第54話 成瀬 楓。
琴音は、あれから原作者のゴリ押しで演出家に紹介され、主演候補として稽古に参加することになった。
主演については仮のキャスティングが既に決まっていたらしい。制作サイドとしては、原作者のご機嫌とりで、あくまで練習に参加させるだけのつもりなのだろう。
ここからどうなるかは、琴音次第だと思う。
さて、俺の方は、今日はバイトだ。
そして、隣には何故か忙しいはずの琴音がいる。
「ウチ、演劇が終わるまでお金もらえないみたい」
とのことだ。
日雇いのバイト希望だった琴音としては、青天の霹靂であったことであろう。
そんなわけで、もうしばらくは、ここでのバイトを続けるらしい。
そんな琴音がツンツンしてくる。
「レン。気づいてる? 楓さん、レンのこと好きだよ?」
「いやいや、それはないでしょ」
だって、あの人。
BL以外に欲情しないでしょう。
琴音は首を横に振る。
「じゃあ、試してみる。みてて」
琴音は、新刊の陳列をしている楓の前にいった。
「楓せんぱい。ウチ、今日の帰り道にレンとエッチする約束してるんだけど。だから、レンは残業できないです」
おいおい。
こいつは、なんて事を言い出すんだ。
試薬が劇薬すぎて、単騎で爆死しそうなんだが。
ほら。楓はなんともないって。
俺らはそんなのじゃ……。
(ガタッ)
楓はもっていた本を落とした。
商品なのに拾う様子もなく、動きがとまった。
すると、左目から涙がツーっと落ちた。
楓は、ハッとした顔になり、急いで左手でそれを拭うと、「トイレ」といってどこかに行ってしまった。
えっ。
そういうのなの?
いやぁ。ナイナイ。
だって、成瀬の姉貴だぜ?
おれ、成瀬の義兄とかイヤだし。
琴音が戻ってくる。
そして、また俺の横腹をつつく。
「まさか、泣くとは思わなかった。ど、どうしよう?」
琴音も挙動不審になっている。
ってか、そんなに驚くなら余計なことするなよ、と思う。
楓が戻ってきた。
そのまま、こっちにくる。いつもみたいにおちゃらけて絡んでくると思いきや、俺の袖をつまむと俯いて言った。
「レン。今日のバイトのあと、付き合って欲しい」
「いいっすよ」
すると、楓は驚いた顔をした。
「え、いいの? れん、琴音ちゃんと約束あるんじゃ」
「あー、あれ。琴音が勝手に言ってるだけなんで」
すると、楓はあたふたとしだした。
「え。どーしよう。行ってくれると思ってなくて、どこいくか考えてなかった……」
このひと。自分が行くつもりもないのに誘うって、どういう了見なんだ。
楓は暑いらしい。
汗を拭っている。
まぁ、俺も予定があるわけじゃなかったので、バイトのあと、楓と会うことになった。
考えてみれば、バイトのあとに2人きりで会うのは初めてかもしれない。楓がうちに来たことあったけど、あれは成瀬との約束に便乗だったし。
今日は納品のチェックがあったので、楓の方が先に上がった。外に出ると、楓が待っていてくれた。
壁に寄りかかっていたが、こっちに気づくと、楓は控えめに手を振った。
楓は身長が小さい。胸も小さい。だけれど、少女然とした雰囲気が、今日のニットにスカートの服装とよく合っている。栗色の髪は途中から三つ編みで、みるからに大人しそうな女の子だ。
「あれ、メガネは?」
「ん。はずした」
まじか。この人、裸眼だと相当視力が低いと思うんだけど。大丈夫か?
それにしても、眼鏡を外すとこんなに印象が違うとは。楓の童顔で幼い雰囲気は、大人っぽい凛や琴音と対照的だ。
いや、ちょっと驚いた。
楓、普通にかわいいぞ。
「んっ」
そういうと楓は手をさしだす。
俺が手を取ると、俺を引っ張りスタスタと歩き出した。
お姉さん気取りの年上ロリって、それはそれでくるものがあるかも知れない。