表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

57/73

第56話 うたかたのゆめ。


 瞬きをすると、目の前に楓の顔があった。

 お互いのまつ毛が触れ合うほどの距離。


 『この子、こんなに睫毛長かったんだ』


 楓の深茶色の瞳は、凛の灰青色の瞳や琴音の灰茶色の瞳とも違う、きっと俺の本心なんてお見通しで、安心させてくれる色だと思った。


 楓は、鼻と鼻が当たらないように少し角度をつけて、再び唇を押し付けてくる。それは男にはない柔らかさで、俺は、否応なしに楓が女性だと思い知らされた。


 そして、息をするために少しあいた唇の間から、楓の舌が入ってくる。


 「んっ、……はぁはぁ」


 いつもとは違う楓のつやっぽい声が耳元で響き、口にミントの香りの余韻が残る。


 「ちょっと、楓」


 俺が楓の両肩を持って押し戻そうとすると、すぐに楓は背伸びして懸命に抱きついてくる。


 そして、またすぐにキスをされた。


 楓の唇はしっとりしていて、温かかった。

 俺は、キスがこんなに気持ちの良いものだとは思わなかった。ググっと楓の舌が入ってきて、口の中で俺の舌にたくみに絡みついてくる。

 

 数十秒ほどして、楓の唇が離れた。


 楓は、はぁはぁと肩で息をしている。

 真っ赤な顔をして、三つ編みの先を右手の指先で何度も摘み直すと、喃語なんごのような甘えた声を出して、また抱きついてきた。


 ふわっとシャンプーの香りがして、楓の控えめな胸が、俺に押し付けられる。


 奥手なのにこんなに一生懸命で。キスの効果なのだろうか、いつしか俺の中に、目の前の女性を、愛おしいと思う気持ちが芽生えていた。


 楓は話し始めた。


 「ごめん。その……琴音ちゃんに言われて、れんが取られちゃうって思った。へんだよね。もともとわたしのものじゃないのに。でも、凛ちゃんなら仕方ないけど、他の子はイヤだったの」


 楓は俺の首元に顔を擦り寄せてくる。


 「あのね。わたし高三じゃない? だから来年卒業したら、ここのバイトもやめるかもしれないし。そうしたら、レンと接点無くなっちゃうし、会えなくなるかも。わたしね。バイトでレンと会えるの楽しみだったんだよ」


 楓は俯いた。

 その表情は俺からは見えない。


 「ごめん。でも……。わたし、わかってる。わたしは、女の子っぽくないし、地味だし。可愛くないし。れんと付き合ったりできないって」


 「いや、そんなことは……」


 楓は少しだけ俺を見上げる。顔は赤くて、目に涙をためていた。

 その涙は、表面張力の力を借りて、涙袋の上に辛うじてしがみ付いているようだった。


 「そう思うなら、今日だけ夢みさせて。明日からはただのバイトの先輩に戻るから。凛ちゃんにも琴音ちゃんにも内緒にするから。今日ね。うち、誰もいないんだ。朝まで……ううん、夜だけでいいから、もう少し一緒にいて欲しいの」


 それって、エッチの誘いだよね?


 いや、正直、めっちゃしたい。

 楓の華奢な身体をめちゃめちゃにしたい。


 キスだけでも、これだけ興奮するんだ。

 この続きは、どれだけ気持ちいいんだろうか。


 楓は普通に可愛い。

 平々凡々な俺には、もったいないくらいの相手だ。


 いや、でも、だからこそ。

 ダメだろ。


 凛を裏切れないし(若干、手遅れ感があるが)。エッチしたら、きっと楓も泣かせることになる。


 「ごめん、俺。好きな人いるんだ」


 すると、楓は何度か瞬きをして、視線を俺からそらすと、軽く息を吐いた。


 「そんなのわかってるよ。凛ちゃんでしょ? 分かってるから、泡沫うたかたでもいいから夢をみたい」


 楓は、俺に伸ばしかけた右腕を左手で押さえると、ふぅとため息をついた。口元だけ笑顔になる。



 「あははは。ごめん。冗談。……忘れて。あ、もうここでいいから。わたし、帰るね」


 そう言った楓の顔は、表情に乏しく、視線も力なさげだった。


 「いや、送るよ」


 こんな顔の女の子を1人で帰らせられない。


 俺は楓を家まで送った。

 会話はほとんどなかったが、女の子だと意識してしまって、一緒に歩いていても俺が知っている楓じゃないみたいに感じた。


 やがて家の前につき、玄関ドアをあけると、楓が振り返る。


 「そういうところなんだよ。きみは、優しくて残酷だね」


 「えっ?」


 すぐに楓は笑顔に戻る。


 「ううん、なんでもない。今日はありがとう。楽しかったよ。またバイトでね」


 俺はとぼとぼと家路につく。 

 唇に楓の余韻が残っている。おれは右手で唇をさわると、ため息をついた。


 ファーストキスしてしまった。

 まさか、俺の相手は楓になるとは思わなかった。


 凛のことを思うと胸が痛む。


 『これ、凛に言えないよなぁ……』


 だが、言わないで済むほど、世の中は甘くないらしい。そのしばらく後に、俺は、この判断を大後悔することになるのだ。 



 挿絵(By みてみん)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 胸が痛む?よく言うわw 当たり前のように別の女と行動して接近許してキスまでしてからに こういう男はドン底まで落ちて猛省しないとね っていうキャラへの愚痴でしたww
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