第53話 琴音のアルバイト。
現地につくと、既にスタッフさんやモデルさんが集まっていた。俺たちを見つけると、カメラマンさんから挨拶してくれた。
「今日は朝早くからありがとうね。俺はカメラマンの更科。今日はよろしくな。君が凛くん? これまた……琴音くんに負けない逸材だわ。ライさんの周りにはどれだけ可愛い子がいるんだか」
そういうと、更科さんは肩をすくめて現場に戻っていった。
撮影は、市街地のとある公園だった。
たしかに、撮影時間やアングルを工夫すれば、どこかの大自然の中に見えるだろう。雑誌などの撮影がこんな身近に行われていることが意外だった。
モデルさんは、琴音の他に3人ほど。3人とも美人だが、琴音も決して負けていない。
見学は俺らと30歳前後の女性が2人。先生と呼ばれているから、脚本家かなにかなのかな?
モデルの準備がおわり、更科さんが琴音にカメラを向ける。
すると、琴音の表情が一変した。
年に不相応な憂いを含んだ眼差し。その目を見ていると、強烈なメッセージを感じるのに、感情が窺い知れない。
喜怒哀楽すべてを含んでいるようで、抽象画を見ているような気分になる。
更科さんが琴音を真っ直ぐ見つめて呟いた。
「え、この子……」
そういうと視線をファインダーに戻して、パシャパシャとシャッターを切り始めた。
琴音が表情をかえるたびに、足を組み替えるたびに、そこにいる誰もが注視してしまう。
カメラ越しの琴音を見ていると、どんどん引き込まれる。俺は自分に鳥肌がたっていることに気づいた。
『この子は特別な才能をもっている』
その才能は、素人の俺にもはっきり分かってしまうほど、鮮烈だった。
きっと、琴音の壮絶な生い立ちが、この空気感を生み出すのだ。琴音のそれは、絶対に許されるものではないが、でも、彼女に価値のある何かを生み出したのなら、せめてもの救いのように感じた。
凛も同じように思ったらしい。
両膝をかかえ、俺の袖をつまんでくる。
「ことね、すごい……」
ほんとに。
俺らは天才が目覚める瞬間に立ち会ってるのかもしれない。
たえまなく歓声があがる。
琴音のポーズや表情には、特別な指示がないのに、ストーリーがあるのだ。
撮影がひと段落ついたとき、俺たちの隣の女性も感動してしまったらしく、涙を拭っていた。すると、その女性が琴音に声をかけた。
「琴音さん。演技はできますか? 来年に予定されている、わたしの作品の舞台に出てみませんか?」
琴音はすっとんきょうな声をあげた。
「え?」
「あ、申し遅れました。わたし、小説家をしている綿貫と申します。今日は、たまたま撮影シーンの取材のため見学させてもらってまして」
彼女の名前は、綿貫 椿。いま何百万部も売り上げている大人気漫画の原作者らしい。たまたま取材もかねて、見学に来ていたとのことだ。
もし、舞台に出れるとなったら、とんでもない大抜擢だ。
凛に目を見合わせてしまった。
すると、更科さんが割り込む。
「先生、勝手なことをされたら困ります。琴音くんは、わたしが雇ってるんです。こっちに優先権が……。それにこの子、演技は素人ですよ?」
綿貫先生も負けない。
「いや、わたしの作品にはこの子以上の適任はいません。わたし、撮影をみてて泣いちゃったんです。こんなの生まれてはじめて。なんていうのかな。綺麗なのに悲しくて」
琴音は状況をわかっていないらしい。
「それって、次もバイトに来ていいってことですか?」
綿貫先生は、両手で琴音の手を握る。
「いいもなにも、専属で。今後、わたしの舞台が終わるまで他の話は全て断ってください。ほんと、今日、ここに来てよかった。主演がどうもピンとこなくて、投げやりな気分になってたんです」
隣にいるのは編集の人だろうか。綿貫先生は隣の女性と相談している。綿貫先生は穏やかな容姿に不似合いに声を荒げた。
「あ? 押し込んでよ! それは、あなたの仕事でしょ? わたし、この子じゃなかったら、原作使用を許諾しないんで」
琴音は不安そうにこっちをみる。
これって、またとないチャンスだよな。前に何かで人生には3回チャンスがあると聞いたことがある。
琴音にとって、これが、そのいずれかであるのは明らかだ。
俺と凛は、イイネの手をした。
琴音はニコッとする。
「先生。いいけど、一つ条件があります。わたしのプロフィールに、好きな人がいるって明記してください。恋人募集中とか絶対ダメです。それが通らないなら、どんなにお給料よくても無理です」
って。
ほんとに言ったよ。この人。