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狂乱モラトリアム -entirel-  作者: 雨狂水音
3/3

五城独白(※鬱、自○未遂表現注意)

五城のひとりごと。突然終わるけど続きません。

家庭問題、うつ病発症とその過程、その心理描写があるので、影響されやすい方は閲覧お控えください。

…………月に叢雲、ってやつだ。

今日は満月だとか十時の奴がはしゃいでたが、半端に雲が掛かってなかなか綺麗に見えやしない。



別に月が特別見たかったわけでもなくて、煙草を買いに行った帰りに空を見てみただけだが、せっかくなら月が綺麗に見えた方が良かった。

そんな気分のところ、コンビニの前でたむろって煙草とチューハイ缶並べてゲラゲラ笑ってるガキどもが無性に気に障った。

つーか、すぐ裏に喫煙スペースがあんだろうが。文字読めねえくらい頭わりいなら酒なんか飲んでねえで帰って寝ろ。

スルーすりゃいいもんを、かっとなってそいつらの酒缶の1つをサンダルの靴底で思っくそ踏み潰しちまった。

威勢の良いガキが、何すんだテメェとか言いながら立ち上がってきたが、俺のナリ見てか、ツレらしいバカどもとごにょごにょ言い合って、失礼しましたとか言って去っていきやがった。


失礼されてんのは俺じゃねーわ。吸いかけの煙草も酒缶も放置しやがって、迷惑すんのは店だろ。

取り敢えず危ねえから煙草の火は踏み消したが、このゴミどうしたもんだよ。俺が片付けんのか? これ。

まあ俺の責任でもあるかと思って膝を折ったら、店の中から箒とちりとりを持ったジジイの店員が出てきた。

ガキらは、注意してもすぐ解散するからとか何とか言って、店員も困ってたらしい。

本当に助かったとか何とか言ってぺこぺこしてたが、なんで俺にビビって逃げたガキにはビビってたジジイが俺にはすらすら話し掛けてくんのか。よくわかんねえ。

感謝されんのは苦手だ、大した事もしてねえし何なら俺だって荒らしたようなもんなのに。ああ、とか適当な相槌を返して、イライラしながらアパートに向かった。



――……まあ、そんな夜。

自分の事を他人の所為にする気はねえが、昔の事を思い出してた。


うちはまあ特別裕福でも貧困でもなくて、普通の一般家庭だったと思う。

学校も行かせてもらったし、食にも困った事は無い。けど、どこかに遊びに連れてってもらったとか、そういう記憶はあまり無い。小学生の頃は、そんな事もあったような気もするが。



まあ、いい。

親父は、何つうか融通の利かない男だった。反抗なんかしようもんなら、弁解する前に怒鳴られるか露骨に物に当たられるかしてた。

ガラスを割っちまうとか人を殴るとかそんな深刻なんじゃなかったが、大声上げて机を殴ったりするところが、とにかく俺は嫌だった。

俺が男だからか、嫁ってのには愛着があんのか、お袋には手を上げなかった親父が、俺の髪を引っ掴んでくるとかはあったな。

逆に言や、変な癇癪で手を上げられたのはその程度までだが。


とは言ってもそれで気を病んだりしたわけでもなくて、俺は俺で適当に無視したりもした。って言うより、それが一番良いと思ってた。俺が謝るまで、とにかく一方的にキレてるもんだから。

今思えば、思ってない事でも自分が悪かった事にして謝っときゃ良かったんだが。当時の俺はガキだったから、それだけは嫌だと思ってた。

時々どうしようもなくて、これ警察来るんじゃねえかと思って取り敢えず謝っとく事もあったけど、その日はとにかくムカムカして、悔しくて眠れなくなったりした。

そうなると枕に当たったり部屋で教科書投げたりしてたが、それだと親父と同じ事をしてるんじゃねーかと気付いて、それでますますムカムカしたり、なのにやめられなかったり、そんな感じだった。



