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橙色のタイムカプセル

掲載日:2026/07/18



〇お題「植物」の短編です。




【出会いの頃】


 一年中、優しい潮風が頬を撫でるこの島で、僕は彼女と出会った。


 遠い親戚の女の子。


 都会の良くない空気に痛めてしまったその子は、空気の綺麗な僕の島にやってきたのだ。


 やってきた当初、小児喘息で小さな胸を苦しそうに上下させては、ひゅうひゅうと喉を鳴らしていた。


 最初は、ガラス細工のように儚げだったけれど、島の太陽を浴びるうちに、少しずつ、健康な笑顔を取り戻していったんだ


 島の子供たちが通う分校で、その子はあっという間に人気者なった。


 錆びた鉄棒、夕焼けに染まる波止場。


 想い出をを分かち合ったんだ。


 すっかり元気になって、女の子の小児ぜんそくが寛解かんかいした頃。


 そう、小学校の卒業とともに、その女の子は両親が待つ都会に帰ることになったんだ。。


「春から、都会の中学校なんだね」


 別れの日、卒業式の朝。


 僕たちは、近所のおじさんに分けてもらった蜜柑の苗木を校庭の片隅に植えたのだ。


 蜜柑の樹は、双子葉そうしば植物。


 だから、二人で植える。


 女の子はそう言った。


「これ、私がここにいた証ね」


 女の子は大人びた口調でそう言った。


 その苗木は、まだ細く頼りない1年生。


「美味しくなるのは5年経ってから。本当においしいのは10年以上って聞いたよ」


 この木が実をつける頃、僕たちは一体、どんな大人になっているのだろう。


 向こうに着いたら手紙を書くと、女の子は約束してくれた。





【我慢の頃】


 僕は中学生になった。


 中学校に行く前に、蜜柑の苗木を世話することが僕の日課になっていた。


 中学校の制服が大きくなくなった頃、苗木は僕の肩くらいまでになっていた。


 初めて真っ白な蜜柑の花が咲いたとき、僕は跳び上がって喜んだんだ。


 その、一番最初に実った蜜柑をあの娘に送りたかった。


 けれど、父さんに話すとまだ駄目だと厳しい声で止められた。


「まだ、木を大きくする時期なんだ。ここで実に栄養を持っていかれたら、せっかくの木が弱っちまう」


 何年も世話をしてようやく咲いた可憐なつぼみ。


 その花を、僕は一つ一つ摘んでいった。


 すべての花を落とすと、指先にはうっすらと甘い香りが染みついていた。


 ふいに、あの娘に彼女に会いたくなった。


 でも、まだ子どもの僕にはどうすればいいかもわからず、ただ堪えるしかなかったのだ。


 そうそう。


 月に一度の割合で届く彼女からの手紙は、僕にとってとても大事な宝物だった。


 都会に移り住んでも喘息の発作は出なくなったと、手紙の向こうのあの娘が伝えてきた。


、新しい友達もできて、元気になったから体で部活に励んでいると教えてくれた。


 僕はまだ、自分の未来の形さえ想像していなかった。


 ただ遠く離れた空の下で、いつか結ぶはずの果実を夢見ながら、この島でじっと根を張って過ごしていたのだ。





【初めての頃】


 僕は高校生になった。


 島には高校はなかったので、船で本土の高校に通うようになった。


 僕には蜜柑の木の世話があったので、部活に入らず島と本土を忙しく往復する毎日だった。


 そうして、高校生最後の年。


 待ち焦がれた時が訪れた。


 あの娘と苗木を植えてから、6年が過ぎた。


 すっかり逞しくなった幹。


 広がる枝には、小ぶりの橙色の実がいくつか灯ったのだ。


 待ちきれずにもいだ最初の一玉は、小ぶりのくせに皮がゴツゴツと硬く、味もどこか大味だった。


 けれど、僕の育てた最初の蜜柑は、今思い出してもどんな宝石よりも輝いていたのだ。


 収穫した蜜柑のうち、形の良いものを選んで段ボール箱に詰めた。


 あの娘に約束の実を送るためだ。


『本当に実がなったんだね。甘酸っぱくて、島のことを思い出したよ』


 お礼の手紙の、少し大人びた文字に、僕の胸が疼いた。


 それからは毎年、僕はあの娘に校庭の樹に実った蜜柑を送り続けた。


 あの娘からの返信が届くと、僕の心ははいつも弾んだ。


 僕がこの島で生きていく道標だった。


 けれど、手紙の頻度は少しずつ減っていく。


 そのうち、送った蜜柑のお礼状しか届かなくなってしまった。


 僕はあの娘が僕の知らない世界で忙しくしているのだな、くらいにしか捉えられていなかった。


 若かった。


 いや、莫迦だったのだ。




【旬の頃】


 想い出の植樹から15年が経った頃。


 蜜柑の樹は最盛期を迎えていた。


 コクのある最高の甘みをたたえた実を付けるようになったのだ。


 でも……


「俺たちの分校が、廃坑になる?」


 皮肉だった。


 これから最高に美味しい果実をつけるようになったあの蜜柑の樹。


 でも、来年の今頃には分校はないのだ。


 そして、校庭に勝手に植えて、育てている蜜柑の樹。


『最後の蜜柑かもしれない、一緒に食べないか』


 矢も楯もたまらず僕は彼女を誘う手紙を送った。


 彼女からは『@月@日に行く』と短い返事が届いた。


 約束の日。


 現れた彼女は、見違えるほど綺麗になっていた。


 そして、その隣には、穏やかに微笑む見知らぬ男性。


「紹介するね。先月、婚約したの」


 左手の薬指で光る銀色の輪を見た瞬間、僕の脳裏に15年分の蜜柑の世話をした想い出が走り抜けた。


 そして、激しい鼓動と……


 あの頃の、彼女のように、ひゅうひゅうと喉が鳴って……


 ああ……


 あの頃の君は、こんなに胸が辛かったのだね。


 こんなに胸が締め付けられて、痛い。苦しい。


 ――遅すぎた。


 ――何が?


 自分の気持ちに、名前を付けるのが、遅すぎたのだ。


 突然、胸を押さえてうずくまった僕を心配する彼女と、婚約者さん。


 いい人を見つけられて、良かったね……


 落ち着いた僕は、僕らの他に誰もいない分校の校庭の片隅で、最後になるかもしれないの蜜柑を存分に分かち合った。


「やっぱりこの蜜柑が美味しい。世界一だね」


 彼女は目を細めた。


 あの頃と同じ、素敵な笑顔。


「分校、なくなるんだね」


 良かった。


 思い出の場所がなくなって。


 だって、涙をこらえられなくなっても、言い訳しなくていいじゃないか……





【お別れの頃】


 やがて、若い二人を乗せた定期便は、白い航跡を残して島を去っていった。


 二人の蜜柑の樹がこれからどうなるのか。


 残っていたとしても、成るのはただの美味しい蜜柑になるのだ。


 僕たちの思い出が詰まった分校の校舎も、いつか取り壊されるのだろう。



名前を付けるのが、遅すぎたのだ。と書きたかっただけの話だったり。

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