エピローグ――静かなひび
寮室の照明は、柔らかい電球色だった。
撮影の強いライトに晒され続けた目には、やけに暗く感じる。
ネクタイを外す。
ジャケットを椅子にかける。
鏡の前に立つ。
整った顔が、そこにある。
光の下で磨かれた輪郭。
均整の取れた目鼻立ち。
計算されたような“価値”。
指先で頬に触れる。
本当に俺か。
一瞬だけ、前の顔が重なる。
丸く、冴えない輪郭。
笑われた日の、あの顔。
「鏡見たことある?」
あの言葉は、まだ消えていない。
消えたと思っていた。
王子と呼ばれ、ランキング1位になり、CMに出て、契約を結び──
全部上書きされたはずだった。
なのに。
静かな部屋で一人になると、上書きは薄くなる。
スマホを手に取る。
通知はまだ鳴っている。
《王子様》
《今日のビジュ最高》
《麗華様と並ぶと神》
画面をスクロールする。
賞賛。
羨望。
欲望。
全部、俺に向いている。
これが欲しかったはずだ。
選ばれない側から、選ぶ側へ。
価値がないと言われた男が、価値を与える側へ。
胸の奥に、じわりと熱が広がる。
気持ちいい。
認めざるを得ない。
透子の涙。
ひよりの焦り。
麗華の対抗心。
あの揺れを生み出しているのは俺だ。
俺が中心だ。
俺が、価値だ。
その事実が、麻薬のように効く。
だが。
ベッドに腰を下ろした瞬間、静けさが落ちてくる。
誰もいない。
フラッシュも歓声もない。
スマホの画面を消すと、部屋は一気に暗くなる。
心臓の音が聞こえる。
ドク、ドク、と規則正しい。
「王子様ごっこ」
由愛の言葉が、ふいに浮かぶ。
ごっこ。
あれは否定だったのか。
それとも見透かしだったのか。
楽しい。
それは間違いない。
だが──
嬉しい、か?
自分に問いかける。
嬉しい。
……はずだ。
なのに、胸の奥に小さな空洞がある。
満たされているはずの場所に、薄い穴が空いている。
理由は分からない。
ただ、確かにそこにある。
目を閉じる。
あの教室が蘇る。
笑い声。
スマホのレンズ。
顔を歪めて笑う女子。
「気持ち悪い男は存在が迷惑」
あの言葉が、今も奥に残っている。
俺は復讐しているのか?
それとも証明しているのか?
分からない。
ただ一つ分かるのは、
あの時の俺は、何者でもなかった。
今の俺は、中心だ。
だが──
“誰かに好かれている”のか。
それとも、“価値として欲しがられている”のか。
違いは、どこにある。
透子は俺を見て泣いた。
あれは俺を好きになったのか。
それとも、俺の言葉に救われた自分が好きになったのか。
麗華は契約を結んだ。
あれは俺を選んだのか。
それとも、最初の席を確保しただけか。
ひよりは笑っていた。
あれは俺を求めたのか。
それとも、再生数を求めただけか。
分からない。
分からないが、今は考えない。
考えたくない。
なぜなら──
考えれば、あの教室に戻る気がするから。
“誰にも本当に選ばれなかった俺”に。
ベッドに横になる。
天井がぼんやりと揺れる。
俺は、もう笑われない。
その事実だけで十分なはずだ。
それなのに。
なぜか胸の奥が、ほんの少しだけ冷たい。
その冷たさを認めないように、目を閉じる。
王子でいる間は、考えなくていい。
中心にいる限り、思い出さなくていい。
そう自分に言い聞かせながら、
俺は静かに、眠りに落ちていった。




