紅い瞳の少女/異変
◇ ◇ ◇
目覚めは最悪だった。
寝汗でシャツはグッショリと濡れ、気持ちが悪い。それもこれも、昨日の夜の暑苦しさが原因だ。
冬じゃなくて良かった、なんて思いながら着替えを済ませる。朝食を取ろうとしたところで、今日から父さんが出張に出かけているのを思い出した。
―――はぁ。
幸先が悪い、思わず溜め息をつく。とりあえず何かないかなと棚の中を見てみると、父さんが前に買ってきたのだろうカップラーメンが1つ2つ見つかった。
「しょうがないか」
棚の中に手を伸ばす、が、やはり朝からラーメンはいかんせんヘヴィだろうと思いなおし、伸ばした手を引っ込めた。
とりあえず昨日のご飯が余っているので、卵をかけて食べる事にする。昨日に負けず劣らず貧相なメニューだが、気にしないでおこう。
卵を容器に割り入れて、箸でよくかき混ぜる。この時、白身が残るようなかき混ぜ方は個人的に許せないので念入りに。
醤油をたらし……完成! どこからともなくファンファーレが聞こえてきそうなノリで、朝食の準備を終わらせる。
炊飯器からご飯をよそり席につく。うむ、我ながら良い出来だなどと自己満足しつつ、早速食べる事にした。
「いただきまーす」
お茶碗に盛られたご飯に卵をかけた。微妙に色が薄かったので醤油を足して、まずは一口目を食べる。
「……美味なり」
先程は貧相だとかなんとか言ったが、実は卵かけご飯は好物だったりする。俺から言わせてもらえば、この料理こそ素材の味を極限まで引き出した一品だ。
まさに絶品、俺はものの数分でコレを食べ終えてしまう。
「う〜ん」
おいしいのは良かったのだが……さすがに食べるのが早過ぎた。これじゃ校門が開く前に学校へ着いてしまう。
しかたがないので食後のコーヒーで一息つく事にする。
ささっとコーヒーを滝れて、そういえば今日はニュースを見ていない事に気付く。
やはり朝はニュースだな、うん。
そんな事を考え一人頷くと、俺はリモコンでテレビの電源を入れた。
「……であり、今後は国際的な……」
今までの静けさが嘘のように、部屋に音が溢れた。画面を見ながらも、コーヒーを煤る、ちょうど今は日本の外交問題の記事を放送していた。
例によって興味はないので適当に聞き流す。やはりこんな高校生ばかりだから日本の将来は心配されるんだな……なんて考えて、ちょっと悲しくなる。
再びつこうとした溜め息は、ブラウン菅の向こうから聞こえてきた音声に止められた。
「―――市、神衲地区で、男女二名の死体が発見されました。女性の遺体は四肢が切断されており、死因は出血多量によるショック死とみられております。
また、男性の遺体は首を胴体から切断され、即死状態だったという事です。
どちらも何者かによる殺人事件として警察が……」
聞きなれた地名。
いつもなら、あぁ、俺が住んでるとこがテレビにでてるよ……とか思ったんだろう。
しかし、その後に続いた言葉に俺は息を呑んでしまった。
―――殺人事件。
すなわちそれは人が人を作為的に殺すこと。
別にそれ事態は、悲しいことだがこの日本ではあまり珍しい事件ではない。気になったのは俺の住んでいるこの地区で事件が、しかも猟奇的な方法で行われたことだ。
かように人間は他者を傷付けたがる。
防衛本能という枠を越えた人間の攻撃性は、複雑化した思考や、多様化する社会において蓄積されるストレスを起因とする事が多い。
そうやって爆発した攻性衝動は、時として他者の命を奪う『殺人行為』にまで発展する事がある。
他にも怨恨や快楽による殺人、はたまた思い込みによる傷害事件など、人間が他人を傷付ける要因は多種多様に渡る。
それらの事を踏まえた上で俺が思うこの事件の特異点。この事件の犯人が、殺人を犯した理由はなにか……と。
快楽殺人というのは明らかに論外だ。単純に考えて快楽殺人者がこんな事件を起こす筈はない。
快楽殺人者とは文字通り殺人行為に快楽を感じている、いわゆる趣味的な殺人を行う人間の事である。