それでも、ちくちくと地味に長くイラつく事が多かったのは、お袋の方だった。

俺がガキの頃は、もっと分別が無い事をしたりもしたもんだ。同じクラスのチビとケンカして泣かせるとか、何かの弾みで家のもん壊すとか。

そういう時は躾って形で親父に殴られる事もあったんだが、そういう時にお袋は黙って見てるだけだった。いや、見てすらなかった。本読んでるフリしたりして。

俺が悪い事したんだからそれも当然なんだろうが、当時の幼心には、親の片方にはもうちょっと優しくっつーか味方してほしかったもんだった。今思うとバカバカしい。

それだけならまだしも、とにかく事なかれ主義で、大体見て見ぬふりして、そのくせっつーかだからこそっつーか、気が弱い素振りで……今思えば、随分心はふてぶてしかった。


お袋が何かやらかして親父がキレてる時、お袋が無視して、親父がそれにますますキレるって事が多かった。

そりゃ俺もそういう感じだったけど、お袋はわざわざ、「ああ、こわいこわい」とか「明日の町内会は何時からだったかしらー」とか、当て付けるようにネチネチひとりごとを言う。んで、親父がそれにまた怒鳴る。

あとは、普通に自分にとって都合が悪いとか自分に非があると、聞こえねえフリしたり自分の事じゃないと思ってるフリしたり、そんな感じだったんだ。

そういうやりとりを見てるとイライラするから、俺はよく自分の部屋に行ってたんだが、先に親父がいなくなった時は、「興奮しすぎて倒れればいいのに」とか「なんであんなのと結婚したんだか」とか、ぼそりと悪口を言うのが薄気味悪かった。


俺についてもやっぱり例外じゃなくて、お袋の過失とか物忘れを指摘すると、無視したりすっとぼけたりする事があったりして。

初めはまあ俺も学校の事で頼んでる立場だからっていちいちキレてなかったが、そういう態度を取られるとムカつくもんだ。

その度に俺が声を荒げると、「そんな大きい声出さないでよ」「今返事しようとしてたんでしょ」とか言って、やっと返事をした。

反抗期ってやつだったんだろうか。元はと言えば俺が悪かったのかもしれない。でも、声を荒げてやっと返事してくれるっつうのは結構ストレスだった。聞こえてる筈の事を2度も3度も言わないといけない事自体も、そうやって俺が親父に似ていくのも。

そうしてだんだん、お袋が俺の悪口を言うようになるのも。


夜中に便所やらで目を覚ましたら、母親が電話してる声が聞こえて、それが俺の愚痴だった事もしばしばあった。

そこに出ていくのも嫌だったし、聞いてんのも勿論嫌だったから、部屋戻る時に思いきりドア閉めてやったりして。

そうするとそそくさと電話を切り上げるのを聞いて、気なんか全然晴れなかったし、寧ろムカついてばっかりだった。

親父がああだからお袋も俺と同じように無視しがちになったのか、お袋がこうだから親父もイライラして声を荒げるようになったのかは、俺にはわからなかったし、未だに知らない。

聞いたって、どうせ責任のなすり付け合いで、見てる方がムカつくだけだ。

取り敢えず授業参観なんかには来てたし、普通の会話も一応あったし、仲が良い時もあったから、総合的に見て比較的恵まれた家庭だったんだと思う。



…………まあ。それでなんだろう。こんなに感情が抑えられないで、物に当たっちまうのも。そんな自分が嫌で嫌で仕方ねえのも。

自分の思ってる事をその場で上手く言えねえのも。それで体調悪くなったり気が遠くなったりすんのも。

人の悪意が、自分の事に聞こえんのも。それで人の好意が信用できねえのも。

中学生くらいの頃には、もうこんな感じだったから、仲の良い奴なんかいなくて。寧ろ根暗だとか何考えてるかわかんねえとか陰で言われたい放題だった。

俺は頭も良くなかったからいわゆるレベルの低い高校に入って、そこじゃ変な奴が多かったから、ナメられねえようにしようと思って意識的に威圧するように振舞ってた。

幸いっつーか、気晴らしは筋トレだったし、昔から背は高かったから、直接絡んでくる奴はそんなに多くなかったし、来たとしても面倒くせえから一方的にボコられといた。

そうすると変なリベンジみたいなのも来ねえし、ありもしねえ俺の手の内を勝手に警戒されて、実はキレるとヤバいみたいな変な噂が広まったりして。


因みにボコられて帰った日は、母親には、心配なんだから揉め事を起こすなとか言われた。事の実情的には寧ろ俺が被害者寄りだと思うんだが、聞きもしないで。心配だからなんて口振りで、要は面倒事が嫌だったんだろう。

