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ホタルノヒカリ/赤く染まりし金色の(後)



「――――――!!」



 まるで闇というモノを圧縮したかの様な叫び。慟哭は魔的で、聞いたものの魂魄までをも凍らせる。


 威嚇ではない……狂おしい程の渇きを潤すことが出来るという喜びが、その怪物を吼えさせたのだ。


 二つの腕が、倍近くまで膨れ上がる。ただ喰らう事のみに特化したその体躯が『エサ』目掛けて飛び掛った。


 弾丸めいた速度。


 だが彼女の魔術は、それより疾く起動した。


 三閃の光芒。蛍の掌から放たれた三つの光は、狙い過たず魂喰らいに直撃した。



「嘘……ッ!?」



 白光を切り裂いて現れた魂喰らいは、その勢いを落とす事無く彼女へと突進した。


 ゴム鞠の様に跳ねる蛍。直撃を見届けた男は、コレを勝機と彼女へ走り寄る。



「―――Licht auf dem blinden Engel!」



 言い終わるやいなや、彼女の身体は太陽の如く発光した。



「!?」



 突然の出来事に、男の動きが止まる。


 それは……それは確かに夜明けであった。輝きが黒い闇を取り払う。その瞬間、確かに公園の昼夜は逆転したのだ。



「……小癪な」



 夜が戻ってくる。だが、彼女の放った圧倒的な光量は、男の視力を一時的に奪っていた。



「Verstecken Sie die Sache, die es Form gibt―――」



 間髪入れず、右手に持っている瓶を宙へと放り、呪文を呟きながら、舞い上がるソレを打ち抜いた。砕けた瓶から、液体が飛び散る。



「―――Eine Robe von einem Engel, der das Leichteste in der Welt ist―――!」



 詠唱が終わるのと、後ろに飛び退くのは同時であった。使い魔の突撃が、彼女を掠める。



 エサの魔力を感知する事が出来る魂喰らいに、目くらましは意味をなさない。いかに強烈な光であろうと、眼球を持たないソレに効果はないのだ。


 三度目の攻撃。今度こそ確実に仕留める……魂喰らいはその巨大な口を開くと、文字通り彼女へと喰らいついた。


 巨大な闇が、彼女に迫る。


 最初の攻撃は、自ら後方へ飛ぶことでダメージを軽減した。それが単純な体当たりだったからだ。


 だが、コレは違う……。


 衝撃を受け流す事の出来ない、上下からの同時攻撃。加えてその顎が生み出す破壊力は万力などの比ではない。


 まさしく、必殺と呼ぶに相応しい一撃。


 魔術師といっても肉体は一般人と何一つ変わらない彼女に、ソレを防ぐ事など出来はしない。


 何の躊躇もなく、魂喰らいはその巨大な口でエサを捕食した。


 バクンと、まるで空間ごと呑みこむかの様に、黒い頭骨は彼女を喰らう。


 無慈悲な一撃……ただ口を開いて閉じるだけの動作によって、天樹蛍という存在はこの世から抹消された……筈であった。


 そこで男は、ソレに気付いた。もとより其処に、天樹蛍は居なかったという事実に。


 突如として消えた彼女と入れ替わる様に、白い霧が公園中に立ち込める。



「この霧は……」



 魔術師は一瞬で、その『霧』こそが蛍を消滅させた原因であると見抜く。



「魔力を浸透させた水を霧状に散布し、濃度を調節する事で魂喰らいに誤認させるとは……だが」



 その様なまやかしなど、我が使い魔の前では障害足りえない。その右腕を黒い頭骨へ向け、男は自らと使い魔を『繋げた』。


 物理的に、ではない。彼と魂喰らいの契約を示す『霊的な』回線をオープンにしたのだ。


 同時に男は、その身体に奔る魔力を使い魔へと注ぎ込む。



「……吹き飛ばせ!」



 神託じみた言葉。男の発した命令は、魂喰らいに内蔵された真の能力を起動させた。


