第8話 ゲヘペロー
そんなおれに希望の光が差したのは、もう何回繰り返したか数えるのをやめて、しばらく経った時だった。
「あっ、俺思いついちゃったかも」
何回聞いたかわからない、塾長のこのセリフ。もはやおれはなんの期待もしていなかった。
「どうせつまらないんでしょうけど、言ってみてくださいよ」
神崎先輩が塾長を促す。これも何回聞いたかわからない。これまでのところ、ただの一回もこの先輩の毒舌お眼鏡にかなったことはない。
「じゃ、じゃあ言うぞ」
緊張気味の塾長が少し間をあけて披露した。
「『ママに教わらなかったのか、人にパンツの色を聞くときは、まず自分からだろ!』 これでどうだ!」
えっ、これはどうなんすか? 塾長の百回に一回がついにきたのか??
「か、神崎、どうだ? これは正解か?」
緊張した面持ちで塾長は神崎先輩に確認する。いつも通りどっちが先生なんすか。でも、神崎先輩の評価はおれも気になる。
「塾長にしてはまあまあなんじゃないですか」
ものすごく不服そうに神崎先輩が答える。
「もともとの『人に名前を聞くときはまず自分から』という、誰もが知ってるマナーを取り入れたのは良いと思いますよ。よく知られているギャグをもじるのは僕は好きではないですが、よく知られている格言などをいじるのはありですね。無礼な質問に対して見事にカウンターになってますし。相手はよっぽどのお笑い上級者以外は返答に困るでしょうね。で、『谷藤やるじゃん』ってなるんじゃないですか。でも、あくまでも面白くはないですからね、面白くは」
やった! ついに、ついに、毒舌メガネ先輩が合格点を出した!
「なんだよ神崎、素直じゃないな。これは大爆笑だろ。とりあえず正解ってことでいいんだよな?」
神崎先輩の答えが及第点だったのを聞いて、安心した塾長が調子に乗って聞く。
「まあ数ある正解の一つとしていいんじゃないですか。ただし、『ママに教わらなかったのか』は余計だと思いますよ。かっこつけすぎてる気がしますし、親とか他の家族をいじるのは致命的に笑えない場合がありますしね」
やっぱり不満気に神崎先輩が答える。でもついに本当に正解だ!
「ゲヘヘー、俺様だったら先にスカートめくって確認するけどな」
やっぱめくるんじゃないすか、あんたは!
「中島、それは犯罪だぞ!」
「刑法176条の強制猥褻の可能性がありますね。罪重いですよ」
「ゲヘペロー」
おれはいつもながらのやり取りを聞きながら、いつも通り眠くなってきた。塾長の百回に一回がやっと炸裂して、しかも、ついに、ついに神崎先輩のお墨付きだ。今度こそみんなの称賛を得ておれは地獄のループから生還できる。おれは今までで一番希望に満ちて、薄れゆく意識に身を任せていた……。コンッ。
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「おい、谷藤! 寝てんじゃねーよ!」
おれは今や耳にタコができるほど聞き慣れた声で目を覚ました。新幹線の車内、窓には富士山、目の前には今野、適塾からのタイムリープ後のいつもの世界が広がっていた。
「おはよう今野。君に起こされるのもこれで最後だと思うと、少し寂しささえ感じるよ」
おれはこのループ中最も心の余裕を持って答えた。
「テ、テメエ、何言ってやがるんだよ。寝ぼけてんじゃねーよ。それじゃ私がいつも起こしてやってるみてーじゃねーかよ。気持ちわりーな」
少し動揺した今野がいつも通り乱暴な口調で言う。しかし、今のおれはこの程度では全く動じない。
「で、何しに来たんですか?」
おれは上から目線で言い放った。
「何だよ。テメエ、陰キャのくせに余裕かましてんじゃねーよ。なんかムカつくな。ほんとマジ超ブルーなんだけど」
こっちが憂鬱なんだよ! 何度聞いてもほんと腹が立つ。でも、同時に、このいつもの流れに安心している自分もいた。
「テメエ谷藤、質問してやるから答えろよ! 今日のパンツ何色よ?」
よしきた! 今度こそは返しに間違いはない。なにせおれは真の正解を知っているんだ。「おれはこのために適塾に通っていた」まである。おれは余裕を持ってゆっくり立ち上がった。
「やるじゃん谷藤!」、「谷藤すげぇ!」、みんなに称賛される未来が脳裏をよぎる。おれの心の中では、苦労を繰り返した分だけ、未来がより明るく光って見えた。ありがとう神崎先輩、ついでに塾長も。おれは用意してきた心の中の真の正解をみんなにも聞こえるように高らかに読み上げた。
「ママに教わらなかったのか、人にパンツの色を聞くときは、まず自分からだろ」
おれは人生最高のドヤ顔でみんなからの賛辞を待った。
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