働いたら死ぬ魔法
「前略、はは様、就職するためにもお金が必要です。いくらか恵んでください。」
というような内容のメッセージをスマホから母に送信した。ここは都会、とはいえ貧乏、とほほな大学生活。せっかく地元を出て都会の大学に進学したのにもかかわらず、恋人を作るでもサークルに属するわけでもなく、宗教に引っかかるでもなく、授業だけは真面目に出席するきわめて平凡な大学生活を送ってきた。学生のころに力を入れたことなど、人より多めに授業をとったくらいだろう。高い授業料を払っているのだから、元は取りなさい、コツは授業を多めにとることよ♪というのは母の教えだ。
そんなはは様に今しがたメッセージしたのは、今日までのバイトをストップして就職活動に専念したいからだ。いわゆる「大手」と呼ばれる類の会社に入社したい。学生時代に力を入れたことなんてない俺はバイトなどやっている暇はないのだ。
公園についたときは、夕方くらいだったと思ったが、いつの間にかあたりは暗くなっていた。公園には犬の散歩をしている人が一人いた。俺はその人が公園から出るのをなんとなく待って、公園のベンチから立ち上がり、それと同時にスマホをポケットにしまった。公園の門をくぐりぬけようとしたとき、向こうから若い女性が向かってくるのが目に入った。なにやら青い顔をしている。ゼミで三日間徹夜したときの俺みたいな顔だなと思った。スマホが鳴る。
母からの返信かと思い、ポケットからすぐさまスマホを取り出し、画面を覗き込んだ。コンタクトレンズのクーポン配信だった。
「はあ」思わずため息をつく。毎回この手の類の通知は切ろうと思っているのだが、まあこれくらいは、と思って結局そのままだ。今度こそ、通知を選別しなければ。
そう決意を固くすると、前を向いて、歩き出した。
母から連絡を待ったが、その日中には来ず、12時を回ったので、眠ることにした—
ちくたくちくたく。静寂の中に時計の音だけが鳴り響く。眠れないなあ。そんなときはカップラーメンでも食べるに限るよな。
カップラーメンのお湯を沸かしに、ふとんをはいだそのときだった。
「おまええええ。呪ってやるうううう。」物騒な声が部屋全体に響き渡った。
「うわっ」思わず声をあげる。
とっさに声の主を探して、天を仰いだ。パペットだ。そこには、中くらいのぬいぐるみサイズの天使っぽいわっかをつけた何かがいた。何かというよりは完全にパペットだが・・・・
冷静にその天使っぽい何かについて考えていたが、そいつに思考をさえぎられた。
「天使ではない!神様なのだ!」
あ、とそのとき気づいた。これは夢だ。カップラーメンを食べようとした時から、そもそも夢なのだ。カップラーメンを食べ損ねたみたいだ。まあいい。夜のカップラーメンは体に悪い。
「だから、夢じゃない!!」今度は先ほどより強い口調だ。夢ならとことんつきあってやる。
「神様が俺に何の用だよ?」質問のつもりだったが、少し挑発するような具合になってしまった。
「ようやく、話を聞く気になったか。ふん。」
なんだか偉そうだ。神だからえらいのか。
神様は、話をつづけた。
「私は、労働の神だ。就活中のお前に素敵な魔法をかけてやろうと思ってな。」
魔法だなんて。今日び聞かない単語だ。神だから魔法も使えるというのか。
「魔法というのは、少し言い方が違うかもしれんが・・・・まあ、そんなものだ。」
なんか歯切れが悪くなったな。でも、魔法をかけてくれるんだったら、就活がはかどるかもしれない。
「神様、お願いします。就活がうまくいくような魔法をちょっとでもいいからかけてください。」
俺は、夢でもいいから、願掛けしようと思った。とっさに出てきた言葉だ。お願いします。心から祈る。
「それは無理だ。」
期待などしていないが、夢の中くらいいいではないか。理不尽さに心の中でチッと舌打ちする。
神様は言葉をつづけた。
「お前にかけるのは、「働いたら死ぬ魔法」だからな。」
「どゆこと?」
「だから、「働いたら死ぬ魔法」だ!」
いやそうじゃなくて、働いたら死ぬってなんだよ。
「呪いじゃないか!!」
俺は声を荒げながら、突っ込んだ。
「ちょっと考えたらそうだろうな。だがな、重大なことを伝えていなかったが、お前は、ふつうに働いてしまったら数年後に過労で死んでしまうのだ。そうはなりたくないだろう?」