趣味としての殺人だからこそ、このような目立つ事件を起こすという事はないはずだ。なんせ、事が大きくなればなるほど奴等が逮捕される確率が跳ね上がるのだから。逮捕されては趣味が続けられない……ほら、自然と目立つ事件は起こせない。
となると残りは怨恨がらみか突発的なものか……。
少なくとも突発的な事件というのはなさそうだ。というのも、この犯人の手際からは突発性を感じられないからだ。
突発的な事件ならば……腕や足を切断するなんて大掛りで猟奇的な事にはならない。
もっとも大まかな分類分けからの消去法を使うと、残りは怨恨殺人ということになるが……。
「……!」
ふと顔を上げると、壁にかけられた時計が視界に入る。しまった、考え込んでいるうちに大分時間が経過してしまったようだ。
慌てて家を飛び出す。
興味を持つと考え込む……昔からの悪い癖だ。直そうとは思うが、なかなか思い通りにはいかない。
とりあえず次の思考でこの事件について考えるのをやめよう。
そうして最後に考えたことは『怨恨殺人ならば、犯人はいったいどれほどの恨みを抱いていたのだろう』だった。
……
予鈴と同時に教室に入る。
「ウス、今日は珍しいな」
宮山はそういうと、たまにはギリギリも良いだろ? なんて嬉しそうに言った。俺はコイツのこういう、屈託のないところを気に入っている。
「まぁな、もっとも次からは気をつけないと」
ははっと笑った宮山は、急に教室中を見まわしだした。
「そーいや小高が来てないな」
俺もつられて小高の姿を探すが……確かにいない。
「遅刻じゃないのか?」
「だといいんだが……」
チャイムが鳴り響く、朝のホームルームが始まる合図だ。ざわつく教室の中、俺は宮山が最後に言った言葉のニュアンスが酷く気になっていた。
昼休み……。
教室の中は授業からの解放感で満たされ、みんな思い思いに散らばって昼食を食べている。
いつもなら俺も弁当を食べているところだが……。
俺は宮山と、朝の言葉について話しをしていた。
「で、俺に話しって……なんだ?」
「ああ……ほら、お前が言ってたじゃん? 小高がさ、遅刻なら良いって。あれってどういう意味なんだ?」
「意味も何も、そのまんまだよ。欠席より遅刻のほうが良いだろ?」
訳がわからないと言わんばかりの宮山。
「そりゃそうだけどさ、なんか妙に気になって」
自分でも変な質問だって思ってるが、気になるものはしょうがない。
「……いや、まぁ、他の意味もなくはないんだが」
バツが悪そうに言って、宮山は続きを話しだした。
「今朝ニュース見たらここら辺で殺人事件が起こったってやってたからさぁ……小高のヤツ事件に巻き込まれてたら……って」
徐々に声を低いトーンにして、宮山はそう言った。
「なんかこんな事考えたらガキみたいじゃんか、だから言いづらくて」
照れ笑いを浮かべる宮山。
確かに事件の次の日に学校を休んだからといって小高を関係者と考えるのは安直すぎるか……。
「まぁ物騒だって事に変わりはないよ。ホント小高がただの欠席で良かったぜ」
と、そんな感じで話しはまとまって、俺達は昼食をとる事にした。
五時間目の英語で突然の小テストを行ったこと以外、特に問題もなく下校時間になった。
今日は予定もないので隣街まで遊びに行こうかな……なんて考える。
よし、そうと決まればさっさと行こう。
俺は足早に学校を立ち去った。
……
電車に乗って二駅、決して立派とは言えないが……まぁそれなりの店が建ち並ぶ隣街にやってきた。
とりあえず駅前のゲーセンに入る。さて、なにをやろうか。
うーんと考えること数秒……結局いつもやってる対戦格闘ゲームをプレイすることにした。
百円を投入してっと。
「……よし」
キャラクターを選択する。余談だが、最近俺が使ってるキャラは弱体化していて、かなりの苦戦を強いられていた。
ゲームを始めて数分……。突然ディスプレイが赤一色で覆われた。
―――乱入者!?
