傷ついているのは…誰だ?
翌日、透子は中庭のベンチに座っていた。
以前と同じ場所。
だが、姿勢が違う。
背筋は伸びていない。
肩がわずかに内側に入っている。
視線は、どこにも焦点を結んでいない。
俺が近づくと、ゆっくり顔を上げる。
笑おうとする。
だが口元がうまく上がらない。
「来てくれたんですね」
声が、かすれている。
「倒れたって聞いた」
短く言う。
透子は小さく頷く。
「ちょっと、息ができなくなって」
軽く言う。
だが、その指先は膝の上でぎゅっと握られている。
「俺のせいか」
口に出した瞬間、胸の奥が重くなる。
透子はすぐに首を振る。
「違います。私が勝手に期待しすぎただけで」
期待。
その言葉が、はっきり刺さる。
俺は何も約束していない。
特別とも言っていない。
だが、透子は“特別”を感じた。
俺の言葉で。
俺の沈黙で。
「順番だって分かってるんです」
透子は続ける。
「でも、分かってるのに、苦しくなるんです」
胸を押さえる。
「返信が来ないと、嫌われたのかなって」
その一言で、あの夜の光景が蘇る。
既読をつけて、スマホを伏せた自分。
画面の向こうで揺れる彼女を想像して、わずかに笑った自分。
胸の奥に、明確な痛みが走る。
これは優越ではない。
快感でもない。
ただの、不快。
「俺は」
言葉が続かない。
透子は俺を見上げる。
その目は、責めていない。
責めていないからこそ、重い。
「好きなんです」
小さく言う。
空気が止まる。
「王様じゃなくて、天宮くんが」
その言葉に、初めて動揺する。
王として見られることに慣れていた。
だが“個人”として呼ばれると、足場が揺れる。
好き。
それは契約でも、順位でも、制度でもない。
感情だ。
俺は答えられない。
答えを持っていない。
透子はそれを見て、微笑む。
「困らせちゃいますよね」
その笑顔は、少しだけ吹っ切れている。
「でも、これ以上は傷つきたくないから」
傷つきたくないから。
その言葉に、胸の奥が冷える。
傷つけたのは、俺か。
それとも、この構造か。
透子は立ち上がる。
「少し、距離を置きます」
宣言ではない。
静かな決断。
「それでも、嫌いにはなれませんけど」
小さく笑う。
その背中が、以前よりも遠く感じる。
引き止める言葉が浮かばない。
いや、浮かぶ。
だが、それはまた彼女を揺らす言葉だ。
俺は立ち尽くす。
中庭の噴水の音が、やけに大きい。
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その日の夜。
廊下で由愛に会う。
壁にもたれ、腕を組み、こちらを見ている。
「会ってきた?」
短い問い。
「関係ないだろ」
「あるよ」
由愛はまっすぐ見る。
その目は、相変わらず揺れない。
「傷ついてた?」
何も答えない。
由愛は小さく息を吐く。
「あなたさ」
一歩近づく。
「人を好きになるんじゃなくて、“好きにさせる”のが好きなんでしょ」
言葉が、正確すぎる。
胸の奥を、まっすぐ刺す。
「違う」
即答する。
だが声が、わずかに揺れる。
心臓が強く打つ。
「選ぶ側でいたい」
廊下の空気が冷える。
「だから傷つける。支配する。安心させない」
言い逃れできない。
構造としては、正しい。
「それ、復讐だよ」
復讐。
その単語が、はっきり響く。
俺は壁に手をつく。
呼吸が浅くなる。
復讐。
誰に。
あの教室の笑い声にか。
鏡の前で縮こまっていた自分にか。
それとも――
「でもね」
由愛の声は静かだ。
「復讐って、終わらないんだよ」
その一言が、胸の空洞に落ちる。
終わらない。
王でいる限り。
揺らし続ける限り。
満たされない。
由愛は踵を返す。
「傷ついてるのは、透子だけじゃないよ」
足音が遠ざかる。
廊下に一人残る。
胸の奥に、はっきりとひびが入っている。
初めて、逃げ場のない痛みを感じる。
十人に囲まれているのに。
なぜか、誰よりも孤独だ。
王の座は、高い。
だがその高さが、足場を薄くする。
俺はゆっくりと目を閉じる。
陶酔は、もう甘くない。
空洞が、形を持ち始めていた。




