06
「アデリーヌ団長?」
ベルガルドが退室するのを待って、セダがアデリーヌに呼びかける。
懐紙をはさみながら確認した書類には明らかに団のものとは関係がない書類が含まれていた。それも、わざと表題を隠して、引き継ぎ資料の予備のように重ねて置いてあったものたち。
「私は言ったぞ。確認しろと」
「時間がないから急げと圧をかけておいででしたが」
ふいっと目線を反らすのは、アデリーヌ自身にも後ろめたさがあるからだろう。
「あれに話すつもりはない。お前も言うなよ」
「ご命令ならば」
セダは仕方ないと首をふった。アデリーヌのすることだから悪いことは起こらないだろうとセダも知っている。
まだ、朝の珈琲を出していなかったな、と給湯室に向かった。
「今年の春になる前だ」
急に真後ろから声をかけられ、ビクリと肩がはねる。
給湯室の柱にもたれて、アデリーヌが自身の赤い髪を弄んでいた。
「ベルガルドに聞いてみたんだ、戯れにな」
「・・・王城にいるというベルガルドの姫のことですか?」
「ふふ、そんな風に呼ばれているのか。ノルン侯爵家のレティシア嬢、第二王子の婚約者殿さ」
「それは」
細い注ぎ口の薬缶からお湯を注ぐ手が少しブレる。
綿を細かく毛羽立たせるように編んだ小袋に昨夜ひいた珈琲豆がそのまま入っている。特注の薬缶は、珈琲を入れる時にしか役に立たない代物だ。
「セダ、手を動かしながら聞き流せ」
「・・・はい」
「私はな、興味があった。年に数回顔を合わせるだけ、手紙や贈り物どころか愛の言葉すら贈れない。態度に表わすことも許されない相手にどこまで本気なのか、気になったんだ。それで、聞いてみた」
「何と聞かれたのですか?」
「万が一、何の憂いもなく彼女を娶れるとなったらどうする、と」
再びセダの手がピタリと止まる。それから数秒だまって、ゆっくりとお湯を注ぐ。
くるり、とお湯を回しかけると、濃厚な香りが2人の間を漂っていた。
「残酷なことをお聞きになりましたね」
「うん、後から悪かったなと思ったよ」
アデリーヌは悪びれずに苦笑するように暖かな声で話す。ベルガルドのことを話す時はいつもこうだ、とセダは頭の片隅で思った。出来の悪い弟を見守るような、暖かな声。
「それで、ベルガルド殿は何と?」
「あれは、答えられなかった」
「つまり、姫君に捧げる騎士の捧愛ではない、ということですか」
「そうだ。だから私はあれを、副官から副団長に押し上げた。王都に行かずに済むようにな」
しばし黙って、セダは豆のはいった小袋を小皿にうつす。陶器のポットからいつもの団長用のカップに珈琲をうつすと、後ろからぬっと現れた手がそれを取り上げた。
ごく、と珈琲が喉を通る音が大きく聞こえる。いや、アデリーヌの距離が近い。
「あの書類は、ベルガルドへの褒美だ。面倒の多い私によく仕えてくれた」
振り返りそうになるのを必死にこらえる。香るはずのない花の甘い香りがする気さえした。
「第二王子殿下は、婚約者をすげ替えるおつもりだ」
高揚した気持ちが一気に冷水を浴びたように冷める。
ひそめた声で語られる国の重要機密、セダは自分の背に汗が伝うのがわかった。
「春の園遊会に騎士を出せと言われている。ベルガルドを、私は残す」
「・・・それで、養子縁組ですか」
「ノルン家に出す婿なら引き受けても良いと父上も仰ってな」
「よく、このたった数時間で外堀を埋めきりましたね」
「黒の足輪の鷹を飛ばしてやった。これも内緒だぞ?」
しれっと戦時中でもさらに緊急事態に飛ばす高速の鷹を使った、と唇に細い指先をあてて見せる。
それからアデリーヌはセダの顔を後ろから覗き込んで、セダが自分のほうに顔を向けられず、耳まで赤く染めながら目線だけを合わせるのに、笑いかけた。
「セダ、お前は私と心中だ」
「・・・よろしいのですか?」
「私の勘違いでなければ、それがお前への褒美だ。嫌なら春までに逃げろ」
「まさか!お供いたします」
カップを持って執務机に向かうアデリーヌの態度は普段と変わらない。
セダは今度こそ、自分の鼓動がうるさく高鳴るのを感じていた。
表に出さないからこそ許される、愚かで不相応な恋心を抱いていたのが、ベルガルドばかりではないとアデリーヌは知っていたのだ。