第7話 はいどうぞ!
今野は言葉通り、先ほどと同じパーテーションの裏で帰らずに自習をしていた。あんなことの後でよく平常心でいられるな。おれは驚嘆した。
その今野を見習っておれも少しなんか勉強しようかなと思ったら、神崎先輩が今度こそ小声で話しかけてきた。
「あのな谷藤、言い訳っぽく聞こえると思うけど、罰ゲームでパンツの色を聞くとか、人をバカにしてますよね。普段からもその陽キャグループは谷藤を見下しているようですし。谷藤がうまく返したからってその罪は消えません。『僕の可愛い後輩に対して許せない。ちょっと懲らしめてやろう』って気持ちがあったんですよ」
えっそうなんすか!? まさか自分の欲望のためではなく、おれのためだったなんて……。少しだけ嬉しい。でもこっちが土下座して懲らしめるとか、神崎先輩の頭の中はどうなっちゃってるんすか!
「ゲヘッ! お前もか神崎! 俺様だってそうさ。だからわざと聞こえるように言ったんだぜ」
中嶋先輩にしては小声で言うが、これは今野にも聞こえちゃってるのでは……。しかもいつも声がでかい中島先輩がこう言ってもかなり嘘くさい。本当なら少し嬉しいけど……。
「キィーッ! 俺だってもちろんそうだ」
そばで聞いていた塾長が言う。いや、あんたは止めろよ!
「でも、思っていたよりもずっと良い子っぽいですね。こんな目にあっても許してくれているみたいですし。僕は少し、いや、かなり後悔しています」
神崎先輩が珍しく本当に反省しているようだ。
「ゲヘッ、俺様もだぜ」
中嶋先輩も珍しくしおらしい。
「キィーッ! 俺だってもちろんそうだ」
いや、あんたは……、あっ、これはいいのか。
しかし、このおっさんはなんにでも乗っからないと気が済まないんだな。前から思っていたが、今回の件で再認識した。
そうか! だから時代劇風にして乗っからせたのか。殿になった状態で真面目に怒れる人はそうそういないだろう。さすが過ぎるっす神崎先輩!
そのあとは本当に珍しくみんな真面目に自習をしていた。
………………
「では、夕飯の支度があるのでそろそろ帰ります」
30分くらい経って、今野が言った。夕食も今野が用意してるんだな。そもそも父親と一緒じゃなく今野だけで塾の説明を聞きに来てるし、もう立派な大人だ。おれと同じ学年とは思えない。えらいよな。
「ご見学ありがとうございました。もし入塾する気がありましたらまたご連絡ください。あとこちら見学した人にプレゼントです」
こんなんで入塾するわけないと思ったが、もしかしたら……。これはおれにとっていいのか悪いのか??
「そうだ、谷藤! 帰る方向同じだろ。もう外真っ暗だから家まで送っていってあげなさい」
塾長が突然、思いもよらないことを言う。 そんなの聞いてないよー!
「何言ってんすか塾長! 気でも触れたんすか」
おれは少し戸惑って返す。おれが相性最悪の今野と一緒に帰るなんてありえない。
「可愛いクラスメイトじゃないか、そんくらいしてあげなよ。それに最近この辺で、夜に、わけわからない下ネタを叫びながら歩き回る変質者が出るって市役所のホームページに情報載ってたし」
それを聞いた塾にいるみんなが一斉に中島先輩の方を見る。なぜか今野までも!
