第十二話:南苑に潜む香、仮面の宦官
南苑──後宮の北東に位置する男たちの区画。
宦官たちの起居と香の管理、皇帝の私的な命を受ける役目を担う者たちの場。
ソウカは朝靄のなか、ひとりその門をくぐった。
顔を上げれば、白い煙が天へと昇る。
南苑でも香は焚かれている。だが、それは慎ましく、目立たぬように配された“影の香”。
(ここが……ソクという宦官のいた場所)
手元には、ショウから渡された記録の写し。
その香符には、沈香の名で調達されたものの、調合が不自然であった旨が記されている。
「香司殿、お待ちしておりました」
現れたのは、細身で背の高い宦官。
だが、その顔は白布で半ば隠され、表情は読み取れない。
「……あなたが、宦官ソク?」
「ええ。“仮面のソク”とでも呼んでください」
低く抑えた声には、妙な余裕があった。
「どうぞ、こちらへ。香の保管室へお通しします。問題の沈香も、まだ残っています」
案内されたのは石造りの一室。
温度も湿度も一定に保たれ、香木や香粉が丁重に並べられていた。
だが──
(おかしい。南苑の香庫にしては整いすぎている。誰かの目に触れることを強く意識しているような……)
仮面のソクが棚から一つの小箱を取り出した。
「こちらが、麗蕙妃に届けられた沈香です。私は確かに届けましたが……混ぜ物がされていたとは、知りませんでした」
「では、これは誰が調えたものだと?」
ソクは沈黙した。
代わりに箱の裏面を示す。
「ここに、印があったはずですが、何者かに削られています。誰かが香の出処を隠そうとした。あなたも、それに気づいたから、ここまで来たのでしょう?」
「……あなたは、そのことに何も気づかなかったと?」
ソクは仮面の奥で、かすかに笑った気配を見せた。
「気づいていたとも。けれど、ここは“沈黙の地”。香にまつわるすべては、密やかに流れる。騒げば……消されます」
「それでも私は調べる。香司として、真実を嗅ぎ分けるために」
仮面の奥の視線が鋭さを帯びる。
「……ならば忠告を。ここに踏み込むということは、後宮の“禁域”を暴くことになる」
「恐れていては、香の罪は埋もれたままです」
ソウカの言葉に、沈黙が落ちた。
その静けさを破ったのは──
カツ……カツ……と、控えめな足音。
現れたのは、上位の宦官。名を〈白衡はくこう〉。
冷たい眼差しでソウカを見つめる。
「香司殿。これ以上、踏み込むのは……“帝の香”に逆らうことになるぞ?」
仮面の宦官・ソクが語る沈黙の真実。
だがその背後には、後宮に香を操る“影”の存在が――
現れたのは、帝に仕える上宦・白衡。
ソウカはついに、帝の香に触れる禁域へと足を踏み入れる。
次回、第十三話「白衡と密香、禁じられた調香」




