緒に生きてきた。解るか? 血の繋がりなんてありゃしないが、俺にとってアイツは大事な妹みたいなモンなんだ。そのアイツが……妹みたいな瑞希がだ、生まれ故郷を捨てる覚悟で此処に来た。人喰いだなんだと言っちゃあいるが、まぁ、そんなのは二の次だな。結局のところアイツは、亮くん、君に会いに来たようなモンだ。そう、瑞希はね、他の全てをかなぐり捨てて君に会いに来たんだよ! アイツに自覚があるかどうかなんて知らんし、知ろうとも思わんが……アイツは君に惹かれてるんだ。混血だとか、王族だとか……そんなモンとは無関係に自分を見てくれる君にね」
「は……ぁ?」
恥かしい事に……多分、今の俺の顔は高確率で真っ赤になっているだろう。まぁ俺もお年頃な男の子だし、今までそんな経験なんてないから、「アイツお前に惚れてるぜ」みたいな事を言われりゃしょうがないだろう。しょうがないだろ?
が! しかし、ソレとコレとはまったくもって関係がない。俺が来栖さんに尋ねたのは、俺を蹴り飛ばした理由である。瑞希の、その、気持ちなんてモンはまったくもって無関係で、俺は蹴られた時よりも混乱した。
「ま、此処まではアイツの話。で、此処からが君の話だ。ズバリ聞くが……亮くん、君には覚悟があるのかい?」
「覚悟? 一体何の……」
「命を賭ける、覚悟だよ」
眼。昨晩同様の、悪寒すら感じる視線。真っ直ぐに俺を射抜く眼光はけれども、力強さとは別の、何か深いモノを湛えていた。
「偶然出会った、偶然関わった……君にとっては、ただそれだけの存在なんじゃないのか?」
「それは……」
「流されるままに戦って、なんとなく刀を振るっていたんじゃないのか?」
「……」
「全ての……アイツを泣かす全てのモノから、アイツを護る覚悟はあるのか?」
護るって決めた。そう、俺は確かにそう決めた。
でも……。俺は顔を伏せて考える。
でも、何で?
俺が男で、アイツが女だから? アイツの刀を奪ってしまったから? ちっぽけな正義感とか、自己満足とか?
瑞希を護る、あの時そう決めた。理由なんて考えた事なかったけど、自分で決めた事は貫きたい。
そう思ってた。
あぁ、でも違う。違うんだ。
「俺には理由がある……アイツを護る理由がある。でも、亮くんにはソレがあるのか?」
護るって決めたから護る? 違う、本当は違う。
本当は……本当はもっと、もっともっとシンプルな話し。
「俺に、だって……俺にだって」
顔を上げる。視線が交錯する。来栖さんの瞳の、深い所が見える。瑞希を護ると言った男の、深淵が見える。
今はもう悪寒なんて感じない……暖かな光を灯した、優しい目だった。
「アイツを護る理由がある、覚悟だってある!」
「なら……」
眼を閉じて、ゆっくりと息を吐き出す。次の瞬間、柔らかく握った手の内に、乳白色の刃が現れた。
「その覚悟、証明して見せろ」
切っ先が俺の方に向けられる。刀身が水面の如くに波打ち、ソレが常識の範疇からはみ出している事を物語っていた。
先程よりも強く、眼差しが燃える。
「……」
無言のまま、羅刹を具現化する。濡れた様な刀身は月光を反射し、青く冷たく光っていた。
正直に言えば……コレは酷く馬鹿なやりとりだ。突発的な暴力に一貫性の無い話し。そうして今度は殺し合い紛いの剣戟か。
「じゃあ、行きます」
でも、それでも。馬鹿な事とは解っていても。やらなきゃいけない時だってあるだろう。少なくとも俺は、そう思う。
だから俺は少しも加減せず……文字通り殺す気で……来栖さんへと刀を振るう。
彼の瑞希への思い。その大きさに報いるように。
俺の瑞希への思い。ソレを彼へと証明する為に。
*11/23追記
本文を大幅に改変しました。