 魂という目に見えないモノの、蒐集と放出……。ソレが、魂喰らいに与えられた本来の力である。


 十年前、ヴァレンディアは全人類の魂魄を一点に集めて、ソレを絶滅……あるいは救済……させる事を目論んだ。


 もっとも、蒐集の力が予想よりはるかに非力であり、その規模も本来の数万分の一以下であった為に彼は計画を変更したのだが……。 


 しかし、ソレはあくまで『ヒトの抹殺』を念頭に置いた場合の話しである。通常の戦闘において、魂喰らいに付加された能力は規格外の威力を持っていると言えた。


 周囲を漂う魂魄―――その土地に憑いている残留思念が、魂喰らいに飲み込まれていく。僅かニ三秒程で十分な量の残留思念を蒐集すると、黒い使い魔はソレを逆流させ始めた。


 渦を巻いて吹き荒れるソレは、黒い台風である。魂喰らいを中心に発生した台風は、強い風と共に公園を覆っていた霧を吹き飛ばした。


 単純に払ったのではない。物質ではない魔力が、概念である魂に引きずられたのだ。


 ジャミングが解け、魂喰らいは再びエサの位置を嗅ぎ当てる。



「背後か―――」



 振り向いた魔術師の目に、蛍の姿が映った。瞬間、彼目掛けて光線が発射される。



「gimle」



 魔術師はソレを無視して、呪文を呟いた。


 彼女の足元に広がる血溜まりが、一瞬で剣に変わる。


 地面から伸びたソレは、一直線に蛍の心臓を貫いた。



「ふん、背後からの攻撃ならば我が魂魄障壁を破れると思ったか、たわけめ。いいか? 『魂』とは自己と他を別け隔てる境界線だ。何者をも受け付けない絶対の内向……究極の閉じた世界こそその本質。何の代償も、詠唱すらない低俗な術式で、我が護りを打ち破れるなどと思い上がるな」



 苛立たしげな言葉。実際、今彼の胸中を満たしている感情は『怒り』であった。何故誰も、私を止める事が出来ないのだろう、と。


 酷く身勝手な、けれども男にとっては切実な問題である。内心の所、男は誰かに止めて欲しかったのかもしれない。


 だが……。



「くだらん……」



 今となっては、もうどうでも良い問題だ。



「終末が、やってくる」



 魔神、バロール。


 彼が召喚を目論んだ神の名前である。見た者を殺すという魔眼を持つ神ならば、人の抹殺など容易いだろう……男はそう考えたのだ。


 邪魔者は消した。後は媒介となる器を探し出すだけ……。地面に倒れ伏した彼女に背を向けると、魔術師は静かに歩き出した。


 そして彼は目撃する。



「なん―――だと?」



 驚きのあまり彼の思考は、数瞬だけその機能を停止した。


 鮮血と死臭に満ちた公園。起こり得ない超常が闊歩する、混沌たる暗黒空間においてなお起こってはいけない事象。


 まるで時間を反転させたかの様に、無傷の彼女が、居る。



「悪いけど、遠慮はしないわよ?」



 この上なく残酷な笑みを湛えて、天樹蛍はそう言った。



「……貴様、」



「―――Bohren Sie es!」



 たった一言の、呪文。


 否、ソレは都合三十秒にも及ぶ大長文の、最後の一音節であった。


 彼女がソレを呟いた瞬間、その魔術が起動する。


 天から差し込んだ、一筋の閃光。瞬間、視界が白く染まる。


 ついで音が消え、男の半身が吹き飛んだ。


 上空に展開された、魔法陣。幾何学模様で構成されたソレから放たれた光が、男を貫いたのだ。


 勿論、ただそのまま発射したのでは障壁を打ち抜く事など出来はしない……。


 だが、その魔術を補助するモノがあったのならば、話は別だ。


 彼女は最初の目眩ましの後、もう一本の瓶を使い『天樹蛍の虚像』を作りだすと、自身はその魔力を可能な限り遮断して身を隠した。


 そうしてヴァレンディアがそちらに気をとられている隙に、現在使用可能な最大呪文の詠唱と、ソレを補助する―――水蒸気を用い光の屈折角を調整、集光する……いわば凸レンズの役割を果たす―――魔術を展開したのだ。



