王になる物語
会議室を出ると、廊下は先ほどよりも静かに感じられた。
だがそれは、人が少ないからではない。
視線が、意識的に抑えられているからだ。
すれ違う女性職員たちは、露骨に見つめることはしない。
だが、視界の端でこちらを捉え、すぐに逸らす。
その一連の動きが、あまりにも分かりやすい。
欲望を理性で押し込めている。
その緊張が、空気に混ざっている。
神代が先導する。
「こちらへ」
足音が廊下に響く。
自分の靴音がやけに鮮明だ。
ガラス張りのエレベーターに乗り込む。
扉が閉まる瞬間、外にいた女性職員と目が合った。
ほんの一瞬。
だが、その瞳には明確な色があった。
渇望。
エレベーターが下降する。
鏡張りの壁に、自分の姿が映る。
スーツ姿の神代と並ぶと、改めて実感する。
自分の顔が、浮いている。
整いすぎている。
光を拾い、影を強調し、視線を奪う。
前の世界で鏡を見るのは苦痛だった。
欠点ばかりが目についた。
今は違う。
欠点が見当たらない。
それどころか、計算されたような均整。
これは俺なのか。
それとも、別の存在なのか。
エレベーターが一階に到着する。
扉が開くと、外気が流れ込む。
庁舎のエントランスは広く、天井が高い。
大理石の床に、自然光が反射している。
警備員が敬礼する。
敬礼。
俺に。
違和感が胸を掠めるが、すぐに飲み込む。
黒塗りの車が再び待機している。
ドアが開かれ、乗り込む。
車内は静かで、革張りのシートが身体を包む。
ドアが閉まり、外界と切り離される。
エンジン音が低く唸り、車が滑るように発進する。
窓の外、街の景色が流れていく。
交差点。ビル。カフェのテラス席。
そこにいる女性たちの視線が、車を追う。
いや。
俺を追う。
神代が前を向いたまま言う。
「本日中に、顔の一部公開が予定されています」
「一部?」
「完全公開は段階的に行います。社会的影響が大きいため」
社会的影響。
自分の顔が、影響を持つ。
前の世界で俺の顔は、笑いのネタになった。
今は、ニュースのネタ。
スマホが震える。
通知が止まらない。
【速報:SSS+男性、特区大学入学へ】
【生配信で詳細発表予定】
画面を開くと、自分のシルエットがサムネイルに表示されている。
コメント欄が高速で流れる。
《顔まだ?》
《選ばれたい》
《どんな人なんだろう》
《お願いだから私を見て》
お願いだから私を見て。
その一文が、妙に刺さる。
前の世界では、俺が願っていた。
見てほしい、と。
認めてほしい、と。
今は逆だ。
見てほしいと、願われる側。
喉の奥で、小さく笑いが漏れる。
神代が横目でこちらを見る。
「楽しそうですね」
その声は平坦だが、微妙なニュアンスがある。
「悪いか?」
「いえ。ただ、感情の振れ幅が大きいと判断しました」
分析。
管理対象としての観察。
だが俺は気にしない。
窓の外に目を戻す。
遠くに見えてきたのは、高いフェンスに囲まれた広大な敷地。
男神特区大学。
門の上には重厚な校章が掲げられている。
敷地内には芝生と並木道。
近代的な校舎群。
だが、その外周には明らかに強化された警備体制。
ゲートがゆっくりと開く。
車が中へ滑り込む。
敷地内に入った瞬間、空気が変わる。
外の喧騒とは違う、濃い緊張感。
遠くの校舎の窓から、複数の視線がこちらを向いているのが分かる。
噂はもう広がっているのだろう。
SSS+。
歴代最高。
希少男性。
車が停車する。
ドアが開く。
外に足を踏み出す。
その瞬間。
空気が震えた。
数十メートル先、校舎の影にいた女子学生たちが、一斉に息を呑む。
距離はある。
だが分かる。
視線が刺さる。
期待と、焦燥と、競争心。
胸の奥が熱を帯びる。
ここが舞台か。
ここで、選ぶ。
価値を与える。
揺らす。
神代が隣に立つ。
「ここが、あなたの新しい生活の場です」
新しい生活。
違う。
逆転した世界の中心。
俺は校舎を見上げる。
ガラス窓に、自分の姿が小さく映っている。
整った輪郭。揺るがない視線。
前の世界で、俺は否定された。
この世界では、保証されている。
ならば。
徹底的に利用する。
守られるだけでは終わらない。
選ぶ。
与える。
支配する。
ゆっくりと一歩、前へ進む。
靴音が、静かなキャンパスに響く。
この瞬間から。
俺の“王になる物語”が、始まる。




