第十話 王子と公爵令嬢の決戦
特別石の加工品の中でも移水鏡は左右で言う右の、隣国ウォーターテールの流水石を風雲石と併せて加工した、とても珍しい品。
貴族どころか王家くらいしか所持していないだろうそれは、指定した場所の空間を水の力で映し、風の力で通る人間をその場へ送ることが可能な鏡である。
そしてその移水鏡が運ばれてくる。大人の背丈ほどのその鏡は、鏡面が水が風に浚われているかのように揺れており、今は向こう側が透き通って見えているだけだ。
「エリー」
名を呼んだアレクサンダーに顔を向ける。
「これを通ればリーフロフトの、恐らくここと同じく玉座のある部屋へと着く。君をずっと狙い続けてきた奴等がいる場所だが、どうする?」
行くか行かないかの決定権を委ねられる。……そんなの。
先程の彼が見せた不敵な笑みを思い浮かべて、私も強気な面持ちで口角を上げる。
「もちろん共に参りますわ。だって私、アレクさまの隣に立つことを唯一許された、可愛いお嫁さんなんですもの!」
――パチッ
「……――ハース団長!」
「ならず者どもをここへ!」
呼び掛けに応え、鎖でグルグル簀巻きにした黒衣の六名が転がされてきた。そんな彼等に冷めた一瞥を向けた後、アレクサンダーが移水鏡に手を触れて行き先を告げる。すると透けていた面が揺れて、別の何かを映し出し始めた。
はっきりと像が結んで見えた時、移水鏡はその面に透けた向こう側ではなく、人が並びいる空間を映していた。
「エレイン」
手が温かいそれに強く包まれる。
「――忘れないでくれ。僕が、アレクサンダー=ヨアヒム=サンドロックだということを」
え、と言葉にする前に手を引かれ、鏡の中へと身を投じた。
軟い膜の中に突っ込んだかのような感触を経た後、コポリとした音と共にザワつく空間へと抜け出す。そこは確かに鏡に映っていた場所だった。
サンドロックの匂いじゃない。
ここは――サンドロックの向かい国リーフロフト。
「……さて。リーフロフト王国の皆々さまに置かれては、ご機嫌如何かな? 僕はお前たちが欲する雷神ウルドスの加護を宿すサンドロック王国の第一王子、アレクサンダー=ヨアヒム=サンドロックだ。そんな僕のご機嫌は最悪も最悪……いや、愛しの婚約者と気持ちが通じ合ったことに関してだけは最高だね」
「殿下っ!」
恐らく王族もいる場で堂々とアレクサンダー節を炸裂させる彼に堪らず制止の声を上げてしまったが、我らが王子殿下は「ん?」と小首を傾げるだけだった。
「――貴方さまが、アレクサンダーさま?」
鈴を鳴らすような可愛らしい声に反応して顔を向けると、衛兵に囲まれるようにして護られている少女――アレクサンダーと同じではないが薄い金の髪に萌黄色の瞳を持つ、リーフロフトの王女が彼のことを頬を染めて見つめている。
「私の伴侶となり、この国を支えて下さる方」
「は? お前の伴侶になんかならないし、僕が支えるのはサンドロックだけだけど。そして僕が婚姻を結ぶのは、ここにいる可愛いエレイン=カレンベルクただ一人…」
「アレクサンダー王子!!」
盛大に顔を顰めて王女の言ったことをバッサリ切り捨てるアレクサンダーに向かって、不遜な物言いが癪に障ったらしい国王らしき人物が、怒りで赤くなった顔で玉座の手すりを叩く。
「話が違うではないか! 彼の国からは貴殿が、我が娘フルーレルとの婚姻に関する会談に臨むのだと聞いておるぞ! それなのにフルーレルを侮辱するばかりか、女連れで来おって! 巫山戯ておるのか!!」
