僕は友達を殺した
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仮に僕が世界の中心で、目の前の景色だけが真実だとして、この世界は何処を軸に回っているのだろう。
仮に僕がこの物語の主人公で、僕の都合の良いように世界が改変されたとして、僕の代わりに誰がその帳尻を合わせているのだろう。
見えない世界は虚空で、見えている世界は異常性を極めて、その空間で「真っ当に生きる」ことなんて、僕には到底正気を保って居られなかった。
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僕は友達を殺した。
それは言葉通り殺害したわけではない。
生きていれば誰でも何処かで誰かを殺している。それは人間という形を執る前から始まっている。
精巣から卵巣へ向かう道中、僕は幾万人の友達を殺している。
ここで僕が述べたそれは、そんな意識のないものではなかった。
小学5年の秋口、僕はサヤマを階段から突き落とした。
ほんの洒落合いのつもりでした。
数人の友達で、ある友人の家から出て降りる鉄骨の階段。踊り場を折り返したところで僕は1人の友人の背中を押した。
サヤマは幼稚園から仲の良い幼馴染。一度も喧嘩したことがなく、家も近所で家族ぐるみで仲が良かった。僕に彼を嫌う理由、彼を突き飛ばす理由なんてひとつもなかった。
階段の段数は5〜6段。そんなに高くは感じていなかった。僕が笑って押した背中は加速をつけて階段を滑っていった。
誰も気づいていなかった。それは、僕が背中を押したこと、加えて階段を滑り落ちたそれが一大事であったことも。
階段を降りた先にある公園でひとしきり遊び終えた僕たちが戻った階段の先には救急隊員がサヤマを運んでいた。
その場にいる“誰も”彼がどうしてそうなったかはわからなかった。僕も、判らなかった。
サヤマは数人で揉みくちゃになりながら降りて行く階段で足を踏み外したらしい。
彼がどんな証言をしたのかは知らない。
彼の親、訪問していた友人の家の人も、不安そうな顔をしていた。
サヤマと次に会ったのは小学6年の始業式だった。
「もう大丈夫なん?」
僕はサヤマに尋ねた。
「もう治ったで!ありがとう!」
サヤマは曇りのない笑顔で僕を見る。
その笑顔が怖かった。僕が自分の中だけで自分につけた勝手な傷は、数年間癒えることはなかった。
-#0.3-
僕は家族を殺しかけた。
僕は兄に虐められていた。おおよそ、それはよくある家族の風景の“兄が弟を虐める”構図であったろう。対外的に見れば。
虐められた僕はいつも泣いて親を頼った。親は「泣き声がうるさい」と泣いている僕を怒鳴った。親も疲れていたのだろう。今の自分なら納得できるが、子どもの生きる世界では、もう逃げ場はないように感じた。
小学4年の夏、兄が友人を家に連れてきた。
想像通り、友人たちがいるリビングに呼び出された僕は、全員から虐められた。
ほんの、揶揄ったつもりだっただけらしい。
だが逃げ場の無くなった僕は「このままだと殺される」と思った。だから、キッチンにあったフルーツナイフを取り出した。
兄たちは笑って逃げていた。僕は泣きながら兄たちを睨んで握ったそれを、その場に置いて自室に戻った。
ナイフで何か出来るほどの勇気はないと自分は解っていた。
帰宅した親に兄はその件を伝え、僕は親に殴られた。逃げ場なんて初めから無かった。毎日が苦しかった。
小4の冬。
駄菓子屋で遊んでいた時に、友人の弟が駄菓子屋に来た。友人の弟は僕を慕っていた。
僕は、弟を少しだけ揶揄った。ポケットにお金が入っていることを見て、カツアゲを装って笑い話にしていた。お金を取りあげもしないし、ただ洒落合っているだけのつもりだった。
翌日学校で職員室に呼び出された。
友人の弟がカツアゲを受けた、らしい。そして、犯人は僕、らしい。
家でまた親に殴られた。
「自分が揶揄ってるつもりでも相手が嫌がっていたらそれはイジメになる」、らしい。
兄がしていたことは僕と“遊んでいただけ”らしい。親がはっきりと僕に告げたから間違いないようだ。
僕の世界には、理不尽しかないらしい。