父親は、やり返してやれよそんな奴ら、男だろとか言ってきた。めんどくせえんだよ、あんたみてーに感情フルエンジンで生きてらんねーんだわ。


ここまで来ると、何つーか嫌われてる方が安心した。両親のムカつくところばっか受け継いだ自覚があるから、好かれる方がおかしいと思ったんだ。

自分から嫌われるイメージ纏って、そのくせ陰口言われてみりゃそれには慣れなくて、そんな半端な自分にも自己嫌悪してばっかだった。

気に掛けてくれるっつーか、普通に接してくれる奴がいなかったわけじゃない。でも、そういう奴には他に友達がいたし、その他の友達っつーのが例外無く俺を嫌ってた。

そいつが俺のせいで嫌われるのは不本意だったからできるだけ遠ざけたけど、あの時本当は嬉しかったって気持ちは今でも残ってるし、名前も苗字だけど覚えてる。

有り得ない話だが、もし今俺を頼ってきてくれたら、その気持ちにはできるだけ報いたいとも思ってる。



とにかく、この悪いところの寄せ集めみたいな、そのくせ勝手に傷つきやすい性格で生きてんのは、結構疲れやすかった。

いつかわかってくれる奴と出会えるかもしれないなんて妄想を抱いた事もあったが、何をわかってほしいというのかと思うとうんざりした。またクズが被害者ぶってやがる、って。

そんな相手は現れるわけもないし、もう期待するのにも自己嫌悪するのにも疲れて、何度か自殺を考えた。すぐに決行しなかったのはなんでなんだろうな、まだ期待したかったんだろうか。


俺は次第に感情が抑えられない事が増えて、思い当たる節もねえのに体調を崩す事も増えて。

被害妄想(今だからそう思えるが、当時は事実だと思い込んでた)に囚われたり、幻聴ってのじゃねえが頭の中で言われた言葉がフラッシュバックしたりして、耳鳴りとか目眩が酷くて起き上がれない事もあった。

夜も何だか胸がざわついて眠れなくて、朝は起きねえといけねえから、寝不足で集中力が落ちたりした。

こうなると本当に人に迷惑を掛ける。

自分で自覚してるの以上に嫌われたくなくて人を遠ざけてるのに、迷惑だとか邪魔だとかってマイナス価値が重なるのが怖くなった。


初めは、その時からでも何とかしようとして、必死の思いで生まれて初めて精神科ってのを予約した。

そんなところに罹らないといけない自分の心の弱さと、そんなの自業自得だろうがっていう感覚で、すげえ恥ずかしかった。

結局初診でもロクに話せなくて、問診票に書いた事の確認だけされて、何種類か薬が出された。朝昼晩飲むやつ、朝飲むやつ、寝る前に飲むやつ。

……夜は寝付けるようになった。が、結局数時間で目が覚めてそのまま眠れないで朝を迎えたりした。他の薬は効いてんのか効いてないのかわかんなかった。

主治医にそれを話したが、うーん困ったねとか言うだけだった。しかも話す時に微妙にへらへらしてんのが意味わかんなくて、ムカつく前に母親を思い出して気持ち悪くなったりした。

(今は転院して、ぼちぼち薬変えたり減らしたり増やしたりしてる)



改善しないのは俺のせいだと思った。

骨折に軟膏なんて塗っても無駄なように、俺自身がもう救えない性格をしてるから、薬なんかじゃ良くならないんだって。


……死ぬしかない、

と。思った。

今の苦しみから逃げる為にも、周りにこれ以上迷惑掛けない為にも。


そんな事人に話すと迷惑掛けるし、お前みたいな奴が死ぬような悩みがあるわけないだろって笑われそうで、誰にも相談しなかった。主治医にも。

一人暮らしの部屋で酒と薬を飲んで首を吊ってみても、意識を失ってから首が抜けてたり。外で吊ればロープが切れたり、通報されたり。薬なんか何百錠飲んでも死ねなかったり。包丁で腹を刺すってのは意外と難しくて(なまじ鍛えてたせいかもしれないが、人間の本能的に死にたくないって脳が命令を出してんのかもしれない)。

こんなバカみたいで無意味な日々が、死ねるまで続くと思ってた。今思えば、図々しい期待が抜けなくて、死ぬ気なんか無かったのかもしれないと感じる事もある。



夜洋サンとあの事があったのは、最初の自殺未遂から数年後の事だった。



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