別れ。そして。
彼との別れの日は、あっという間にやってきた。
その日までの一ヶ月、僕は落ち着かない日々を過ごした。彼との別れのことを考えると、何も手につかなくなる。
彼もそんな僕の様子を感じていたのか、僕に気を使っているみたいで、わがままを言う回数も少なくなった。そんなぎこちない感じが余計に悲しくて、僕はわざと明るく振舞ったりした。
その日、僕は塾のテストの日だった。本当は塾なんて休みたかったけど、そういうわけにも行かなくて、僕は塾が終わったあと、自転車を全速力で飛ばして家に帰ってきた。
「はあ、はあ……ただいま!」
彼がまだいるかどうか心配で、僕は息も整わないままに部屋に駆け込んだ。
彼は、窓際の出窓になっている部分にちょこんと座り、一月前と同じように月を見上げていた。僕に気がつくと彼は、ゆっくりと振り返って少し淋しそうな笑顔で「お帰り」と言った。
「……まだ、いてくれたんだね」
「ああ。しかしもうすぐ行かねばならない」
彼は目を伏せて、静かに言った。
「やっぱり、行っちゃうんだ……」
僕が消え入りそうな声で言うと、彼は優しく微笑んで僕に手招きをした。僕は招かれるままに、彼のいる出窓に近づいていった。僕がそばに寄ると、彼はその短い腕――というか前肢を、僕の方に精一杯伸ばしながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「その、頭を……頭をこちらに」
「?」
なんだかよくわからないまま、僕は彼の方に頭を差し出した。彼はそのふかふかとした短い前肢で、僕の頭をぽんぽんと叩いた。どうやら僕の頭を撫でているつもりらしい。
彼のサイズでは出窓に乗っても僕の頭には届かなくて、それでさっきから必死で飛び跳ねていたんだ。そんな彼の様子が可笑しくて、僕は思わず吹き出してしまった。
「笑顔になったな。……よかった」
彼が、優しく言った。
僕は、その言葉にはっとして彼を見つめ――できる限りの笑顔でうなずいた。これ以上彼を心配させちゃいけない。僕は精一杯の笑顔を作った。
そんな僕に対して、彼は全てわかっている、という風にその可愛らしい顔に微笑を浮かべてみせた。
「では、私はもう行くよ。世話になったな」
彼が明るい調子の声で言った。だけど、彼が無理して明るく振舞っていることが、僕にはわかった。
「うん。さよなら」
だから僕も、努めて明るくうなずいた。
「ああ、さよなら」
彼はもう一度微笑むと、短い前肢で器用に窓を開けた。
最後に振り向いた彼の瞳が、「またな」と、僕に言った気がした。
そして彼は、青白い満月を見上げて――。
跳んだ。
窓から勢いよく。
静かに地上を照らす、蒼い満月に向かって。
僕は驚いて、窓から身を乗り出した。けれど、窓の外にはもう、彼の姿はどこにもなかった。
空を見上げると――それは僕の錯覚だったのかもしれないが――青白い満月の中で餅をついているウサギの影が、かすかに手を振っているように見えた。
そして今。
あれから3年経ち、僕は無事に大学生になっていた。運よく家から近くの大学に進学できたので、相変わらず同じ部屋に住んでいる。
僕は今日もあの日と同じように、夜遅くまで机に向かっていた。明日提出のレポート課題を仕上げなくちゃならないからだ。
そう言えば、今日は十五夜だ。あの日と同じ青白い満月が、窓から部屋の中へ、冴え冴えとした光を投げかけている。
僕は課題を片付けるべく、パソコンのキーボードを叩いていた。
――その時。
目の眩むような閃光と、重い爆発音。
やっぱりあの時と同じように、椅子から転げ落ちてしまった僕だったが――。
ドクン。――僕の胸は、かすかな期待に高鳴った。
ラストになります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。