-#0.5-
中学3年の9月。
進路先は始めから決まっていた。
中学1年からずっと続けていた男子バスケットボールの名門私立へ推薦入学。
中学2年の時に、先輩がそこへ進学したことによって僕の進路は固まり、親には伝えていた。
ある日、急に親が「進路先を変えろ」と言った。
兄の大学の進路を優先する、と。僕の私立進学はどうやら金銭的に問題があるそうだ。
僕の人生はきっと、兄の影なんだろう。兄が光を浴びて、見えないところで僕は光を見れずに踏まれ続けるのだろう。
僕は公立高校へ進路を決めた。
偏差値レベルを2つ落として自分の学力とは見合わない高校を選んだ。
もう勉強する気はなかった。楽に受験シーズンを脱することだけを願った。
-0.5-
中学3年の10月。
同じ進路先を選ぶ者が現れた。
サヤマだ。
中学生活では特に悪い関係ではなく、むしろ関係は良好だった。
サヤマは学力だけで言えば志望校にはかなり厳しく、担任や塾講師、周りの友人も彼に諦めるように提言していた。
サヤマは諦めなかった。
必死に勉強し、内申点を上げるために担任に媚びたり、学級委員を名乗り出ていた。
それが僕にとっては非常に不愉快だった。
周りからすれば必死さを感じて賞賛されるかもしれない。だが僕は違う。それならば、始めからちゃんと真面目に勉強している者のほうが賞賛されるべきである。
僕は常にテスト、スポーツ面でも高得点を納めていた。真面目という訳では無い。実家で"影"の僕は100点以外のものは賞賛されず、常に高得点を取り続けることだけで自分を保っていた。
僕は親に賞賛されたかっただけだ。
そんな僕を他所目にサヤマは担任に媚を売って細かな内申点を箸で掴むように拾い上げている。
不愉快以外何物でもなかった。
僕は志望校に進学した。受験勉強などせず、適当に試験を受けて合格した。
サヤマもまたその春、志望校に合格した。必死に勉強と、周りからの目を気にせず担任の評価を上げて。
-#0.8-
高校1年の春。
高校へは自転車通学すると言うと、サヤマも喜んで並んで自転車を漕いだ。
偶然同じクラスになった僕たちは、友達の少ない高校生活のスタートでいえば、互いに救いの船のようなものだった。
僕は男子バスケ部への入部を希望した。
「お前と一緒の部活にした!おれにバスケ教えてくれ!」
サヤマが僕と一緒の部活を選んだことを僕に笑って告げた。
彼は中学時代、特に強くも無い卓球部に所属していた。
その不用意な仲良しごっこが、僕には簡単に受け止められなかった。
要するに、またもや不愉快になっていた。
部活となれば、友達のように仲良しだけじゃなく、暴言を吐く時もある。それを彼にすることも、あまりイメージに浮かんでいなかった。
僕の気など知らず、サヤマは僕と同じ部活に入った。
-0.8#-
高校1年の夏。
サヤマがバスケ部を辞めた。
特に僕が何かを斡旋したわけでも、特段厳しくしたわけでも無い。
ただ、何もしなかった。
何もしなかったら、辞めていった。
「辞めるなよ」なんて友情ごっこをする気はなかった。出て行く者は出ていけばいいと思っていた。
-サヤマは地元で不良グループとよく遊んでいるそうだ-
風の噂で耳にした。
僕は気にしていなかった。特にその不良グループとも不仲でも無く良好でもなかったため、興味がなかった。
その後、休みの多くなったサヤマは、中学の頃にしていた卓球部に入部した。
サヤマはそこで、リーダーシップを発揮した。
それが良くなかった。途中から入部した人間が急に中心に立とうとすれば、それまで部活にいた者たちが気分よく応じるわけでも無く、それに見合った実力もないのだ。
次第にサヤマは疎外され、陰口を叩かれるようになった。
僕はそれを卓球部員から聞いていた。
特段笑うこともなかったが、不思議とその陰口を聞いて嫌な感じもなかった。サヤマの陰口は、僕の心を晴れやかにしていた。
僕はそのイジメにも似た疎外、陰口のような陰湿な行為を端から見て、何もしなかった。
手を差し伸ばすことはいくらでもできた。
しかし僕はしませんでした。
したくありませんでした。
高校1年の冬、
サヤマは高校を辞めた。
僕はまた友達を殺した。