最初の契約
透子の涙は、波紋になった。
それは静かに、だが確実に広がっていった。
学内SNSでは、俺と透子のやり取りが切り取られ、拡大され、解釈され、勝手に物語にされている。
【白鳥透子が、最有力候補?】
【整い顔でも選ばれる時代】
【生徒会長どう出る?】
“どう出る?”
その問いの答えは、意外なほど早く訪れた。
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放課後。
生徒会室。
重厚な木製の扉を開けた瞬間、空気の質が変わる。
静かだ。
だが張り詰めている。
長い机。
壁一面の書棚。
整然と積まれた資料。
この部屋は、秩序そのものだった。
そしてその中心に、鷹宮麗華がいる。
椅子に深く腰掛け、背筋を伸ばし、指先を組んでいる。
目だけが、こちらを真っ直ぐに捉えている。
「来ましたか」
声は落ち着いている。
だがその奥に、硬さがある。
俺は扉を閉める。
「呼んだのはそっちだろ」
麗華は立ち上がる。
ゆっくりと机の端まで歩き、手を置く。
その仕草は優雅だが、わずかに力が入っている。
「透子の件、把握しています」
「問題あるか?」
「問題というより影響です」
彼女は窓の外を見る。
中庭では、数人の女子学生がこちらを見上げている。
ガラス越しに、視線が刺さる。
「あなたの言葉は、重い」
麗華は言う。
「あなたが“綺麗だ”と言えば、その人の評価は上がる。逆も然り」
正しい。
俺は否定しない。
「それが?」
麗華の目が細くなる。
「無秩序に価値を与えれば、争いが起きます」
彼女の立場は“秩序を守る側”。
男が希少なこの世界で、選択は政治だ。
「だから」
麗華は一歩、距離を詰める。
「最初は私が引き受けます」
空気が止まる。
それは告白の形をしているが、内容は支配だ。
「あなたは私のものになる」
断定。
疑問形ではない。
お願いでもない。
宣言。
その瞳には、強い決意がある。
だがその奥に、わずかな焦りが混じっている。
彼女は“選ばれない顔”で頂点に立ってきた。
努力と実績で、自分の価値を積み上げてきた。
だが今は違う。
選ばれる側に立っている。
その不安が、かすかに滲む。
俺は沈黙する。
わざと。
数秒が、長く感じる。
麗華の呼吸がわずかに乱れる。
「どうしました」
「条件がある」
静かに言う。
麗華の眉が、ほんのわずかに動く。
「聞きましょう」
「俺は縛られない」
はっきりと。
逃げ道を残さない言い方で。
「契約はする。でも、誰と話すか、誰に言葉を与えるかは俺が決める」
麗華の目が鋭くなる。
支配するつもりで来た彼女に、主導権を突き返した。
沈黙。
生徒会室の時計の針の音が、やけに大きい。
麗華の中で、計算が走っている。
プライド。
立場。
学園全体のバランス。
そして、俺という存在。
やがて、彼女の口元がわずかに上がる。
「いいでしょう」
承諾。
その瞬間、構造が確定する。
俺が選ぶ側であること。
麗華が“最初の公式”になること。
だが、独占ではない。
麗華は一歩、さらに近づく。
距離は半歩。
視線が絡む。
「ただし」
声が低くなる。
「私が隣に立つ以上、簡単に落ちると思わないで」
挑発ではない。
宣戦布告だ。
俺は小さく笑う。
「落ちるのはそっちかもしれない」
一瞬。
麗華の瞳が揺れる。
それをすぐに隠す。
だが、確かに揺れた。
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数日後。
公式発表の日。
講堂にはカメラが並び、フラッシュが光る。
学内配信も同時に行われている。
壇上に立つ。
隣に、麗華。
整いすぎた顔同士が並ぶ。
この世界の主流基準から外れた二人が、中心に立つ。
それがどれほど象徴的か、全員が理解している。
司会が告げる。
「本日、SSS+判定男性・天宮朔也様は、生徒会長・鷹宮麗華様と正式契約を締結しました」
拍手。
だがその音の中に、ざわめきが混ざる。
透子は、最前列で俯いている。
ひよりは、カメラ越しに微笑んでいる。
嫉妬。
焦燥。
対抗心。
全部が渦巻く。
麗華が俺を見る。
「これで秩序は保たれます」
小さく囁く。
俺は前を向いたまま答える。
「どうだろうな」
胸の奥が、熱い。
守られる存在から、選ぶ存在へ。
選ぶ存在から、制度を動かす存在へ。
フラッシュが瞬く。
その光の中で、確信が形になる。
俺は、もう笑われない。
笑う側だ。
価値を与える側だ。
そして今、正式に“中心”に立った。
優越は、陶酔へと変わる。
それが、はっきりと分かった。