神はつづけた。
「サラリーマンなんかもってのほかだ。会社勤めはお前には合わないのだ。それを事前に伝えて、間違っても過労死しないように、魔法をかけてやるんだ。感謝してくれ。」
神は、はあーあと大げさなため息をついた。
「会社勤めが合わないだなんてなんでわかるんだよ」
当然のように反論する。
「私は労働の神の中でも、過労死の神だからだ。わかるさ。それに私も昔は、過労死した身。顔を見たらすぐわかった。」吐き捨てるように言った。さらに続ける。
「青年よ、未来を変えよ。そして、幸せになれ。だが、過労死の未来がどうしたら修正されるかまではわからん。だから自分で模索するしかないだろう。もちろん、わしも手助けはしてやれる。わしを大いに使うといい。」
「そんなぬいぐるみみたいな体で、、?」
「うるさーい!!これは仮の姿じゃ!ほんとはもっと美少女なんじゃ!」
「じゃ、間違っても、ふつうの就職活動するなよ!今日はおやすみじゃ!」
そういうと、すっと消えていった。そして、俺の瞼もすうっと落ちていった。
カーテンの隙間から差し込む日差しで目が覚めた。時計に目をやると朝の7時。4月になって、急に朝が早くなった気がする。今日の予定は、と予定を思い起こす。今日は就職説明会の日だ。まだちょっと重い身体を起こし、ふとんをはぐ。6畳一間の部屋には、ベッドが一つとサイドテーブルが脇においてある。窓際のベッドから、キッチンへと歩きコーヒーを淹れる。コーヒーをサイドテーブルに置き、一息つく。
「よし、行くか。」
電車で一時間ほどで会場には到着した。
会場内は、黒のリクルートスーツに身を包んだ学生が蟻のようにうごめいていた。
この中を勝ち抜いて、俺は入社しなければならない。身が引き締まった。?
説明書を受け取り、自由にブースを動けるようになった俺は、さっそく一人の女性に呼び止められた。
「話だけでも聞いていきませんか?IT系の会社です。」
今回狙っている企業の説明は、時間制で、その時間まではまだある。聞いてみるか。
「お願いします。」
俺は、その企業のブースへと足を運んだ。
一通り説明を受けた後、そのまま面接に進めるということだったので、試しに受けてみることにした。企業の面接といっても、今回だけは筆記試験などはなく、人物重視で面接のみとのことだ。受かれば、落ちても大丈夫との安心感が生まれ、他の企業でも緊張しなくなるかもしれない。この企業も給料は悪くなさそうだったし。
面接会場というところに、通されると、黒のスーツの人と紺のスーツの人が二人いた。黒のほうは、40歳くらいだろうか。紺の人は、かなり若い男の人のようだ。
「今回の説明を受けてどうでしたか?」
そんな無難な質問をされて、ありのままを答える。
簡単な質問ばかりで、ほぼ雑談のような会話だったが、面接は以上ですと伝えられると、それで終わってしまった。
部屋をあとにし、先ほどの女性のもとに戻ってきた。インカムでなにやら話している。
会話が終わったようで、俺のほうに向き直った。神妙な顔つきで、
「合格です。」と一言だけ言った。
随分と早いな。「こちらにサインをお願いします。」
渡されたのは1枚の紙だった。署名欄がある。胸ポケットから、ボールペンを取り出し、署名しようとしたそのときだった。
急に心臓がバクバクし始め、高熱が上がった時みたいに、頭がガンガンした。ペンを持つ手が震える。それでもなんとか書こうとしたが、体の状態はさらに悪化する。吐き気、眩暈、手のしびれ、症状がどんどん増えてきて、とうとう立ち上がって、
「すみません、具合が悪くて。」というと口を抑えて、トイレへダッシュした。
「はあ、はあ・・・」
トイレはすぐのところにあったが、さきほどまでの動悸や眩暈は、どこへやらおさまっていた。
「これでわかったか!!!」
強い語気の声がした。声の主を探して、天を仰ぐ。
「おぬしは、もう働けない体なのだ!!」
そこには、天使のわっかをつけたパペットがいた。その姿を見た瞬間昨日の夢を思い出した。
「だから、夢じゃない!!過労死しそうな未来がみえた瞬間お前は先ほどのように苦しむことになるぞ」
「うそだろ・・・」
