泣き顔の価値
透子の変化は、分かりやすかった。
笑顔の持続時間が短くなった。
メッセージの語尾が弱くなった。
俺の予定を過剰に確認するようになった。
「今日は、誰の日ですか」
講義後の廊下で、彼女は小さな声で聞く。
責めるような言い方ではない。
確認。
安心材料が欲しいだけだ。
「明日はひよりだ」
そう答える。
透子の喉が、小さく上下する。
「そうなんですね」
それだけ言って、笑う。
だが目が笑っていない。
分かる。
それでも俺は、わざと付け足す。
「その次は麗華だ」
順番を、丁寧に告げる。
透子の肩がわずかに落ちる。
三日後。
遠い。
その距離が、不安を膨らませる。
胸の奥に、甘い熱が広がる。
自分が彼女を揺らしている。
その事実が、はっきりと分かる。
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夜。
透子から通話の着信。
スマホが震える。
画面には彼女の名前。
しばらく見つめる。
三コール。
四コール。
五コール。
切れる。
数秒後、メッセージ。
《ごめんなさい。やっぱり大丈夫です》
大丈夫ではない。
それは分かっている。
俺は返信を打ちかけて、やめる。
既読をつける。
それだけ。
画面の向こうで、彼女は今、どんな顔をしているのか。
想像できる。
唇を噛み、涙をこらえ、自分を責めている。
「重いって思われたかな」
「面倒くさいかな」
そう考えているはずだ。
前の世界で、俺がそうだったように。
なのに。
止めない。
止められない。
胸の奥に広がる感覚は、明確だ。
優越。
そして――快感。
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一方で、ひよりは別の炎を育てていた。
深夜配信。
目元はわずかに赤い。
だが笑顔を崩さない。
「さ、今日はちょっと愚痴ろっかな」
コメント欄が加速する。
《王様のこと?》
《言っちゃえ》
ひよりは肩をすくめる。
「王様ってさ、返信遅いんだよね」
軽い口調。
冗談のように。
だがコメントは一気に荒れる。
《最低》
《透子も同じこと言ってた》
《調子乗ってない?》
ひよりは慌てて否定する。
「違う違う、悪口じゃないよ」
だが、火はついた。
翌朝。
学外SNSでトレンド入りする。
【SSS+既読スルー問題】
メディアも食いつく。
“王の冷酷采配”という見出しまで出る。
俺はそれを、寮室で静かに眺める。
怒りはない。
焦りもない。
ただ、分析する。
炎上は拡散だ。
拡散は注目だ。
注目は、価値を上げる。
理屈として、間違っていない。
だが。
透子からのメッセージは来ない。
ひよりも、今日は静かだ。
麗華からだけ、連絡が入る。
《対策会議。今すぐ》
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生徒会室。
麗華の机の上には、ニュース記事が並んでいる。
「あなたの対応が雑です」
珍しく、声が低い。
「雑?」
「彼女たちの感情を軽視しすぎています」
麗華は俺を見つめる。
その視線は怒りではない。
焦燥だ。
「あなたは感情を揺らす側でいられる。でも、感情を揺らされる側は壊れる」
その言葉が、わずかに刺さる。
壊れる。
透子の赤い目が浮かぶ。
ひよりの笑顔の裏側が浮かぶ。
俺は椅子にもたれかかる。
「壊れるなら、それまでだろ」
自分でも驚くほど、冷たい声だった。
麗華の瞳が、はっきりと揺れる。
「あなた、変わりましたね」
変わった。
そうかもしれない。
いや、元に戻っただけかもしれない。
前の世界で否定された俺は、弱かった。
今は違う。
強い側だ。
揺らす側だ。
その立場を、手放す理由がない。
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夜。
部屋は静かだ。
スマホは、今日はあまり鳴らない。
透子からも、ひよりからも。
既読の数が減る。
それでも。
胸の奥に、奇妙な空洞が広がる。
揺らしているはずなのに。
支配しているはずなのに。
なぜか、満たされない。
俺は天井を見る。
十人と関わり、十人に求められ、十人を揺らしている。
なのに。
誰一人、ここにはいない。
ベッドの端に座り、スマホを握る。
透子の名前を開く。
《大丈夫か》
短い一文。
送るか、迷う。
迷う自分に、わずかな違和感を覚える。
送らなければ、彼女はもっと揺れる。
送れば、安心する。
俺はどちらを選ぶ。
しばらく見つめた後、画面を閉じる。
送らない。
揺れたほうが、依存は深まる。
そう計算する。
だが、計算した瞬間。
胸の奥が、ほんの少しだけ冷たくなる。
それを無視する。
王は、迷わない。
そう自分に言い聞かせながら、俺はベッドに倒れ込んだ。
だが暗闇の中で、由愛の声だけが、やけに鮮明に響いていた。
「あなた、誰も好きじゃないよね」
その言葉を振り払うように、目を閉じる。
炎は広がっている。
だが中心にいる俺だけが、なぜか静まり返っていた。