俺は一瞬身を強張らせる、が、すぐに自分を落ち着かせて相手のキャラ選択を待った。どうやらよく乱入してくる先輩らしい。
実力はむこうが上。だが押しきれれば……。
「勝てる……か?」
試合開始の合図。初っ端から飛び込むのは愚の骨頂。後ろへ下がって様子を見る。
相手も似たような行動で、お互いに距離が離れた。こちらとしては飛び道具を出したいところだが……勿論許してくれるような相手ではない。
微妙な間合いからの牽制。なんとか防御するが……。
「あ、くっそ、そこで中段かよ」
体力ゲージはあっという間に少なくなっていった。
結局そのままペースを握られ、三対一でこちらの負けとなった。
「やっぱあいつは起き攻めのタイミングを……」
ブツブツと一人で呟いていると突然肩を叩かれた。
「ッ?」
誰だろうと振り向くと、そこには見知った悪友の姿。校則にギリギリ引っかかるかどうかの赤味がかった茶髪に適当なサイズよりも二周り程大きいTシャツ、七分丈のダメージジーンズを腰
履きした、『いかにも軽い』同級生。欠席した筈の小高祐二が立っている。
「な、お前」
「いや、暇になっちゃってね」
薄く笑みを浮かべ答える小高。その顔は仮病でも使ったのかと疑ってしまう程、血色が良い。
もっとも、コイツが仮病なんて考えられないなけど……。曲がった事は嫌い、卑怯な事も嫌い、目上の人には敬意を払う……信じ難い事に、小高の座右の銘である。
『いかにも軽そう』な小高はしかし、チャラチャラとした外見とは裏腹に真っ直ぐな性格をしているのだ。
「寝てなくて良いのか?」
学校を休んだ時に遊びたくなる気持ちはわかるが……。一応それも体調と相談しなければならない。無理をしてまた明日欠席なんて事になったら、元も子もないのだから。
「熱が下がった途端、今度は退屈で死にかけたからな」
軽口を叩く小高。まぁ本人が大丈夫と言っているのだから、それ以上の心配は野暮ってモンだろう。ならばむしろ一緒に楽しむのが礼儀と、俺は筐体に百円玉を突っ込んだ。
……
小一時間ばかりゲームを堪能した後、俺は小高と別れて本屋へ向かう。集めていた漫画の最新刊が出たのを思い出したのだ。
「……ありがとうございました〜」
バイトのやる気のない声を背中に受けて店を出る。
すっかり夜も更け、辺りは街灯がなければ何も見えないだろうって位に真っ暗だった。駅前だっていうのに妙に静かで、この街がいかに寂れているのかをありありと物語っていた。
「さて……帰るかな」
あらかた用事は済ませたし、もう夜も遅いので早々に帰ることにした。
◇ ◇ ◇
「振り切った……か?」
私は辺りの様子を伺う。静寂……時折聞こえてくる虫の声を除けば、だが。
そんな静まり返った住宅街。山道を越え、たどり着いたのがここだった。
寝静まり、人の気配を感じないここでは追っ手の殺気は目立つ。つまりはその接近をいち早く知ることが出来る。
そういう意味では少しだけ、少しだけ落ち着ける場所だ。
「……はぁ」
溜め息を洩らす。無理もない……と自分でも思う。ここ数日で色々な事がありすぎた。自分でも整理できないくらいたくさん。
だからだろうか? 私がソレ……いや、ソイツの接近に気が付かなかったのは。後になって思い返してみても、自分の愚かしさに少し呆れてしまう。
とにかくここは静か過ぎた。だから私はそんな大馬鹿者の気配を感じ取る事が出来なかった。
ソイツが敵じゃあなかったのは不幸中の幸いか。
けど、よりによってソイツは私の一番大切なモノを奪いやがった。
そういう意味ではどんな追っ手よりも憎い。でも……まぁ、たまにはこんな事も良いかな。
とにかく、私が少しばかり安心してその十字路を右に曲がったのが、全ての始まりだったのだ。