第13話「今はこれで我慢する」
洞窟を進んだ先に光がこぼれている。
奥からはどこか懐かしい花の香りがした。
かつては耳鳴りでしかなかった音。
今は心地よく響く音。
光に足を踏み入れると、超音波のように音がミオから広がっていった。
『きれい……』
出口を抜けた先の光に目が慣れる。
透明度の高い泉に、それを囲む白い花。
木漏れ日と、金色の砂が見えるほど透き通る水。
さらさらとした流水音と、枝を移動する小鳥たちの鳴き声が耳に馴染んだ。
湖の向こう側には小さなアーチがあり、海に続く道となっているようだった。
「ここ、ミオと出会った場所なんだ」
「えっ?」
カイの呟きはわからないはずなのに、穏やかな眼差しがミオを震わせた。
船で目を覚ます前のことはわからない。
カイとは初対面ではないだろう。
それはカイの甘ったるい態度でわかりやすい答えだった。
砂浜で一人、言葉の通じぬ世界。
それよりも前に何を見ていたのだろう?
思い出そうとして、青色の稲妻が脳に走った。
冷静になろうと泉まで駆け、つま先を水に浸そうと前に出した。
「きゃっ!?」
泉に足を踏み入れると足が砂に引っ張られる。
「ミオ!!」
水しぶきが空に飛散し、やがて重力に逆らえずに落ちていく。
雨のように水が頭部に降り注ぎ、下半身はすっかり水に浸かっていた。
カイにギリギリのところを救われ、恥ずかしさに濡れた前髪を耳にかけて目を反らす。
「ごめんっ! あ、ありが……」
自ら招き寄せた至近距離は、唇が触れそうなほどに距離が近い。
息が重なってしまいそうだ。
「ミオ」
甘い声に呼ばれると、身が強張ってしまう。
目は反らせても、腰に回された腕のせいで身体の向きは変えられない。
(ど、どうしよう……!)
頬が紅潮し、パニックを起こしそうなのをなんとか耐え忍ごうとする。
目をぎゅっと閉じて視界を閉ざすと、今度は毛穴という毛穴から汗が吹き出てきた。
ドクン、ドクン、ドクン……。
心臓の音を頭の中で追いかけるくらいにめまいがした。
「…………」
チュッ……。
そうして身を強張らせていると、頭上でリップ音が鳴った。
途端に喉の奥が焼けて、心臓はきゅっと締めつけられた。
おそるおそる目を開くと、珊瑚色の瞳が悪ガキの顔をしており、再び迫ってくる。
「今はこれで我慢する」
(あ、あ……ああああぁぁぁああああっ!!!)
燃えるように顔が赤く染まる。
次に触れたのは日焼け止めを塗りたくった頬。
甘さに火傷して、焼け焦げて、となってミオは足元から崩れた。
(これってあれよね!? 冗談がすぎるわ! キ、キス……って、その……す、す……!)
人の好意に不慣れでも、カイからにじみ出る愛情には気づいてしまう。
周りから嫌悪されていたミオには、なぜ好意を向けてくるのか理解できない。
大切にされるのは裏があるのでは?
何事にも理由を求めてしまう。
「生きててくれてよかった」
穏やかに、カイは呟く。
それをミオは聞き取れない。
「付き合ってくれてありがとう。……船へ戻ろうか」
手を差し出され、ミオはおずおずと赤面したまま手を重ねた。
一歩一歩が重くて離れがたい気持ちになる。
柔らかな物腰に胸の奥が甘くうずいた。
(私、まだ帰りたいと思ってる?)
欲求を口にできるほど自信はない。
気持ちを押し殺すことに慣れてしまったから――。
船へ戻るとエルダが砂浜で焚火を起こしていた。
カイとミオが戻ってきたことに気づくと立ち上がり、大きく手を振って迎えてくれた。
「おかえり~」
「エルダ!」
ミオはエルダと目が合うとすぐに走りだし、甘えるように抱きついた。
バニラに似た香りはミオの乱れた心を癒してくれる。
「ミオちゃんは甘えん坊なのねぇ」
元の世界でミオに友達と呼べる人はいなかった。
強いて言えば同じ児童施設の子たちの面倒をよくみていたが、じきに廃園となるので順次に別れていき、ミオだけが残った。
引き取り先がなかったためだ。
その背景から、ミオは女友達という存在に強い憧れを抱いていた。
そんな念願の友人に、ミオは罪悪感を抱く。
それさえもおこがましく、恥でしかない。
「じゃあ、また明日戻る」
「うん」
カイがひらひら手を振り、背を向けて元来た道を歩きだす。
「――どこ行く?」
とっさにミオはエルダから離れ、カイを引き止めてしまった。
気まずいくせに、抑制力より先に言葉が出てしまう。
引き止めたくせに、その先は何も言えなくて視線は落ちてしまった。
もう夜遅いよ?
島の内部に入るのは危ないよ……。
心配は言葉に出来ない。
振り返ったカイは瞳をいつもより赤くして感傷的に微笑んだ。
まるで泣くに泣けない子どものようだと思ったのも束の間……――チュッと、二度目の頬にキスを受けてしまった。
『ひぃあああああああっ!?』
ミオは後ずさり、触れた頬を押さえて悲鳴をあげる。
ケラケラと腹を抱えて笑うカイに、ミオは機嫌を損ねてシャーシャー猫と化した。
「バカ! 変態!」
(前言撤回! カイは特別だけど、特別ヘンタイだ!)
「ははっ! そんな言葉まで覚えたんだ」
ミオの成長にカイは喜ばしいと笑ったあと、結局は手を振って去ってしまった。
日が沈みだそうと海へ傾くなか、長く伸びた影を見つめる。
(イタズラが過ぎる……。どうしてカイは見ず知らずの私なんかを……)
「ミオちゃんはカイのこと、好き?」
ハッと顔をあげ振り返ると、物思いに沈んだ微笑みを浮かべるエルダがいた。
エルダの恋心を理解し、ミオは自分に問いかける。
どうしたい、と――。
「カイ。助けてくれた人」
ミオはにっこりと笑うことを選ぶ。友人を傷つけたくない。
愛情不信は治らない。
「……そっか」
エルダは目をそらし、焚火の前に座りこむと空を見上げる。
あとからラウロたちがやってきて、釣れたての魚とキヤルマで購入した調味料で料理し、ちょっとしたバーベキューもどきを楽しんだ。
時折、リーン、リーンと涼やかな音がする。
ミオは音に気づかないふりをした。