「やっぱりお前なのか。中島」
塾長が確信に満ちた顔で言う。
「99パーセントの確率で中島ですね」
「ゲヘェ、ひでえよみんな、とんだゲヘ衣だ!」
それ「ぬれぎぬ」ってことっすか?? でも、長年の付き合いの俺は当然としても、今日初めて会った今野にさえ変質者の可能性が高いと思われている。どんな時も誰の前でも自分を貫いている。ある意味かっこいいのかもしれない……。
「中島先輩が犯人で解決っすね。だから家まで送らなくても大丈夫っすよね」
「キィーッ! 1パーセントは他の人だからな!」
なぜか塾長がムキになる。
「それに中島を含めた変態グループ複数人での犯行の可能性もありますね。ここに中島がいるからと言って油断はできませんよ」
「ゲッヘー、どうしても俺様を犯人にしたいのかよ!」
おれが塾長の提案への返事を渋っていると、
「谷藤が乗り気じゃないなら仕方ないですね。では紳士代表のこの僕が送りましょう」
「ゲヘ、では変質者代表のこの俺様が!」
「エセ紳士と変質者に任せられるか! ではこの塾長自らお送りしましょう」
各自右手を挙げながら口々に言う。
また今野が戸惑っている。こいつら、さっきのことから学びゼロかよ! ここは本当に塾なのか!
困った顔で今野がこっちを見てくる。
ところが、今野の不幸はまだまだ続く。
「おっと、その役目、『この俺にとっとてくれっていっとたとにとっとてくれんかったっとっていっとーと(俺に取っといてくれって言っておいたのに、取っといてくれなかったのかって言ってるんだよ)』、この三階堂先輩を忘れてもらっちゃ困るぜ」
寝言で早口言葉を練習するという偉業を成し遂げたことで適塾内で伝説になっている、高校三年生の三階堂先輩、通称おっとっと先輩も挙手しながら続いてきた。
「鬼に変わってお送りよ! 私の右手の鬼が送りたいってうずいてやがるぜ! この星野星羅も参戦するわ!」
アニメ好きの中一女子まで鬼が憑いているという右手を上げながら参戦してきた。鬼に変わっちゃだめだろ!
それにしてもお前らさっきから微動だにしなかったくせに、急に元気だな! 先ほどの時代劇が始まった時もヘッドホンをして黙々と勉強を続けていた二人の参戦におれは動揺した。
「Ez Do Take You Home! (家に送るなんてちょろいぜ!) この適塾のプリンスことダンシングトビー先生を忘れちゃ困るぜ!」
さらにさっきの茶番の後に来た、元適塾生で今アルバイトで講師をしている大学二年生の飛澤先生も参戦してきた。この先生はダンスサークル所属でいつも踊りながら教えている。この塾こんな人ばっか……。
ますます困った顔で今野がこっちを見てくる。この状況で知っている人はおれ一人……。さすがにメンタルが強そうな今野も辛そうだ……。でもな……。
しかし、まだまだ今野に新たなる刺客が襲い掛かる。
「黙って聞いてりゃ素人が調子に乗りやがって。配達ならこっちがプロだぜ。このクロギツネジャパンのエース配達員こと御見送正一が家まで送り届けるぜ!」
たまたま教材をを配達しに来た宅配便の人まで参戦してきた。あんた誰だよ!
「おやおや、坊やたちが調子に乗っちゃって、可愛いわねぇ。え、私が誰かって? この塾の隣に住む、たまたま通りがかった妙齢のマダムよ。私も帰る方向が同じだから、参戦させていただくわ」
宅配便の人が開け放った玄関のドアの先から、妙齢のマダムまでもが突如参戦してきた。帰る方向同じって、隣に住んでるんだから三メートルぐらいだろ!
「「「「「 俺やる俺やる 」」」」」
カオスと化した適塾でみなが右手を挙げながら口々に言う。
ただでさえ困り切っていた今野の顔が人類史上もっとも困った人の顔になっていった。今日はいろんな表情の今野を見るな……。しかし、さすがにそんな顔されると……。
「じゃ、じゃあおれが……」
俺は控えめに右手を挙げながら小さい声で言っていた。
言うや否や。
「「「「「「「「はいどうぞ!」」」」」」」」
全員の右手がおれの方に向けられていた。中島先輩が俺のバッグを渡してくる。気が付いたらおれのテキストや文房具は全部片付けられていた。
知らない人まで巻き込んで、みんな、はめやがったな!




