第5話「二度目の言葉が通じない世界」
「えっと、お邪魔だった?」
「いや、大丈夫。ちょうどいま、目を覚ましたところだ」
「そっか……」
決まり悪そうにこちらを見ては足をぶらぶらさせる。
海に投げ出され、溺れそうになっていた少女と一致すると、ミオは安心しきってベッドから身体を落とす。
『よかった。無事だったんだぁ』
「! ちょっと! まだ起き上がったらダメよ!」
女の子があわててミオに駆け寄り、ベッドから落ちたミオを抱き起こす。
「まだ安静にしていないと。……海に慣れてないだろうから」
唇を尖らせ、赤くなる頬を誤魔化そうとする少女に、ミオの胸が熱くなった。
ここに来てミオはやさしい感情ばかりを浴びている。
少女もミオを心配してくれていたようで、じわじわと喜ばしい気持ちが湧き出て涙腺が緩んだ。
今までミオを困った扱いにする人はいても、案じてくれた人はいない。
欲しくてたまらなかった温度とはこうもむずがゆいものと知り、口角がゆるんだ。
少女に手を引かれて立ち上がると、身長差を目の当たりにする。
身長160センチのミオに対し、少女の後頭部が見下ろせる。
厚底の編み上げブーツで身長をかさ増ししているようなので、実際はもっと低いだろう。
大きめのシフォンブラウスにショート丈のズボンをあわせていることから、外は比較的あたたかいと想定された。
「ねぇ、カイ。この子、言葉が通じないのよね?」
「あぁ。名前はミオ。今のところそれくらいしかわからない」
「ふーん」
頭のてっぺんからつま先まで観察される。猫のような吊り目は、少女の愛らしさを際立たせている。
まさに“美少女”といった外見にミオはキュンキュンと胸を高鳴らせた。
(同性と会話? している。こんなかわいい子とおしゃべりできるなんて……!)
なにせミオは嫌われ者だった。
誰もがミオを嫌悪し、ヒソヒソとあることないことを語らって楽しんでくる。
友だちが欲しいと思っても、ミオには近づくことさえ困難だった。
なぜ、こうも嫌われるのだろう?
考えても疑問は解決しなかった。
嫌われる原因の一つとして、人と隔たりを生んでしまうマリーゴールドの髪を忌まわしく思うしか出来なかった。
「あたし、ジュリア。助けてくれてありがとう。ミオ」
あどけなさの残る顔立ちのわりに、明瞭な話し方だ。
言葉がわからないミオにも聞き取りやすく、口元の動きを見て反芻しようとした。
「ジュ……?」
「ジュ・リ・ア」
「ジュリア。ジュリア!」
言語はわからないが、幸いにも音は聞き取れる。
ジュリアと音を拾って、ミオは前のめりに名を呼んだ。
伝わる喜びよりも、名前を呼べる幸せがミオに活力を与えた。
「ず、ずいぶんと子どもっぽい子なのね?」
あまりに喜びをあらわにするミオに、ジュリアは驚いてカイに会話を振る。
「ジュリアは見た目が詐欺だから」
「はぁ!? あたしは立派な大人ですぅ!」
カイとジュリアが口論をはじめたが、やはり会話は聞き取れない。
音は聞き取れるので、がんばれば言葉も理解できるようになるかもしれない。
――言葉がわからないのは二度目だ。
もう子どもではないから、努力次第だということも知っている。
それよりも恐ろしいのは、このままミオがいて許されるかどうか――。
「ところでこの子、どうするの?」
「ミオは新しい仲間だ。仲良くしてくれよ?」
「それはまぁ……」
ジュリアがミオの顔をのぞきこみ、しかめ面に思い悩む仕草を見せた。
嫌われたかもしれない――。
その恐怖はミオの顔を青ざめさせる。
「ミオ? 疲れちゃった?」
ミオを悪く思っていないジュリアには、ミオの恐怖が疲労に映った。
額に手を触れさせて熱がないかを確かめた。
やさしい仕草に不安を覚えたミオはカイへ視線を向ける。
魅入られるほどに美しい珊瑚色の瞳に慈愛の色が加わって、ミオは初対面のハードルを乗り越えたと悟った。
(嫌われなかった……? いいの? 私、変じゃなかった?)
安心を得たとたん、ミオは脱力してベッドにあおむけに倒れ込んだ。
天井の木目を見て、目を閉じ、心が通い合った喜びに浸る。
……同時に奇妙な出来事が起こったことで、ミオは自身の気味悪さを否定したくてたまらなくなった。
(帰らないと……)
普通は、見知らぬ場所に流されれば“帰りたい”と思うもの。
たとえ待っていてくれる“お父さん”や“お母さん”がいなくても、ミオが生きてきた場所に帰るのは至極当然なこと。
ミオを嫌悪する人しかいなくても。
そこがミオの故郷なのだから。
(大丈夫。二度目だし、もう子どもじゃないから。大丈夫、大丈夫……)
冷静になろうと深呼吸をする。
言葉がわからない世界は二度目。
経験があるだけマシかもしれない。
(まずは言葉を覚える。それからどうやって元の場所に――)
――その先の言葉は浮かんでもすぐにかき消した。
「また出会ってくれてありがとう」
『ひゃっ!?』
カイはベッドから降りると、ためらいなくミオに手を伸ばして頬を指で撫でる。
コミュニケーションに慣れていないミオには、この急接近が許容範囲内か外の区別が付かなかった。
おそらくカイはボディタッチが激しい方だ。
出会ってから距離が近いような気もする。
(こういうものなのよ、きっと! 慣れれば平気! 大丈夫!)
この世界では距離が近いものなのだろう。
海外の人たちが挨拶でキスをするようなもの。
結論、慣れるしかない。
言葉が通じなければ相手を困らせてしまう。
意思疎通のためにも、ミオはいち早く言葉を覚えようと決心し、しばらくこの船で世話になった。