「アナタも液体を媒介にした魔術を使うんだから、コレくらいは気付けたんじゃない?」



 肉体の大部分を失い、眼前に死を控えた男に向かって彼女は言った。その声には、先程までの能天気さが戻っている。



「……して、やられたという訳か……」



 答える男の口元から赤い飛沫が飛び散った。虚ろな目は、ただ夜空だけを見ている。


 先程の光に巻き込まれたのか……あるいは、死につつある肉体が、ソレをこちらに維持する事が出来なくなったのか……恐らくは後者であろう、黒い使い魔はいつの間にかその姿を消していた。


 完全な敗北である。意識は薄れ、指先ですら言う事を聞かない。視界は霞み、音が遠くなっていく。


―――あぁ、死が……迫っている。


 それでもなお……男は、その内に宿る憎悪の猛りを感じていた。


 これしきの事で、諦める訳にはいかぬ。


 肉体が、動かぬと言うのなら……。



「だが……貴様の命は貰っていくぞ―――!」



 最後の言葉。


 ソレを限りに、男の身体は完全に死滅した。


 彼の死が引き金となって、最後の魔術が起動する。


 停止した彼の肉体から染み出すように、黒い霧が飛び出した。



「な……」



 完全に油断し切っていた彼女にとって、ソレはまさに奇襲である。


 黒い靄……魔術師、ロード=ヴァレンディア・アトラクトの魂そのものは、人の形を形成すると、彼女の白く細い首にその手をかけた。



「「死ね……」」



 意思そのものが、蛍の脳裏に響いた。二つの腕を通して、黒い、憎悪の感情が彼女に流れ込んでくる。



「ぐ……ぅ」



 頚骨が、悲鳴を上げた。このままでは窒息するより早く、首の骨が砕けてしまう。


 ジタバタと暴れるが、その腕が離れる事はない。最早此処までかと半ば諦めた彼女は、その変化に気がついた。



 力が―――戻ってる?



 そうか……今、私を殺そうとしているコイツは。


 呪いをかけた本人の魂魄に触れる事……魔力拡散を解呪する為の条件である。死の淵に際してようやく、彼女にかけられていた呪いが消え去ったのだ。


 バキンと、頭と胴体を繋ぐ重要な器官が破壊される。


 その一瞬前、彼女の身体は文字通り『光になった』。



「「!!」」



 魂魄と化した男は、その奇跡をただ見ている事しか出来なかった。


 彼女は、男の死体の傍に居た。



「はは……出来ちゃった」



 自分でも驚いた様子で、蛍はそう言った。



「「誇るがいい。ソレはもはや、異界の法だ」」



 男はふっと笑って、まるで祝う様に呟いた。どこか嬉しそうな、しかし妬む様な複雑な表情を……彼に肉体があったのならば見せたのだろう。


 だが、今の彼にはそんな器は存在しない。肉体は既に、死んでしまったのだから。



「「そして天樹よ、礼を言おう。肉体を別のモノに変える魔術……いや、奇跡か? ともかく、ソレが私に、最後の方法を気付かせてくれた」」



「「あぁ、私も間が抜けている。器など―――この心臓で事足りるではないか!」」



 呪う様に、あるいは謳う様に……男は高らかに宣言すると、古い神を召喚する為の儀式を始める。


 蛍はソレを止めようと彼の肉体を攻撃するも例の障壁は健在で、術式は全てかき消された。



「「無駄だ! その障壁はこの魂が朽ちぬ限り消えはせん!」」



 儀式の全工程を終え、男の心臓は神を降ろす媒介へと変貌した。同時に、その魂が足元から雲散していく。



「「神を呼ぶ供物、恨みを抱きし魂……その最後の一つ。貴様よりも誰よりも、私のモノが相応しい! 極上の恨みだ、残さず持っていけ!」」



 ソレを最後に、魔術師であったモノの一切が、セカイから消滅した。


 今夜二つ目の奇跡、神の召喚と引き換えに……。


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