昨日は夜ねる直前で、夢だと思うことができたが、今は昼間、しかも就活会場のトイレの中、鮮明に神様とやらの姿が見えている。ありえない現象だったが、受け入れるしかなかった。
トイレの個室から、人が出てきた。怪訝そうな顔をして、一瞬こちらを見てきたのは気のせいではあるまい。ちらっと目が合うとすぐに目をそらしてしまった。そいつが出て行ったあとに、神様に向き直った。
「神様が見えるのは俺だけか・・・?」
「まあ、そうなるな」
ひとまず聞きたいことを聞けた俺は、トイレの個室がすべて空きなのを確認してから、さらに質問を続けた。
「働いたら死ぬっていうけど、働かなきゃ死ぬだろ?どうしろっていうんだ?」我ながら情けない声が出た。
「それを考えるのがおまえだ。考えるのだけは、お前がやらなきゃいけない。お前の人生なのだからな。」
「なんだよそれ。お前の人生って、人の人生に茶々いれて、よく言うよ!」
思わず感情的になってしまった。だってそうだろ?俺の人生は、魔法の力がなければ、順風満帆とまでもいかずとも、少なくとも平凡に生きれるはずだった。それをわけのわからない魔法のせいで、しっちゃかめっちゃかにされるだなんて。
「じゃあ、数年後に過労死するのが平凡か?それまで、血のにじむような苦労をするのが、お前のいう平凡でまともな人生なのか?」
「そんなのやってみなければわからないじゃないか!!」思わず叫ぶ。もし本当に過労死してしまうなら、と思わなくはないが、自分が仕事のせいで死ぬなんて、今から考えられない。やってみなければわからない。
「じゃあ、やってみるか?」
景色が変わった。
「ここは、さっきお前が合格して署名しようとした会社だ。ある新入社員の目線を見せてやる。」
目の前に、顔を真っ赤にした上司がいて、手を上下に動かしながら何やら怒鳴っている。
だが、その言葉まで聞こえない。俺の心臓はバクバクしていて、冷や汗もかいている。涙はずっとこらえている。のどにちからが入る。
「これだから無能は!!」その言葉だけが聞こえた。俺は無能だ。無能なんだ。申し訳なさでいっぱいになる。そして、吐き気、動悸がとまらない。さっき体験したのと同じ状態だ。
さっきの体験は、この人の苦しみだったんだ。
また、景色が切り替わる。駅のホームに立っていた。先ほどまでの吐き気はおさまっていたが、かわりにからだが信じられないほど重い。
「電車が到着します。きいろの線の内側まで下がってください。」放送が流れる。
目の端に、電車のライトが見えた。すごいスピードだ。「ここなら一瞬だ」体の中に安堵の声が響いた。重い足は、黄色の線の外側に出ようとしていた。
「もういいだろう。」
また景色が切り替わった。先ほどのトイレに戻ってきていた。体が軽くなった。
「お前が入社すると、さっきのような動悸や吐き気が毎日続くんだ。」
言葉が出なかった。さっきの映像は誰かの・・・・
トイレに誰か入ってきた。壁側に向かって棒立ちだった俺は、なんだあいつというような目を向けられて、ようやく体が動いた。「場所を変えよう」神様にこそっと耳打ちした。
会場を出て、駅までの途中にあった公園に立ち寄った。ここなら誰もいない。
「もろもろ俺がかかった魔法についてはわかったよ。未来で過労死しそうになると、死にかけるっていうんだろ。でも、過労死しそうな会社に入ったらってことだろ?会社を選べばいいんじゃないか?」
神様は難しそうな顔をした。
「そう思うじゃろ?それがだな、わしもだいたいのシミュレーションをしたんだが、お前が生き残れそうな会社がなかったんじゃよ。就活本にのっているような会社じゃ無理じゃあきらめろ。」
「うそだろ・・・俺、そんなひ弱なのか??」
「弱いとか弱くないとかじゃないんじゃよ。「労働」が向いていないんじゃ。このことはいずれ詳しく説明してやろう。お前は、少数派というだけなのだ。弱いか弱くないかの話だと、少数派が弱く見えがちというだけだ。」
「・・・・」
どう考えていいかわからなかった。
「今日のところはこれくらいにしてやろう。今後就職活動はするなよ。」
そう言って神様は消えてしまった。
俺はいったいどうすればいいんだろう。脱力したまま公園で呆然としたリクルートスーツの男を見たならば、それは俺だ。