「間違ってはいないだろう。僕は貴国との勝手な婚姻話に関してわざわざ話をしに来たんだ。我が国の両陛下から既にお断りされている筈だが、本人の口からも言っておこうか。貴国の王女との婚姻は正式に正式に正式にお断り申し上げるよ」
「なっ……!!?」
国王の顔が憤怒に歪み、王女が悲愴な表情で涙を溢す。周囲のお偉方も衛兵も殺気立って私達を睨みつけている。
「ああ、あとよくも僕のいる国に六つも汚物を贈ってきてくれたね? 景気よくお返しするよ。ハース団長おぉぉぉーー!!」
移水鏡に向かってアレクサンダーが団長を呼んだかと思ったら、次いでペイッとグルグル簀巻きが投げ込まれてきた。ウゴウゴと蠢いていて、まるで黒い芋虫のようである。
そしてその贈り物を見た一部の顔色がサッと変化した。
「なっ、何だその者らはっ!?」
「よくご存知の筈だが? 僕の愛しい婚約者を拐かすために貴様らが送ってきたんだろう。ほら、証拠もあるぞ」
そう言って懐から取り出したのは、あの原石の風雲石。
「さて。ただでさえ採れなくなっていると言うのに、これほどの大きさの原石を国民のために使わず攻撃手段として用いるとは、嘆かわしいにも程がある。そして、よりにもよってこれを使ってエレインを捕えようとしたこと――」
パキン……ッ、と。
その手にあった風雲石が、割れた。
「――――かつての罪を忘れたようだな? 愚か者ども」
外で激しい雷鳴が轟いている。いつの間にか薄暗くなった室内を見渡せば、室内の窓から見える空は昼の時刻だと言うのに、まるで嵐が迫っているかのように雲が慌ただしく流されていく。
隣に立つ彼からバチッと音がし、室内を灯す明かりがパンッと弾けて飛び散った。
「アレクさまっ! …………アレク、さま?」
鋭く飛ぶ破片から彼を守ろうとして――目を見開く。
髪だけじゃない。その琥珀の瞳からもパチリと雷電の火花が散り、薄暗い室内の中で一番の輝きを発している。彼の全身からパチッバチッと光が瞬く。
「……そうだな。貴様らリーフロフトの種が犯した罪は七つある。一つ、人の身に余る欲を覚えたこと。一つ、自らの欲を満たすために手段を択ばなかったこと。一つ、超えてはならない線を越えたこと。一つ、欲を満たした結果を考慮しなかったこと。一つ、真実を闇に葬り去ろうとしたこと。一つ、その罪を再び繰り返そうとしたこと。そして最後の一つ、」
鋭い爆発音がした。建物全体が大きく揺れると同時に何かが降ってきたが、それらは私達には一切当たることなく、それ以外の者たちに降り注いでいる。
周囲が阿鼻叫喚の悲鳴を上げる中、私とアレクサンダーがいる場所だけが無の状態でいるのを呆然と見続けるしかなかった。そしてふいに頭上が明るくなっていることに気づいて、見上げると。
「……空、が」
天井に大きな穴を開けて、そこだけがカラリとした青天を覗かせていた。
「――赦しを与える筈だった」
ハッと声の主を見る。
彼は何の感情も宿していない黄金の瞳で、彼等を見据えていた。
「貴様らの祖先を忘れずに七百年前の罪を抱き、国のために正しき道を歩んでいれば、七百年後に赦しを与える筈だったのに。殺さなければいい? 馬鹿を言うな。奪うことこそが罪なのだと何故解らない。貴様らが犯した最後の罪は――――僕だ」
――バチッ パチッ
「授け間違いだの手違いだのと好き勝手言ってくれたが、そんな訳がないだろう? こうは考えなかったか? ……貴様ら神の隣人が犯した七つの定めた宿罪の赦しを与えるか見極めるために、自身の守護の外にある国の人間として、神が人の身に生まれ落ちたのだと」
『エレイン――忘れないでくれ。僕が、アレクサンダー=ヨアヒム=サンドロックだということを』
……ああ、そういうことだったのか。




